出版と社会
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『出版と社会』 著者 小尾俊人(おび としと)発行 幻戯書房 2007年9月 ISBN 978-4-901998-28-4 C0095 ¥9500E 198mm x 210mm 656ページ
著者は、1922年、長野県生まれ。敗戦後、山崎六郎、清水丈男とともに「みすず書房」を創業。以来、編集責任者を45年つとめ、1990年に退職した。『本が生まれるまで』ほか、著書、編著多数。2011年8月15日 没 86歳
本書は、退職後にまとめた大著。「出版クラブだより」に連載されたものを元にして加筆、写真図版などを加えたものである。私からの眺めでは、歴史の場面だが、編集者として、出来事と関わり、事件と並走し、同じ部屋で見聞きした45年間を回想し、たくさんの資料を提供しつつ記している。振り返る彼にとっては、束の間の半世紀であり、過去ではない、常に現在であったろう。
冒頭に「関東大震災(大正十二年)がもたらしたこと」という題で26ページにわたり記している。が、やはり編集者だ、そのとき講談社の野間清治は。そのとき丸善の顧問であった内田魯庵が、なんと書いたか、と立ち位置と視線は見事に決まっている。当時「婦人公論」の編集長だった嶋中雄作が、震災の1月後に書いた文を紹介している。
「社会主義者が幾年もかかって未だ成し遂げなかった平等を、自然はわけもなくやってしまった。金持も貧乏人も、大臣も馬丁も、学者も愚者も‥‥(中略)そのどこに区別があったというのだ。新聞が正規に発行されていたなら、あれほどの流言飛語が行われはしなかったろうし、可哀想な人間をあれほど苛めなくても済んだであろうに」
いま、東日本大震災の最中であり、小尾氏は、その直中の8月、それも15日という日に亡くなられたのだ。大震災から大震災までを生きた編集人。本書は、昭和の出版史として、研究者にとって貴重な史料であることは確実だが、登場する人々が躍動するさまを読んでいると、興味津々で時を忘れる。が、決してゴシップ集ではない、至る所に著者の高い見識、編集に対する自負、謙虚な人柄が伺われる重い書物である。
著者は、1922年、長野県生まれ。敗戦後、山崎六郎、清水丈男とともに「みすず書房」を創業。以来、編集責任者を45年つとめ、1990年に退職した。『本が生まれるまで』ほか、著書、編著多数。2011年8月15日 没 86歳
本書は、退職後にまとめた大著。「出版クラブだより」に連載されたものを元にして加筆、写真図版などを加えたものである。私からの眺めでは、歴史の場面だが、編集者として、出来事と関わり、事件と並走し、同じ部屋で見聞きした45年間を回想し、たくさんの資料を提供しつつ記している。振り返る彼にとっては、束の間の半世紀であり、過去ではない、常に現在であったろう。
冒頭に「関東大震災(大正十二年)がもたらしたこと」という題で26ページにわたり記している。が、やはり編集者だ、そのとき講談社の野間清治は。そのとき丸善の顧問であった内田魯庵が、なんと書いたか、と立ち位置と視線は見事に決まっている。当時「婦人公論」の編集長だった嶋中雄作が、震災の1月後に書いた文を紹介している。
「社会主義者が幾年もかかって未だ成し遂げなかった平等を、自然はわけもなくやってしまった。金持も貧乏人も、大臣も馬丁も、学者も愚者も‥‥(中略)そのどこに区別があったというのだ。新聞が正規に発行されていたなら、あれほどの流言飛語が行われはしなかったろうし、可哀想な人間をあれほど苛めなくても済んだであろうに」
いま、東日本大震災の最中であり、小尾氏は、その直中の8月、それも15日という日に亡くなられたのだ。大震災から大震災までを生きた編集人。本書は、昭和の出版史として、研究者にとって貴重な史料であることは確実だが、登場する人々が躍動するさまを読んでいると、興味津々で時を忘れる。が、決してゴシップ集ではない、至る所に著者の高い見識、編集に対する自負、謙虚な人柄が伺われる重い書物である。