3.11を心に刻んで
21-04-19-10:58-
『3.11を心に刻んで 2019』岩波ブックレットNo.995。編者=岩波書店編集部 発行=岩波書店 2019年 サイズ=210mm 112頁 ¥780 ISBN9784002709956
内容=2011年5月以降、約300名の筆者により毎月書き継がれているウェブ連載「3.11を心に刻んで」。これを毎年1冊にまとめて岩波ブックレットとして出版している。
第1部が「3.11を心に刻んで」第2部が慰霊碑をたどる、と題した「河北新報」の連載企画。第3部が「3.11を考え続けるためのブックガイド」と題して池澤夏樹・金子勝・小出裕章・白石草・武田砂鉄・中村和恵・中村桂子以上7名が書いている。
感想=3.11の特徴は、地震と津波という自然災害と、ヒトの手によってもたらされた原発災害の、2種災害であることだ。
岩波書店編集部の企画、毎年出す決心の『3.11を心に刻んで』に注目しつつ、ともに年月を刻んでいる。
今号でも12カ月の11日が並んだ。各月の11日に3人が書いているから36編ある。
ここには3年前、5年前の、と綴られてきており、今号では8年前の3.11が語られる。特に何年前の、と限定しているわけはないから、内容は様々である。
8月に書いている安川誠二さん。北海道、アイヌについて語った最後に、文字を持たなかったアイヌは地名に、そこの地形の特徴を表す言葉を当てはめ、危険な場所を子孫に代々口承で伝えていった。と記す。
9月の佐藤慧さんは津波で母を失い5年後に命の灯火が消えた父を思う、死と愛を噛みしめる切々とした筆致に涙が止まらない。こうして付箋をつけて行くとどのページにもついてしまう。
我々の命には限りがある。一方、組織は不死身だ、岩波書店の編集部は不死身の力を使い、この先いつまでも続けていただきたい。
第1部執筆のの36人中、1945年以前に生まれている人は、たったの1人だ、あとの全員は戦争後に生まれている。
戦争体験がないので、大津波に襲われた惨状に対する受け止めようが、まさに初体験であると強く感じた。
本書への感想は、ここで終わり、あとは個人的な付け足し雑記である。
あの、三陸を襲った大津波の映像をテレビで見ていた、家が、車が、流される、蹂躙されるまま為すところもない濁流の中に、消防車も転がり流されてゆくのを見た、
その瞬間の感想……、この災害には消防車が役に立たない。パトカーだって救急車だって被害者だ。全てがやられてしまった。でも、日本の他の地域から、必ず駆けつけてくれるでしょう、消防車も、救急車も来てくれるでしょう。
そして、続いてこう思ってしまったのだ、「あの時」は、消防車そのものがなかった、パトカーも救急車も発明されていなかったし。テレビどころかラジオもない焼け野原。
いやはや、世の中変わったなあ。あの当時は「兵隊さん」なんかの姿があったら、何を命令されることやら、姿がなければほっとする、今はまあ、自衛隊の活躍がどれほどの助けをもたらしているものか、お風呂まで用意してくれるという。救援物資が送られる、おにぎりを、ただでもらえてる。
あの時は、と苦々しく思い返してしまう、あれほど強く隣組の結束が呼びかけられて、互いに助け合うようにと徹底指導されていたにもかかわらず、頼みにできるものは自分だけ。
あれは冷淡だったのではなく、体を保ってはいたが気持ちが潰れ切っていたのだと、今になって気づいている。だって、近所の誰さんたちが防空壕内で蒸し焼きになって死んでしまったと知っても、ぼんやりと聞き入っているだけで感情が動かなかったのだから。
やがて、この大津波の惨状を祖父母から聞いたことがある、という世代に移るだろう。記録を調べて知る時代になるだろう。
それでも、バトンタッチを繰り返して続けていただきたいと思う。
遠い将来に、大津波からの立ち直りは想像できるが、原発事故からの回復は、今現在の我々には考えられないことだ、そこを読みたい、津波は貞観とくくってくれても良い、福島が気がかりだ、続けてください。
