夜と霧
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『夜と霧』EIN PSYCHOLOGE ERLEBT DAS KONZENTRATIONSLAGER in.....trotzdem Ja zum Leben (心理学者、強制収容所を体験する)新版 ヴィクトール・E・フランクル著 池田香代子訳 発行=みすず書房 2002年 20cm 169頁 ¥1500 4-622-03970-2 初版=1947年 新版=1977年
著者=VIKTOR E. FRANKL 1905~97 ウィーン生まれ。フロイト、アドラーに師事、ウィーン市立病院神経科部長。彼の一家はユダヤ人であったが故に収容所に送られ、両親、妻、子どもたちは殺され、あるいは餓死した。著書『死と愛』『フランクル回想録』など
内容=半世紀読み継がれてきた本書は、世界中で600万人が読んだと言われるロングセラー。ナチスの収容所生活記録。
感想=愛と死と祈りが木霊する、この記録は、人間が存在する限り、読み継がれるにちがいない。フランクルの精神は、深く内面に進み、広がり、アウシュヴィッツから始まっているものの、世界じゅうに行き渡る普遍性を持っている。それ故に、万人の心にしみ通る。実は、ここだけの特別のことじゃない、どこにでも起きることなのだ、と読む人は感じるだろう。また、フランクルの観察の通り、親衛隊にも尊い人がいて、被収容者のなかにもサディストがいた。立場がどうあれ、人には、それぞれの本性があり、究極、本音が現れることを見せつける。
「『夜と霧』と私ー旧版訳者のことば」として巻末に霜山徳爾氏の短文が添えられ、続いて池田香代子氏のあとがきがある。池田香代子氏が新訳を世に送り出すにあたり、訳文の一端を霜山徳爾氏に見て貰い、その場で出版社を紹介して貰ったことが記されていて、それは傍目にも好感の持てる清々しい姿だ。両者の訳それぞれに良いところがあるので、新旧ともに読み継がれることだろう。さて、この霜山徳爾氏の巻末の文章の一部を、ここに紹介する。
「このような超国家主義の悲劇は、周知のように本邦にも存在し、多くの死と不幸を人々にもたらした。軍閥は相克しつつ堕落し、良識ある国民、特に知識階級に対しては、国家神道の強制、および治安維持法による(ナチスに負けない)残忍な逮捕、無期限な留置、拷問、懲役、で「転向」を強制するのであった。戦争の末期に至るや、「特攻」作戦と称して強制的な命令によって、あらゆる中古機、古い水上機などを主として、これを爆装して、陸海軍合わせてなんと七千名の少年兵出身で、やっと操縦できる程度の練度の低いパイロットをのせて、いわゆる「神風」の体当たり作戦に投じ、ほとんど全滅であった。この無法な作戦の上奏に対して、天皇が許可しなければそれまでであった。しかし彼は黙認してしまった。私には未だに血の逆流する想いが断ち切れない。フランクルの書はこの時、「大いなる慰め」である。」 以上、引用終わり。
収容所で被収容者を痛めつける「監督」らは、人でなしのサディストだ、しかし、こうした設定を思いついた「上の方の誰か」がいたのだ。どうして、こんな恐ろしい事を思いつくことが出来たのか? 書類が回って、次々に承認して、決定したのではなかったか。私は、この人達こそ、極悪人だと思うのだ。もしかして、こうした「上澄み」は、罪にもならずに、目立たぬように群衆に溶け込んでしまったのではなかろうか?
