文房 夢類
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ジャクソン・ポロックとリー・クラズナー

ジャクソン・ポロックとリー・クラズナーJackson Pollock and Lee krasner 著者=イネス・ジャネット エンゲルマン 訳=杉山悦子発行=岩波書店 岩波アート・ライブラリー 2009年 サイズ=187X275mm 98頁 ¥2800 ISBN9784000089944
著者=Ines Janet Engelmann ノンフィクション作家。画家に関する著作、特に印象派の画家に関する著作が多い。
内容=アメリカの抽象画家ジャクソン・ポロックと妻の画家リー・クラズナーの出会いから死までを辿りながら主要作品と折々のふたりの写真を載せる。巻末に二人の年譜・主要日本語文献・写真クレジット。 原書は2007年にミュンヘンで発行。
感想=ポロックが、あの独特の画風に至る前の、若い時の自画像や、その頃の写真から始まる。画家人生をスタートして間もないクラズナーが出会ったのは、やはりまだ絵の行く手が見えず混迷する時代のポロックだった。
1908年生まれのリー・クラズナーと1912年生まれのジャクソンの出会いは、リーが彼の絵が持つ力を彼自身よりも先に確信した時に始まった。
彼を見出し、賞賛し、励まし、支える。しかも自分自身も制作する。ポロックが彼女の揺るぎない彼の才能に対する確信と愛の力で、彼自身の才能を発掘、発見し成長してゆく。
ポロックとクラズナーが等分に描かれることによって、ポロックへの理解が深まり、全く知らなかったリー・クラズナーについて興味を持った。それは画家としての興味と並び、パートナーとしての生き方に対する関心である。
ポロックが44歳で自分が運転する車で即死するまでの人生は束の間の花火のような年月だった、しかも本人は、彼自身が生み出した輝きを目にすることなく目を閉じたのだ。名声も富も、この世で味わうことはなかった。
リーは、76歳で亡くなるまで制作を続け、ポロックの巨額の遺産を引き継ぎ、展覧会を開くなど活躍する。
年譜のページに出ているリーのモノクロのポートレートは、写真家ハーバート・マター撮影。このページのリー・クラズナーの写真のためだけに、本書を開いても惜しくない。
マターは、リーよりも1歳年上で、1984年に亡くなっている。フォトモンタージュを始めたグラフィックデザイナーでもある。
マターや、ポラックの時代から、芸術の中心がニューヨークに移った感がある。大きな転換期を作った人々だ。
もしかするとクラズナーが、彼女の作品にモンタージュ手法を取り入れるようになったのは、マターとの付き合いがあったことが影響しているのかもしれない。
マターと彼の妻のメルセデスは、ポロック夫妻と非常に親密であったから、お互いの進む道の行く手が見えていたのだろう。
追記
以上で終わるつもりだったが、最も心に残る部分を抜かしていた。忘れたのではない、哀れな物語は伝えたくないものだ。
ジャクソン・ポロックは家庭を持つことに憧れを持っていた。なにより子供が欲しかった。子供を囲む父と母、特に優しい母の像を夢見ていたのだろう。彼の母は、そういう女性ではなかった。彼が描いた母と思える像は、恐ろしい悪魔以上に見える。
一方、妻のリー・クラズナーは、子供を拒否した。というか普通の家庭を作ろうという発想がなかった。彼女は、自分の生むものは絵画だと決めており揺るがなかった。夫を愛し、尊敬していたが、家庭云々については耳も貸さなかったのではなかろうか。そして、相変わらずジャクソンの作品が無視され続ける日々のなか、リーの作品が多少のお金をもたらしたとき、彼女はイギリスへの単独旅行を企てる。この時期は、夫のジャクソンが新しい女性と関わり始めた時期と重なる。
どちらが先かはわからないが、破局の場面であることは二人ともわかっていた。そして二人とも、以前にも増す強い愛を、お互いに向け続けていたことが破滅を招いたのではないか、破局ではなく。
リーがイギリスに発ったすぐ後に、ジャクソンは自分の車の助手席に女友達を乗せ、もう一人の女友達を後部座席に乗せて暴走、自宅近くの立木に激突した。ポロックと、一人の女性が即死、もう一人の女性が重傷を負った。
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