人の命の長さとは尺度の違う怪物、放射能の行く先が不安で仕方がない、岩波ブックレットが灯し続ける炎に、小さな読者も燃料を持ち寄ります。
内容=2011年5月以降、約300名の筆者により毎月書き継がれているウェブ連載「3.11を心に刻んで」。これを毎年1冊にまとめて岩波ブックレットとして出版している。
第1部が「3.11を心に刻んで」第2部が慰霊碑をたどる、と題した「河北新報」の連載企画。第3部が「3.11を考え続けるためのブックガイド」と題して池澤夏樹・金子勝・小出裕章・白石草・武田砂鉄・中村和恵・中村桂子以上7名が書いている。
感想=3.11の特徴は、地震と津波という自然災害と、ヒトの手によってもたらされた原発災害の、2種災害であることだ。
岩波書店編集部の企画、毎年出す決心の『3.11を心に刻んで』に注目しつつ、ともに年月を刻んでいる。
今号でも12カ月の11日が並んだ。各月の11日に3人が書いているから36編ある。
ここには3年前、5年前の、と綴られてきており、今号では8年前の3.11が語られる。特に何年前の、と限定しているわけはないから、内容は様々である。
8月に書いている安川誠二さん。北海道、アイヌについて語った最後に、文字を持たなかったアイヌは地名に、そこの地形の特徴を表す言葉を当てはめ、危険な場所を子孫に代々口承で伝えていった。と記す。
9月の佐藤慧さんは津波で母を失い5年後に命の灯火が消えた父を思う、死と愛を噛みしめる切々とした筆致に涙が止まらない。こうして付箋をつけて行くとどのページにもついてしまう。
我々の命には限りがある。一方、組織は不死身だ、岩波書店の編集部は不死身の力を使い、この先いつまでも続けていただきたい。
第1部執筆のの36人中、1945年以前に生まれている人は、たったの1人だ、あとの全員は戦争後に生まれている。
戦争体験がないので、大津波に襲われた惨状に対する受け止めようが、まさに初体験であると強く感じた。
本書への感想は、ここで終わり、あとは個人的な付け足し雑記である。
あの、三陸を襲った大津波の映像をテレビで見ていた、家が、車が、流される、蹂躙されるまま為すところもない濁流の中に、消防車も転がり流されてゆくのを見た、
その瞬間の感想……、この災害には消防車が役に立たない。パトカーだって救急車だって被害者だ。全てがやられてしまった。でも、日本の他の地域から、必ず駆けつけてくれるでしょう、消防車も、救急車も来てくれるでしょう。
そして、続いてこう思ってしまったのだ、「あの時」は、消防車そのものがなかった、パトカーも救急車も発明されていなかったし。テレビどころかラジオもない焼け野原。
いやはや、世の中変わったなあ。あの当時は「兵隊さん」なんかの姿があったら、何を命令されることやら、姿がなければほっとする、今はまあ、自衛隊の活躍がどれほどの助けをもたらしているものか、お風呂まで用意してくれるという。救援物資が送られる、おにぎりを、ただでもらえてる。
あの時は、と苦々しく思い返してしまう、あれほど強く隣組の結束が呼びかけられて、互いに助け合うようにと徹底指導されていたにもかかわらず、頼みにできるものは自分だけ。
あれは冷淡だったのではなく、体を保ってはいたが気持ちが潰れ切っていたのだと、今になって気づいている。だって、近所の誰さんたちが防空壕内で蒸し焼きになって死んでしまったと知っても、ぼんやりと聞き入っているだけで感情が動かなかったのだから。
やがて、この大津波の惨状を祖父母から聞いたことがある、という世代に移るだろう。記録を調べて知る時代になるだろう。
それでも、バトンタッチを繰り返して続けていただきたいと思う。
遠い将来に、大津波からの立ち直りは想像できるが、原発事故からの回復は、今現在の我々には考えられないことだ、そこを読みたい、津波は貞観とくくってくれても良い、福島が気がかりだ、続けてください。
人の命の長さとは尺度の違う怪物、放射能の行く先が不安で仕方がない、岩波ブックレットが灯し続ける炎に、小さな読者も燃料を持ち寄ります。