親の家を片づける
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『親の家を片づける』著者=主婦の友社編 発行=主婦の友社2013年 192頁 19㎝ ISBN9784072887516 ¥1300
内容=親が介護施設に入ったり亡くなったりしたために、親の家の片づけをする子世代が増えている。その実態と片づけのコツやヒントを15のケースを想定して紹介。
感想=私は片づける立場からヒントが欲しくて読んだのではない。片づけられる側から、片づける人の立場と気持ち、行動を把握しようとして読んだ。本書に限らず、人生の締めくくりの際に、去る者が何を残し、残さなかったかを語る人は少なくない。それらのいくつかも含めて共通して感じることは、あとがさっぱりとして、ものが少ない親を褒め称えている「片づける側」である。なにからなにまで整理し、廃棄し、鍋は大小二つあればよい、といった風の、キャンプ生活より簡素簡略生活を褒め称えている。片づける子側は、押し入れからあふれ出てくる物を、精力的に仕分けしたのちにどうするか、というと業者へ渡すのである。この本では、どのような物をどの業者に渡すか、というノウハウが伝えられる。この部分は、むしろ現在の私に役立つ部分だった。場所をふさいでいるだけの物は、自分自身で、これらのノウハウを参考にして片づけたらよいと思った。ただ、ひとこと言いたい。人生を畳むときのために、減らせるだけ減らしてキャンプ的生活をするのだけはごめんだ。冗談じゃない。
私はコーヒーカップが好きで、一客ずつ、いろいろなカップを持っている。飾っているのではなくて、その日の気分によって選んで使うためだ。カップなんて、ひとつあれば充分だというならば、歯磨きの時のカップも、コーヒーを飲むときも、緑茶の時も同じカップで足りるのである。一事が万事で私の回りには余分と見える物が溢れている。どれも使っているのだから捨てるなどとは、もってのほかだ。さて、こうした日々の途中、突然死したならばどうなるか。主婦の友社の編集者たちにとってみれば、下の下の親ということになるだろう。しかし私は続けます。続けて豊かな日々を楽しむことにします。
もう一つ、欠落している部分を指摘したい。物語。物が語る、ということを主張したい。日本の一般家庭で、その家族、一族の代々の歴史を、綿密に正確に記録し続けている家庭がどのくらいあるだろうか。家族皆が知っていることとして、記録するには当たらない、と思うこともあるだろう。書き留める習慣から離れている家庭もあるだろう。忘れてしまいたいことが重なったために、記録するなど考えもしない場合もあるだろう。しかし、どの家にも残されるのは「もの」なのだ。物言わぬものが語ることの確かさと深さ。物を捨ててしまうことが、その家庭から何を奪うのか、想像してみて欲しい。
どうか、安易に物を捨てないでほしい。物が語ることを知って欲しい。国には正倉院がある。各家庭に正倉院的小函のひとつがあってもよいのではないか。
内容=親が介護施設に入ったり亡くなったりしたために、親の家の片づけをする子世代が増えている。その実態と片づけのコツやヒントを15のケースを想定して紹介。
感想=私は片づける立場からヒントが欲しくて読んだのではない。片づけられる側から、片づける人の立場と気持ち、行動を把握しようとして読んだ。本書に限らず、人生の締めくくりの際に、去る者が何を残し、残さなかったかを語る人は少なくない。それらのいくつかも含めて共通して感じることは、あとがさっぱりとして、ものが少ない親を褒め称えている「片づける側」である。なにからなにまで整理し、廃棄し、鍋は大小二つあればよい、といった風の、キャンプ生活より簡素簡略生活を褒め称えている。片づける子側は、押し入れからあふれ出てくる物を、精力的に仕分けしたのちにどうするか、というと業者へ渡すのである。この本では、どのような物をどの業者に渡すか、というノウハウが伝えられる。この部分は、むしろ現在の私に役立つ部分だった。場所をふさいでいるだけの物は、自分自身で、これらのノウハウを参考にして片づけたらよいと思った。ただ、ひとこと言いたい。人生を畳むときのために、減らせるだけ減らしてキャンプ的生活をするのだけはごめんだ。冗談じゃない。
私はコーヒーカップが好きで、一客ずつ、いろいろなカップを持っている。飾っているのではなくて、その日の気分によって選んで使うためだ。カップなんて、ひとつあれば充分だというならば、歯磨きの時のカップも、コーヒーを飲むときも、緑茶の時も同じカップで足りるのである。一事が万事で私の回りには余分と見える物が溢れている。どれも使っているのだから捨てるなどとは、もってのほかだ。さて、こうした日々の途中、突然死したならばどうなるか。主婦の友社の編集者たちにとってみれば、下の下の親ということになるだろう。しかし私は続けます。続けて豊かな日々を楽しむことにします。
もう一つ、欠落している部分を指摘したい。物語。物が語る、ということを主張したい。日本の一般家庭で、その家族、一族の代々の歴史を、綿密に正確に記録し続けている家庭がどのくらいあるだろうか。家族皆が知っていることとして、記録するには当たらない、と思うこともあるだろう。書き留める習慣から離れている家庭もあるだろう。忘れてしまいたいことが重なったために、記録するなど考えもしない場合もあるだろう。しかし、どの家にも残されるのは「もの」なのだ。物言わぬものが語ることの確かさと深さ。物を捨ててしまうことが、その家庭から何を奪うのか、想像してみて欲しい。
どうか、安易に物を捨てないでほしい。物が語ることを知って欲しい。国には正倉院がある。各家庭に正倉院的小函のひとつがあってもよいのではないか。