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ヒロシマ

ヒロシマ』[増補版]HIROSHIMA 著者=ジョン・ハーシー John Hersey 訳=石田欣一/谷本清/明田川融 発行=法政大学出版局 1949年初版 2003年増補版 サイズ=128X187mm 246頁 ¥1500 ISBN4588316125
著者=1914~1994年 中国天津生まれ。父は宣教師。1925年に家族とアメリカへ戻り、イェール大、ケンブリッジ大に学び、作家シンクレアルイスの秘書を経てジャーナリスト。20年間、イェール大学で教える。 
   1946年6月に従軍記者として広島に来た。この時、本書の訳者の一人である谷本氏と出会う。
訳者=
石川欣一(いしかわ きんいち)= 1895~1959年 東京生まれ。東京大学英文科中退渡米。プリンストン大学卒。大阪毎日新聞学芸部、東京日日新聞学芸部、ロンドン特派員など務める。訳書に『第二次大戦回顧録』チャーチルなど
谷本 清(たにもと きよし)=1909~1986 香川県生まれ。関西学院神学部卒業後渡米。エモリー大学大学院卒業。1943年広島流山教会牧師に就任、爆心から3km地点で被爆。
              ヒロシマ・ピース・センター設立。広島文化平和センター理事長など
明田川融(あけたがわ とおる)=1963年新潟生まれ。法政大学法学部、同大大学院政治学。先行は日本政治外交史。
内容=1946年に著者が現地取材して記した第1~4章と、1985年に広島再訪で綴った第5章「ヒロシマその後」で構成。1949年初版の増補版。
   1946年の取材では、6人の被爆者の体験と見聞、第5章では、その後の人生の足取りを詳細にしたためた。
感想=2019年に、どこでどのようにして本書に出会ったか。世界的に有名な本書を、私は知らなかったのです。
それは2019年4月発行の岩波ブックレット『国家機密と良心:私はなぜペンタゴン情報を暴露したか』ダニエル エルズバーグDaniel Ellsberg を読んでいたら、文中にこの本『ヒロシマ』が出てきたのだ。著者が少年のときに、この『ヒロシマ』を泣きながら読んだ、そして父親に手渡し、父も読んだのだそうだ。人間が人間に、このようなことをした。このことがエルズバーグ父子の、それからの行動となってゆく。
『国家機密と良心』は、この本『ヒロシマ』なしには語れないものだった。私は、この本を知らなかった。ヒロシマとナガサキについては、数多の被爆者、あるいは被爆者から伝え聞いた語り部の言葉、数多のヒロシマ書籍。絵画の数々。あるいはマンハッタン計画に関わった科学者たちについての数多の著作、それから当時の彼らの日記……。
これらによって、あの惨劇被害の様相の全体を受け取ったと思っていた私は、まるで、初めてヒロシマのあの日に出会ったかのような気持ちにまみれた。さらに、その後の、一刻、一日、一月、年々が、今現在まで続いていることも手に受けたのだ。
ここに、本書『ヒロシマ』の持つ三つの要因が見える。
一つはハーシーさんが中国生まれであること。アメリカ育ちだが東洋で生まれたことが、どこか身近な感覚を呼んだのではないか。取材する側も、される側にとっても。
二つ目は、ハーシーさんがシンクレア・ルイスの秘書を務めていたこと。ルイスはアメリカ最初のノーベル文学賞受賞作家(1930年度)だ。『
本町通り』『エルマー・ガントリー』『バビット』など邦訳がある。
当時、ノーベル賞受賞理由としてあげられた特徴は、次のようなものだった。「機知とユーモア、新しいタイプの性格とともに、力づよい絵画的な描写力並びに想像力に対して」
『ヒロシマ』を読みながら私は「力づよい絵画的な描写力並びに想像力」を強く感じた。そう、極限状態の只中でありながら、ユーモアが、小さな微笑みがあることにも驚いた。
想像力とは、言うまでもなく人の心の内を想像する力のことだ。この中から理解といたわり、そしてその場その場のユーモアが醸し出される。
三つ目はキリスト教の存在である。ハーシーさんは父が宣教師だった。ヒロシマに来て出会った谷本清さんは、その時「自分の教会」を復興させようと走り回っていた牧師さんだ。そして数人を選び、取材しようとして選んだ数人の中の一人がウィルヘルム・クラインゾルゲさん。この方はカトリック・イエズス会のドイツ人神父さん。奇遇であるかのように、キリスト教が寄り集まった。
さて、8月の、その日の朝から始まる実況記は、第1章「音なき閃光」第2章「火災」に記される。次に第3、第4章「詳細は目下調査中」「黍と夏白菊」で、この爆弾はなんだ? という噂の広がり、マグネシウムの粉だ、電線に伝わって広がった、などの風評の中、本当のことがわかってくる。被爆の荒野に生え盛る夏草の描写が胸を打つ。やがて、助かった、生き残ったとホッとした人々が病気にかかってゆく有様が描かれる。激しい脱毛、死んでゆく人、生き残った人たち。この時、なぜ? の答えはなかったのだ。
1985年に再び広島を訪れたハーシーさんが、本書に追加した第5章「ヒロシマ その後」では、1946年に取材した6人のその後をたどっている。クラインゾルゲ神父のその後も語られる。原爆症に日夜苦しむ神父さんはミサを行い、告解を聴き、聖書の教室を開く司祭の仕事をはじめ、シスターたちのために黙想会を行い、被爆者を見舞い、若い母親に代わって子守もしていた。そして日本に帰化して高倉誠という名前になっていた。そして高倉神父は1977年に天に召された。
ハーシーさんは小説書きとしての技量と、ジャーナリストとしての視点を組み合わせ、暖かく豊かな想像力を持って小さな声を聞き取る。周辺の自然に目を配り、草も魚も、目の前に見えるように鮮やかだ。その点、アレクシェーヴィチさんと共通するものがある。
ハーシーさんもスベトラーナ・アレクシェーヴィチさん(2015年ノーベル文学賞)も同じだが、向かい合い、相手の言葉に聞き入る姿が、言葉以前に語り手の心を開かせるに違いない、溜めていた悲しい思いを受け止めてくれる、と信じられたからこそ口を開いたに違いない、傷ついた人たち。
こうした後世に残る大仕事は、小手先の技術では手が届かない。傷ついた人の鋭敏な魂が信じることができた、ということが始まりであり、すべてである。
この本は多くの国々に翻訳されて広まり、今もネットを検索すると詳しく知ることができる。ハーシー氏の写真も出ている。
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