文房 夢類
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文房 夢類

夕映えの道

夕映えの道』副題=よき隣人の日記(THE DIARY OF A GOOD NEIGHBOUR) 著者=ドリス・レッシング Doris May Lessing 訳=篠田綾子 発行=集英社2003年 サイズ19cm 384頁¥2000 ISBN4087733947 
内容=女性向け雑誌社で精力的に仕事をこなす主人公ジャンナは50歳前後。夫、母の病死も心に響いてはいない。のちに姉の娘が雑誌社に入社したがり、さらに同居を希望してきたときのジャンナの反応は「おお、とても耐えられない、とても。私はどんなにひとりでいることを愛していることか、孤独の楽しさを……」である。ジャンナが偶然出会った90歳を越える一人暮らしの女性モーディとは、はじめは嫌悪、反発、喧嘩といった関係だったが、モーディのかすかな仕草や表情から心の内を掴み、モーディの人間性を見つめるようになる。ジャンナは、次第に二人を隔てている垣根の存在を忘れてゆく。ジャンナの深く見通す視線こそ、作者自身のものにちがいない。半端でない洞察力である。これは1970年代のイギリスが舞台であり、垣根とは、今も同じかもしれないが厳然として英国に存在した階級差別である。労働者階級のモーディからみれば、対等につきあえる身分ではない、上の方にいるジャンナなのだ。モーディは病身の一人暮らしで、貧困、粗相の連続、不潔、食事の不備など、言うに堪えない状況だが、そのなかでモーディは強気で自尊心を保ち、みじめっぽいところはみじんもない。身体が不自由でも独立心をもつ女性だ、ということを見せつける。次第にジャンナはモーディをたいせつな友人と感じて付き合う自分を発見する。社会が外側からつけた差別を取り払ったハダカとハダカのつきあいになる。このとき、はじめて夫、母の死を心から悼む自分に変化していることに気がつく。医者は言う、死の近づいた人は、それを否認し、次の段階で怒り、最終的に受容する、と。しかしモーディは受容に至らない。末期ガンのモーディに、死んで欲しいと思うジャンナ。あまりにひどい状態が続くから、そう思ってしまうのだ。しかしジャンナは「人が死にたいと望むならば、死んで欲しいと思うのは正当だといえるが、その覚悟がない人には絶対にいけない」と考えるようになる。
感想=老人病院へ老人を「入れて」しまい、あとはさっぱりと忘れて暮らす人々。幼児を扱うような態度の介護士たち。ヘルパーの、おざなりな態度などが細かに描かれるが、まるで現在の日本の状況そのままであることに驚く。病棟の主任の言葉が突き刺さる、「親類に関する限り、彼らはこの世にいないも同然なんです」雑誌社で働きながら小説を書くジャンナは、著者に重なる。単純な老人問題、という視点ではない、ある制度と個人の関係、人間の尊厳の問題、福祉制度がもたらす次世代への影響など、非常に多角的なものがある。たとえば亡くなった老人が飼っていた猫の行く末などの小さなエピソードも、エピソードに終わらせていない強靱な批判精神がある。同時に、ひとりの女性の成熟の物語でもある。

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