山怪
19-02-18-20:30-
『山怪』『山怪 弐』副題=山人が語る不思議な話 著者=田中康弘(たなか やすひろ)発行=山と渓谷社 2015年 続編の弐は、2017年 256頁 128X187mm @¥1296 ISBN9784635320047・ISBN9784635320085
著者=1959年長崎県佐世保市出身 日本全国を放浪取材するフリーランスカメラマン。農林水産業の現場や山間の狩猟に関する取材が豊富。
内容=山で働き、生活する人たちが、今現在、実際に遭遇した不思議、奇妙な、説明のつかない体験を聞き取り記録したもの。現代の遠野物語か。
感想=放浪取材のフリーランスカメラマンの聞き取り話。こういう仕事の人って、仕事というより生きることと抱き合わせで選んだ仕事だから。他の職業にはつけない人なんだと思う。
写真を撮りながら、出会った人たちと喋る、そのうちに聞いたことを集める気になったのではないか。
内容から柳田國男さん、松谷みよ子さんを思いだした。
柳田國男さんは、学究の目的であった、松谷みよ子さんも、具体的に民話採集という目的を持っていらした。
田中さんは、ちょっと違う。なんか怖い経験て、ありませんか、みたいな聞き方をしている。
だから「さあ、何もないよ」という返事をもらうことがよくあり、それもそのまま記されている。帰り際に、そういえばこんなことがあったよ、と話してくれたことが収穫だったりしている。経験を語ってくれる人たちが、普段の言葉で、同じ目の高さで、本当のことを話してくれている、そんな感じを受けた。地域の人たちに教えてもらっているみたいな、話す側も、耳を傾ける田中さんも、なんかあったかい。
強調したいことは、どれも本当のこと、本当だと、本人が信じていること、が記されていると感じたことだ。
創作怪談の、ひたすら怖がらせようという話が好きな人には物足りないだろう。ここには技巧もないし、増幅装置もない。事実だけだ。
その代わり、自分も似た経験をしたよ、あの山で、と思い出すような人には、たまらない魅力がある、実際の経験を共有できるのだ。
この本を読んでのちのこと、独りで山歩きをした。山小屋に真新しい本書が、まだ帯付きで棚に立てかけてあった。
買ったの? と主に尋ねたら、そうじゃない。自分が話したことを、ここに書いてもらったんだという。
ほ、ん、と、のことを話したんだよ。それを、そのまま書いてもらった、という。
「あたしさ、この人に喋ったんだ、ほれ、ここに出てるのがあたしさ」と表紙の著者の名を指で押した。
懐かしがっていた。そして本当のことを喋ったのを、そっくり信じてくれたと目を輝かせていた。
信じてもらったとは嬉しかったろう、私は誰彼に話しても、信じてもらったことがない。はあ、そうですか。わかりましたよ、と微笑みを返してはくれるが、河合さん、また〜、という目つきである。
もっとも、私の経験は貧弱なものである、アイヌ犬の千早と二人っきりで山に入り、とことん迷う。定石通りの堂々巡り、ここ通ったところだ、と悟って愕然とする。何度かやらかしたが、不思議と反時計回りに廻るのであった。
実は、これは死を暗示する動きなのだ、生き物が死ぬ間近には、犬も人も他のものたちでも、反時計回りに動こうとするものだ。これは獣医師から直接教えていただいたことで、でたらめではない。
もう一つ、これも千早と二人、以心伝心で黙々と歩いて全く口を利かない山中の数時間。ごく間近に笑い声を聞いた。3、4人、あるいは数人の、私と同年輩の女性ばかりが笑い喋りしている。林業の人が歩く道もないところだ。
こんな「気のせい」的な経験を持っていると、この二冊の本を読むと、ああ、自分だけではなかったんだ、本当にあったんだ、とホッとするのである。
全く怪異に遭遇しない人もたくさんいる。そのような人がトンネルの中で怪異らしきものに出会った話が面白い。
