文房 夢類
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文房 夢類

孤独なボウリング

孤独なボウリング 米国コミュニティの崩壊と再生』(BOWLING ALONE)著者 ロバート・D・パットナム(ROBERT D.PUTNAM)発行 柏書房 2006年 ISBN4-7601-2903-0 C0036 ¥6800E 148X210 P692
著者は、1941年NY生まれ。現在ハーバード大学教授。比較政治学ほか広範な領域で多数の著書、論文を発表。邦訳書に『サミット』『哲学する民主主義』がある。
内容は、いままでのアメリカを支えてきた市民的つながりが減少している。これは、いつ、どこで、なぜ起こったのかを検証。後半の約200頁は、資料・図表・参照文献の出典、索引に当てられている。アメリカの近過去から現在にいたる市民生活者の意識と行動を、膨大な資料をもとに洗い出してみせる。
この本を読みたいと思った理由は、日本の各地域の自治会への疑問があったからだ。現象を拾い上げてみると、これは日本各地で起きている現象ではないか、と感じられるものがたくさんある。家族揃って食事をする回数の減少、結婚しない一人暮らしの増加。見るスポーツに人気があり、身体を動かすのはジムで、ひとりで行う。かろうじてボウリングが残っていると、著者は語る。それも、リーグボウリングをするのは減っている。ここでもひとりなのだ。ひとりで、自分のために時間を使う。インターネット、ペットと過ごすなど、我がことのようではないか。

しかし、日本と比べると、ひとつ違いがあった。それは、アメリカの市民生活の行動が自然発生的であること、これに比べて日本の場合は、もちろん自然発生的な部分はあるのだけれど、それ以前に「上」から指令されて作った組織が基礎になっていること、ここが違うと思った。江戸時代まで遡らなくても、戦争中は政府から「隣組」を作るように指令され、歌まで作って参加した。
(♪とんとん、とんからりと隣組 格子を開ければ顔馴染み ♪ 回してちょうだい回覧板 助けられたり助けたり♪)
これに参加しなかったら、配給を受けるにも、情報を受けるにも、何もできなかった。それだけではなく束縛も強かった。互いを監視して、無言、有言の束縛を互いに課した。その後、分譲地に住宅がひしめくようになったが、ここでも自治会が結成されて、公報の類いも自治会を通じて配られるし、国勢調査の際の末端組織となって働きもする、国の便利屋さんみたいな部分を持ち現在に至っている。この自治会がいま、変わってきている。個人情報に関して神経を使うようになったからだろうか、回覧板に自治会員の死亡通知を載せなくなった。回覧板を回す回数が激減した。報せる内容がないのである。集合住宅も増えた。入居する人たちは自治会など関係ない。したがって自治会員は減って行く。家の修理や改築の際、隣近所に「ご迷惑をかけます、これこれ、しかじか」とゴミ捨ての朝に挨拶する、そんな光景はいつのまにか見かけなくなった。タオル1本持った業者が挨拶にまわるのである。

ここで終わるはずの感想は、昨夏、新潟県湯沢町に住んだために、まったく別の視野が開けたので付け加えたい。夢類20号で湯沢便りを書くつもりだけれど、魚沼地区をはじめ、山間部の各地域では、自治会にあたる組織がなかったら暮らせないのだと実感した。農作業や祭りもあろう。しかし、なによりも豪雪地帯で生きて行くためには、気を合わせ、力を合わせ、日取りを合わせ、時刻を合わせ、雪に備え、雪のウチに籠る、お互いの前世までも知り尽くしているような間柄となって、共に生き抜いて行くのである。ここでは、私がほざくような理屈は無用なのだ。大自然と直結している生活には、アメリカの近過去、日本の近過去、これらを超えた原初の「ひとのつながり」がある。いま、この姿を見つめることが、近未来へつながるのではないか、と思った。
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