異常気象で読み解く現代史
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『異常気象で読み解く現代史』著者=田家康 発行=日本経済新聞出版社2016年 ISBN9784532169879¥1800 サイズ=20cm 335頁人名索引・参考文献
著者=たんげ やすし 1959年神奈川県生まれ。横浜国立大学経済学部卒。農林中金総合研究所客員研究員。気象予報士。日本気象学会会員。日本気象予報士会東京支部長。著書に「気候文明史」「世界史を変えた異常気象」「気候で読み解く日本の歴史」など。
内容=20世紀初頭から現代にかけて起きた気候変動・異常気象は、天から降ったのか地から湧いたのか? その背景に、人の判断によってもたらされた部分が、これほどあったのだという事実を、文献資料・データに基づいて解説している。
感想=気候変動・異常気象に対して人間はあくまで「受け身」の存在だった。だからこそ原始時代から世界各地で天変地異を鎮める目的の祈りが捧げられてきた。それは人為ではどうしようもない巨大な力であり、為す術はなかったのだ。
著者は、気候変動の歴史を記録に従い綿密に辿り、人間がそれに対して如何に対応し、結果はどのようなものだったかを語る。
1936年代にアメリカ大平原を襲ったダストボールと呼ばれる大砂塵がなぜ発生したか。これは「砂塵」(1939年アメリカ製作)「大砂塵」(1954年アメリカ製作)、この2本の西部劇の舞台背景として、その猛烈さが描かれている。
アメリカの開拓者は、西へ西へと農地を開拓していった。しかし大平原は雨が少ない。水利を無視した農業は、旱魃に耐えることができなかった。土地が荒廃し砂塵が舞い上がったのである。融資を受けて農地と農機具を買い経営をしている農民であるから、需給ギャップにより生活が破綻する。このときの農民の苦悩を描いた映画が「カントリー」(1984年製作アメリカ映画ジェシカ・ラング主演)だ。興行成績は悪かったが、必見、価値ある作品である。映画のことは本書とは関係がないが、映像として大平原を知ることができるので付け加えた。
また、1959年に始まった中国の大飢饉について語られる。これは大躍進政策として1958年から61年にかけて中国人民共和国が行った農工業大増産政策の結果もたらされた飢饉だった。毛沢東は、ソ連の農学者、トロフィム・ルイセンコが提唱した農法を全土に指示した。中国4000年の伝統的農業、治水を捨てて、ソ連の方式を採ったことが首を締め、推計3000万人~5000万人の餓死者を出したのである。
日本の米の不作年に、東南アジアのロンググレイン米を緊急輸入したときのことも語られる。国内産の米を食べたい、輸入米はまずいと不平を言った日本人。不作故に輸入した翌年は豊作で備蓄米が増えた。古米、古古米が溢れ、古米はまずいからイヤだ、と言う声が上がったことも記されている。行間に私は、日本人の我が儘さ、そして死に苦しみを知らない世代に対する怒りを受け取った。
宇宙物理学者のカール・セーガン(1934~96)らは「核の冬」現象、すなわち核兵器使用による影響で日光が遮断され、破局的な異常気象が発生し、深刻な食糧不足が始まるという論文を科学雑誌サイエンスに発表した。しかし政治家は科学者の意見が気に入らず不確実性を言い立てて耳を貸さなかった。
不確実性は3つの要因(内部変動・自然由来の外部要因、そして人間活動に由来する外部要因)が複雑に絡み合っておきる。1962年キューバ危機の時にケネディとフルシチョフ、この2人の指導者が最も怖れたことは、人間や組織のふるまいの不確実性についてだった。
1986年にチェルノブイリ原子力発電所大事故が起きたとき、陣頭指揮を執ったのがゴルバチョフだった。彼が軍縮交渉を進めたとき、アメリカの指導者とは異なり、あきらかに「核の冬」を念頭に置いていたと言われる。彼は一方的に核実験の停止を宣言して、こう述べている。「もし誰かが核攻撃の第一撃を行ったとしたら、その者は自身の死に悩まされるに違いない。それは相手国からの報復攻撃によるものではなく、自らが撃った核弾頭の結果として」。
こののち、2000年にゴルバチョフはこうも言っている。「ロシアとアメリカの科学者によるシミュレーション・モデルは、核戦争が地球のすべての生命を破滅に導く「核の冬」を引き起こすことを示した」
