Newton ニュートン 2011.6
07-08-11-16:35-
「ニュートン」 2011年6月号 ニュートンプレス 毎月7日発行 編集人 水谷 仁 発行人 高森圭介 ¥1000 275mm X 210mm P146
大特集 原発と大震災
表紙の文字 脅威のM9、悪夢のツナミ すでにチェルノブイリ級のレベル7 福島原発
不気味にひかえる 首都圏、東海、東南海、南海 超巨大地震 110 ページ緊急総特集
特集の内容は,大きく四つに分かれている。1、東日本大地震 詳報 2、巨大地震はこうしておきた 3、福島原発事故の分析 4、次にひかえる超巨大地震
大判で,カラー印刷が鮮明。図版が分かり易い。まったく知識のない私が見ても、吸収、納得、把握できる。
正確、豊富な知識、情報を土台として、一般読者に向けて平易、簡潔、明快に解説、提示してくれている。とくに福島原発について、私は本誌を底本として日々の情報に接してきた。非常に良心的な内容。
もっとも心を動かされたのは、P10,11 見開き2ページにわたるNewton 編集長 水谷 仁の巻頭言「緊急特集号によせて」であった。巻頭言としては、異例の長さであるが、読み応えのある内容である。
水谷編集長が冒頭で述べる、「いささかなりとも地球科学を学んだ私は、このような大きな災害をもたらした自然現象の発生をなぜ、あらかじめ人々に伝えられなかったのか、なぜ必要な防災組織をつくりあげられなかったのか、深い悔恨の思いにとらえられている」続いて「理論的にありえる失敗は、かならずおこる」。「どうして、日本にもマグニチュード9以上の地震がおこりえる、ともっと大きな声を発しなかったのか? これが地球科学者としての私の悔恨の大きな理由である。」と述べる。
この深い悔恨の上に立って水谷編集長は希望する。日本の人々よ、学ぼう。我々は随時報告する。科学する力が、まだ日本人ひとりひとりの身となり肉となっていない。正しい科学的能力を涵養することこそ、将来の日本には大切だ。報道される内容を正しく判断できる力も求められている。
巻頭言の内容の真髄を披露したのは、本誌をまだ読んでいない方へお報せしたい故である。この心が読者に通じて、第4章の「次にひかえる超巨大地震」を開いてくださることを心より願う。この真剣、真摯な送り手に対し、受け手の読者もまた、それぞれの年齢、境遇において、一所懸命に受け止めて、学ぶ必要があるのだ。
内容とは別に、小説書きの身として、どうしても言いたいことがある。
この巻頭言は、よい日本語であります。美しい日本語です。力強さを持っています。素直に、まっすぐ読み手の心に、水谷編集長の思いが流れ入ります。こういう言葉が、日本語です。
どこが? と疑問に思う人がいるかもしれない。どこにも、立派な言い回しがあるわけではない、普通の、いつも皆が使い慣れている普段着の言葉だけが、普段のたたずまいでならんでいるだけではないか。
その通りなのだ、皆が普段、使い慣れている平易な言葉で、これだけの大きなことを、科学者の深い思いを伝えてくれているのだ。これこそが、人格であり、精神力というものだ。
見てください、聞いてください、最近の立派な地位にいる人々の言葉を。「しっかりとやる」「きっちりとやる」「しゅくしゅくとやる」
内容がスカスカだから、力を入れたいのだろうが、どれほど「しっかりと」と言ったって、空疎な寒風が吹き抜けるだけだ。
もうひとつ、どこかの字引から拾って来た聞き慣れない熟語をはめ込んで、恰好をつけた気になっているヤツ、誰かが使っていた文句を、「これだっ」と利用するヤツ。死んでしまえ、と罵りたい気持ちだ。
もうひとつ、メディアも弛んでいる。怠けている。怠惰である。逃げている。口を開けば「迫ります」という。迫ってくれなくてよいから、ごまかしは言うな、と言いたい。
大特集 原発と大震災
表紙の文字 脅威のM9、悪夢のツナミ すでにチェルノブイリ級のレベル7 福島原発
不気味にひかえる 首都圏、東海、東南海、南海 超巨大地震 110 ページ緊急総特集
特集の内容は,大きく四つに分かれている。1、東日本大地震 詳報 2、巨大地震はこうしておきた 3、福島原発事故の分析 4、次にひかえる超巨大地震
大判で,カラー印刷が鮮明。図版が分かり易い。まったく知識のない私が見ても、吸収、納得、把握できる。
正確、豊富な知識、情報を土台として、一般読者に向けて平易、簡潔、明快に解説、提示してくれている。とくに福島原発について、私は本誌を底本として日々の情報に接してきた。非常に良心的な内容。
もっとも心を動かされたのは、P10,11 見開き2ページにわたるNewton 編集長 水谷 仁の巻頭言「緊急特集号によせて」であった。巻頭言としては、異例の長さであるが、読み応えのある内容である。
水谷編集長が冒頭で述べる、「いささかなりとも地球科学を学んだ私は、このような大きな災害をもたらした自然現象の発生をなぜ、あらかじめ人々に伝えられなかったのか、なぜ必要な防災組織をつくりあげられなかったのか、深い悔恨の思いにとらえられている」続いて「理論的にありえる失敗は、かならずおこる」。「どうして、日本にもマグニチュード9以上の地震がおこりえる、ともっと大きな声を発しなかったのか? これが地球科学者としての私の悔恨の大きな理由である。」と述べる。
この深い悔恨の上に立って水谷編集長は希望する。日本の人々よ、学ぼう。我々は随時報告する。科学する力が、まだ日本人ひとりひとりの身となり肉となっていない。正しい科学的能力を涵養することこそ、将来の日本には大切だ。報道される内容を正しく判断できる力も求められている。
巻頭言の内容の真髄を披露したのは、本誌をまだ読んでいない方へお報せしたい故である。この心が読者に通じて、第4章の「次にひかえる超巨大地震」を開いてくださることを心より願う。この真剣、真摯な送り手に対し、受け手の読者もまた、それぞれの年齢、境遇において、一所懸命に受け止めて、学ぶ必要があるのだ。
内容とは別に、小説書きの身として、どうしても言いたいことがある。
この巻頭言は、よい日本語であります。美しい日本語です。力強さを持っています。素直に、まっすぐ読み手の心に、水谷編集長の思いが流れ入ります。こういう言葉が、日本語です。
どこが? と疑問に思う人がいるかもしれない。どこにも、立派な言い回しがあるわけではない、普通の、いつも皆が使い慣れている普段着の言葉だけが、普段のたたずまいでならんでいるだけではないか。
その通りなのだ、皆が普段、使い慣れている平易な言葉で、これだけの大きなことを、科学者の深い思いを伝えてくれているのだ。これこそが、人格であり、精神力というものだ。
見てください、聞いてください、最近の立派な地位にいる人々の言葉を。「しっかりとやる」「きっちりとやる」「しゅくしゅくとやる」
内容がスカスカだから、力を入れたいのだろうが、どれほど「しっかりと」と言ったって、空疎な寒風が吹き抜けるだけだ。
もうひとつ、どこかの字引から拾って来た聞き慣れない熟語をはめ込んで、恰好をつけた気になっているヤツ、誰かが使っていた文句を、「これだっ」と利用するヤツ。死んでしまえ、と罵りたい気持ちだ。
もうひとつ、メディアも弛んでいる。怠けている。怠惰である。逃げている。口を開けば「迫ります」という。迫ってくれなくてよいから、ごまかしは言うな、と言いたい。