樹木たちの知られざる生活
09-02-18-11:24-
『樹木たちの知られざる生活』副題=森林監理者が聴いた森の声 著者=Wohlleben,Peter ヴォールレーベン ペーター 訳=長谷川 圭 発行=早川書房2017年 B6版 263頁 ISBN9784152096876 ¥1600
著者=1964年、ドイツのボン生まれ。大学で林業専攻。ラインラント=プファルツ州営林署で20年勤務後、フリ−ランスで森林管理。
訳者=ドイツ文学翻訳家。
内容=ドイツで長年、森林管理をしてきた著者が、豊かな経験から得た知識を基礎に、深い洞察を持って森、樹木を語る。本書は世界的ベストセラーとなり34国で訳され、邦訳が出た。
感想=新緑のハイキング、紅葉狩りを楽しむ日本人は、四季折々の自然を愛でることが大好きだ。これは春夏秋冬のメリハリがはっきりとしている国だということもあるのだろう。
だからこの本はワクワクして読み切るだろう。庭がなくとも植木鉢を置いて育てたがる私たち、少しならわかっている植木のこと。そういう私たちが読むと、やっぱりそうなんだ、と思い当たる樹木たちの生活が、森林監理者という、実際に年中、森の中にいる人によって語られている。
例えば、助け合う木。危険を知らせる木。こういう「行い」は木とも思えないが、木々はやっているのだ。
地上と地下の、両方にまたがって生きるという、動物とは違う生き方も、手にとるように理解できた。だいたい、地上と地下の両方にまたがって生活しているんだ、などと考えたこともなかったのだ。
著者が言う、「樹木同士の友情というような表現は、例えのようなものであって、現実の樹木たちは、ひたすらたくましく生き抜こうとしているんだな」。
ただ、著者はドイツ人で、ドイツの森林と共に生きる人なのだ。このことを踏まえて読む必要があると思う。というのは、気候風土がドイツと日本では全く違うからだ。
著者は、ドイツの森がどのような姿をしているかを、非常に丁寧に説明してくれている。著者は、この説明が必要不可欠なものだということを熟知している。この部分は読まねばならぬ、日本の森、あるいは里山とは別世界だということを知る必要があるからだ。
以前、グリム童話の勉強をした時に、ドイツ文学の教授がドイツの森について時間をかけて解説してくれたことを思い出した。日本人が森に対して持っている常識、認識とは全く違うんですよ、赤ずきんちゃんは、ドイツの森を歩いていたんです。
同時に音楽学の教授が、ベートーベンは失恋をするたびに交響曲を云々、という話のついでに、楽想を練るときに彼は森に一人で踏み入り、猛烈な速さで「散歩」をしたということを話してくれたことも思い出した。
今、この本を読んだことで、ドイツの森は赤ずきんちゃんでも歩ける森で、ベートーベンがつまづくことなく、足元も見ないで相当な速さで突進的に歩くことができたことも、はじめて納得がいったのだった。
ドイツ人も日本人も、共に人間であるという共通項がある、これを樹木たちも持っていて、共通部分に関しての樹木の気持ちと行動は実に面白く、新鮮で発見が多い。
著者=1964年、ドイツのボン生まれ。大学で林業専攻。ラインラント=プファルツ州営林署で20年勤務後、フリ−ランスで森林管理。
訳者=ドイツ文学翻訳家。
内容=ドイツで長年、森林管理をしてきた著者が、豊かな経験から得た知識を基礎に、深い洞察を持って森、樹木を語る。本書は世界的ベストセラーとなり34国で訳され、邦訳が出た。
感想=新緑のハイキング、紅葉狩りを楽しむ日本人は、四季折々の自然を愛でることが大好きだ。これは春夏秋冬のメリハリがはっきりとしている国だということもあるのだろう。
だからこの本はワクワクして読み切るだろう。庭がなくとも植木鉢を置いて育てたがる私たち、少しならわかっている植木のこと。そういう私たちが読むと、やっぱりそうなんだ、と思い当たる樹木たちの生活が、森林監理者という、実際に年中、森の中にいる人によって語られている。
例えば、助け合う木。危険を知らせる木。こういう「行い」は木とも思えないが、木々はやっているのだ。
地上と地下の、両方にまたがって生きるという、動物とは違う生き方も、手にとるように理解できた。だいたい、地上と地下の両方にまたがって生活しているんだ、などと考えたこともなかったのだ。
著者が言う、「樹木同士の友情というような表現は、例えのようなものであって、現実の樹木たちは、ひたすらたくましく生き抜こうとしているんだな」。
ただ、著者はドイツ人で、ドイツの森林と共に生きる人なのだ。このことを踏まえて読む必要があると思う。というのは、気候風土がドイツと日本では全く違うからだ。
著者は、ドイツの森がどのような姿をしているかを、非常に丁寧に説明してくれている。著者は、この説明が必要不可欠なものだということを熟知している。この部分は読まねばならぬ、日本の森、あるいは里山とは別世界だということを知る必要があるからだ。
以前、グリム童話の勉強をした時に、ドイツ文学の教授がドイツの森について時間をかけて解説してくれたことを思い出した。日本人が森に対して持っている常識、認識とは全く違うんですよ、赤ずきんちゃんは、ドイツの森を歩いていたんです。
同時に音楽学の教授が、ベートーベンは失恋をするたびに交響曲を云々、という話のついでに、楽想を練るときに彼は森に一人で踏み入り、猛烈な速さで「散歩」をしたということを話してくれたことも思い出した。
今、この本を読んだことで、ドイツの森は赤ずきんちゃんでも歩ける森で、ベートーベンがつまづくことなく、足元も見ないで相当な速さで突進的に歩くことができたことも、はじめて納得がいったのだった。
ドイツ人も日本人も、共に人間であるという共通項がある、これを樹木たちも持っていて、共通部分に関しての樹木の気持ちと行動は実に面白く、新鮮で発見が多い。