著者は、「セーガンの声は、大西洋を越えた東の大国の指導者に届いていたのだ」と、感激を込めて綴っている。著者の感激は読む側に伝わり、胸躍る緊張感に包まれて読んだ。
著者=たんげ やすし 1959年神奈川県生まれ。横浜国立大学経済学部卒。農林中金総合研究所客員研究員。気象予報士。日本気象学会会員。日本気象予報士会東京支部長。著書に「気候文明史」「世界史を変えた異常気象」「気候で読み解く日本の歴史」など。
内容=20世紀初頭から現代にかけて起きた気候変動・異常気象は、天から降ったのか地から湧いたのか? その背景に、人の判断によってもたらされた部分が、これほどあったのだという事実を、文献資料・データに基づいて解説している。
感想=気候変動・異常気象に対して人間はあくまで「受け身」の存在だった。だからこそ原始時代から世界各地で天変地異を鎮める目的の祈りが捧げられてきた。それは人為ではどうしようもない巨大な力であり、為す術はなかったのだ。
著者は、気候変動の歴史を記録に従い綿密に辿り、人間がそれに対して如何に対応し、結果はどのようなものだったかを語る。
1936年代にアメリカ大平原を襲ったダストボールと呼ばれる大砂塵がなぜ発生したか。これは「砂塵」(1939年アメリカ製作)「大砂塵」(1954年アメリカ製作)、この2本の西部劇の舞台背景として、その猛烈さが描かれている。
アメリカの開拓者は、西へ西へと農地を開拓していった。しかし大平原は雨が少ない。水利を無視した農業は、旱魃に耐えることができなかった。土地が荒廃し砂塵が舞い上がったのである。融資を受けて農地と農機具を買い経営をしている農民であるから、需給ギャップにより生活が破綻する。このときの農民の苦悩を描いた映画が「カントリー」(1984年製作アメリカ映画ジェシカ・ラング主演)だ。興行成績は悪かったが、必見、価値ある作品である。映画のことは本書とは関係がないが、映像として大平原を知ることができるので付け加えた。
また、1959年に始まった中国の大飢饉について語られる。これは大躍進政策として1958年から61年にかけて中国人民共和国が行った農工業大増産政策の結果もたらされた飢饉だった。毛沢東は、ソ連の農学者、トロフィム・ルイセンコが提唱した農法を全土に指示した。中国4000年の伝統的農業、治水を捨てて、ソ連の方式を採ったことが首を締め、推計3000万人~5000万人の餓死者を出したのである。
日本の米の不作年に、東南アジアのロンググレイン米を緊急輸入したときのことも語られる。国内産の米を食べたい、輸入米はまずいと不平を言った日本人。不作故に輸入した翌年は豊作で備蓄米が増えた。古米、古古米が溢れ、古米はまずいからイヤだ、と言う声が上がったことも記されている。行間に私は、日本人の我が儘さ、そして死に苦しみを知らない世代に対する怒りを受け取った。
宇宙物理学者のカール・セーガン(1934~96)らは「核の冬」現象、すなわち核兵器使用による影響で日光が遮断され、破局的な異常気象が発生し、深刻な食糧不足が始まるという論文を科学雑誌サイエンスに発表した。しかし政治家は科学者の意見が気に入らず不確実性を言い立てて耳を貸さなかった。
不確実性は3つの要因(内部変動・自然由来の外部要因、そして人間活動に由来する外部要因)が複雑に絡み合っておきる。1962年キューバ危機の時にケネディとフルシチョフ、この2人の指導者が最も怖れたことは、人間や組織のふるまいの不確実性についてだった。
1986年にチェルノブイリ原子力発電所大事故が起きたとき、陣頭指揮を執ったのがゴルバチョフだった。彼が軍縮交渉を進めたとき、アメリカの指導者とは異なり、あきらかに「核の冬」を念頭に置いていたと言われる。彼は一方的に核実験の停止を宣言して、こう述べている。「もし誰かが核攻撃の第一撃を行ったとしたら、その者は自身の死に悩まされるに違いない。それは相手国からの報復攻撃によるものではなく、自らが撃った核弾頭の結果として」。
こののち、2000年にゴルバチョフはこうも言っている。「ロシアとアメリカの科学者によるシミュレーション・モデルは、核戦争が地球のすべての生命を破滅に導く「核の冬」を引き起こすことを示した」
著者は、「セーガンの声は、大西洋を越えた東の大国の指導者に届いていたのだ」と、感激を込めて綴っている。著者の感激は読む側に伝わり、胸躍る緊張感に包まれて読んだ。