アタマ良さそうな男性が、どう見てもおかしい現象に対して、もっともらしい科学的解説をして信じない。いるいる、こういう人、という感じだ。
著者=1959年長崎県佐世保市出身 日本全国を放浪取材するフリーランスカメラマン。農林水産業の現場や山間の狩猟に関する取材が豊富。
内容=山で働き、生活する人たちが、今現在、実際に遭遇した不思議、奇妙な、説明のつかない体験を聞き取り記録したもの。現代の遠野物語か。
感想=放浪取材のフリーランスカメラマンの聞き取り話。こういう仕事の人って、仕事というより生きることと抱き合わせで選んだ仕事だから。他の職業にはつけない人なんだと思う。
写真を撮りながら、出会った人たちと喋る、そのうちに聞いたことを集める気になったのではないか。
内容から柳田國男さん、松谷みよ子さんを思いだした。
柳田國男さんは、学究の目的であった、松谷みよ子さんも、具体的に民話採集という目的を持っていらした。
田中さんは、ちょっと違う。なんか怖い経験て、ありませんか、みたいな聞き方をしている。
だから「さあ、何もないよ」という返事をもらうことがよくあり、それもそのまま記されている。帰り際に、そういえばこんなことがあったよ、と話してくれたことが収穫だったりしている。経験を語ってくれる人たちが、普段の言葉で、同じ目の高さで、本当のことを話してくれている、そんな感じを受けた。地域の人たちに教えてもらっているみたいな、話す側も、耳を傾ける田中さんも、なんかあったかい。
強調したいことは、どれも本当のこと、本当だと、本人が信じていること、が記されていると感じたことだ。
創作怪談の、ひたすら怖がらせようという話が好きな人には物足りないだろう。ここには技巧もないし、増幅装置もない。事実だけだ。
その代わり、自分も似た経験をしたよ、あの山で、と思い出すような人には、たまらない魅力がある、実際の経験を共有できるのだ。
この本を読んでのちのこと、独りで山歩きをした。山小屋に真新しい本書が、まだ帯付きで棚に立てかけてあった。
買ったの? と主に尋ねたら、そうじゃない。自分が話したことを、ここに書いてもらったんだという。
ほ、ん、と、のことを話したんだよ。それを、そのまま書いてもらった、という。
「あたしさ、この人に喋ったんだ、ほれ、ここに出てるのがあたしさ」と表紙の著者の名を指で押した。
懐かしがっていた。そして本当のことを喋ったのを、そっくり信じてくれたと目を輝かせていた。
信じてもらったとは嬉しかったろう、私は誰彼に話しても、信じてもらったことがない。はあ、そうですか。わかりましたよ、と微笑みを返してはくれるが、河合さん、また〜、という目つきである。
もっとも、私の経験は貧弱なものである、アイヌ犬の千早と二人っきりで山に入り、とことん迷う。定石通りの堂々巡り、ここ通ったところだ、と悟って愕然とする。何度かやらかしたが、不思議と反時計回りに廻るのであった。
実は、これは死を暗示する動きなのだ、生き物が死ぬ間近には、犬も人も他のものたちでも、反時計回りに動こうとするものだ。これは獣医師から直接教えていただいたことで、でたらめではない。
もう一つ、これも千早と二人、以心伝心で黙々と歩いて全く口を利かない山中の数時間。ごく間近に笑い声を聞いた。3、4人、あるいは数人の、私と同年輩の女性ばかりが笑い喋りしている。林業の人が歩く道もないところだ。
こんな「気のせい」的な経験を持っていると、この二冊の本を読むと、ああ、自分だけではなかったんだ、本当にあったんだ、とホッとするのである。
全く怪異に遭遇しない人もたくさんいる。そのような人がトンネルの中で怪異らしきものに出会った話が面白い。
アタマ良さそうな男性が、どう見てもおかしい現象に対して、もっともらしい科学的解説をして信じない。いるいる、こういう人、という感じだ。