日本の場合も同じなのだ。「夢類」の「同人誌の原っぱ」にも、ベニヤ板で作ったボートで、敵艦に「特攻」させられたことを書いた作品がある。上の方の誰が思いついたのだ? 誰が賛成したのだ? 霜山氏が書いているとおり、日本の場合、誰が、何を思いついたとしても、天皇が「あ、そう」と首を縦に振らなければ、事態は進まなかったはずだ。「特攻」は阻止できたのだ。私の血も逆流している。卑怯者だと思いませんか? 黙認とは。その息子夫婦にしたって、あっちこっち訪問しては、「たいへんでしたねえ」「からだに気をつけて」などと言っているが、止めてくれ、と言いたい。彼ら夫婦が欲しているのは、国民からの賞賛のまなざしなのだ。食うには困らぬ、知名度はある、あとは、際限なく欲しいのは、拍手なのだろう。ほんとうに、しなければならないことは何だろう。発言すべき言葉がありはしないか。安住のなかで、口当たりの良いことを言っているだけに見えるのだ。
特定秘密保護法。そして集団的自衛権。これを目の前にして、逆流したり煮えくりかえっていても始まらない。どうしてくれよう。
著者=VIKTOR E. FRANKL 1905~97 ウィーン生まれ。フロイト、アドラーに師事、ウィーン市立病院神経科部長。彼の一家はユダヤ人であったが故に収容所に送られ、両親、妻、子どもたちは殺され、あるいは餓死した。著書『死と愛』『フランクル回想録』など
内容=半世紀読み継がれてきた本書は、世界中で600万人が読んだと言われるロングセラー。ナチスの収容所生活記録。
感想=愛と死と祈りが木霊する、この記録は、人間が存在する限り、読み継がれるにちがいない。フランクルの精神は、深く内面に進み、広がり、アウシュヴィッツから始まっているものの、世界じゅうに行き渡る普遍性を持っている。それ故に、万人の心にしみ通る。実は、ここだけの特別のことじゃない、どこにでも起きることなのだ、と読む人は感じるだろう。また、フランクルの観察の通り、親衛隊にも尊い人がいて、被収容者のなかにもサディストがいた。立場がどうあれ、人には、それぞれの本性があり、究極、本音が現れることを見せつける。
「『夜と霧』と私ー旧版訳者のことば」として巻末に霜山徳爾氏の短文が添えられ、続いて池田香代子氏のあとがきがある。池田香代子氏が新訳を世に送り出すにあたり、訳文の一端を霜山徳爾氏に見て貰い、その場で出版社を紹介して貰ったことが記されていて、それは傍目にも好感の持てる清々しい姿だ。両者の訳それぞれに良いところがあるので、新旧ともに読み継がれることだろう。さて、この霜山徳爾氏の巻末の文章の一部を、ここに紹介する。
「このような超国家主義の悲劇は、周知のように本邦にも存在し、多くの死と不幸を人々にもたらした。軍閥は相克しつつ堕落し、良識ある国民、特に知識階級に対しては、国家神道の強制、および治安維持法による(ナチスに負けない)残忍な逮捕、無期限な留置、拷問、懲役、で「転向」を強制するのであった。戦争の末期に至るや、「特攻」作戦と称して強制的な命令によって、あらゆる中古機、古い水上機などを主として、これを爆装して、陸海軍合わせてなんと七千名の少年兵出身で、やっと操縦できる程度の練度の低いパイロットをのせて、いわゆる「神風」の体当たり作戦に投じ、ほとんど全滅であった。この無法な作戦の上奏に対して、天皇が許可しなければそれまでであった。しかし彼は黙認してしまった。私には未だに血の逆流する想いが断ち切れない。フランクルの書はこの時、「大いなる慰め」である。」 以上、引用終わり。
収容所で被収容者を痛めつける「監督」らは、人でなしのサディストだ、しかし、こうした設定を思いついた「上の方の誰か」がいたのだ。どうして、こんな恐ろしい事を思いつくことが出来たのか? 書類が回って、次々に承認して、決定したのではなかったか。私は、この人達こそ、極悪人だと思うのだ。もしかして、こうした「上澄み」は、罪にもならずに、目立たぬように群衆に溶け込んでしまったのではなかろうか?
日本の場合も同じなのだ。「夢類」の「同人誌の原っぱ」にも、ベニヤ板で作ったボートで、敵艦に「特攻」させられたことを書いた作品がある。上の方の誰が思いついたのだ? 誰が賛成したのだ? 霜山氏が書いているとおり、日本の場合、誰が、何を思いついたとしても、天皇が「あ、そう」と首を縦に振らなければ、事態は進まなかったはずだ。「特攻」は阻止できたのだ。私の血も逆流している。卑怯者だと思いませんか? 黙認とは。その息子夫婦にしたって、あっちこっち訪問しては、「たいへんでしたねえ」「からだに気をつけて」などと言っているが、止めてくれ、と言いたい。彼ら夫婦が欲しているのは、国民からの賞賛のまなざしなのだ。食うには困らぬ、知名度はある、あとは、際限なく欲しいのは、拍手なのだろう。ほんとうに、しなければならないことは何だろう。発言すべき言葉がありはしないか。安住のなかで、口当たりの良いことを言っているだけに見えるのだ。
特定秘密保護法。そして集団的自衛権。これを目の前にして、逆流したり煮えくりかえっていても始まらない。どうしてくれよう。