文房 夢類
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文房 夢類

チェルノブイリの祈り

チェルノブイリの祈り-未来の物語-CHERNOBYL'S PRAYER 1997 著者=スベトラーナ・アレクシエービッチSvetlana Alexievich 訳=松本妙子 発行=岩波書店 2011年 岩波現代文庫 社会 225 ISBN9784006032258 P3111040
著者=2015年ノーベル文学賞受賞 1948年ウクライナ生まれ。ベラルーシ人の父とウクライナ人の母との間に生まれてベラルーシで育った。父が第二次大戦後に除隊したのちは、両親ともに教師であった。国立ベラルーシ大学卒業後、地方の複数の新聞社でレポーターとして働いたのち、ミンスクの文芸雑誌NEMANの記者となった。彼女は、この場でジャーナリストとしてのキャリアを積み、同時に劇的な出来事の証言を聞き取り語る腕を磨いていった。彼女が出会い、接し、聞き取ってきた出来事とは、たとえば「第二次世界大戦」「ソヴィエト・アフガン戦争」「ソヴィエト・ユニオンの崩壊」「チェルノブイリ原子力発電所事故」など。
2000年にルカシェンコ政権による政治的迫害を受け、ICORN(國際難民救済組織)の助けにより、ベラルーシを逃れて、パリ、スエーデン、ベルリンで10年間を過ごした。2011年にミンスクに戻った。

主要著書=『戦争は女の顔をしていない』『ボタン穴から見た戦争』『アフガン帰還兵の証言』ほか
本書は大勝利賞(ロシア)ヨーロッパ相互理解賞と最優秀政治書籍賞(ドイツ)を受賞したが、ベラルーシでの出版は言論統制のために取り消された。他、多数受賞

内容=チェルノブイリ原子力発電所事故に遭遇した人々へのインタビュー。消防士の妻・精神科医・父親・隣人・ただ、名前だけが記されている多くの人・母と娘・母親・兵士たち・大学講師・事故処理作業者・映画カメラマン・ジャーナリスト・共和国連名「チェルノブイリに盾を」副理事長・ブリビャチ市からの移住者・化学技師・核エネルギー研究所の元主任・環境保護監督官・歴史家・カメラマン・住人などなど。
目次を見ると、第1章を始める前に、二つの項目がある。「孤独な人間の声」と「見落とされた歴史について」。
「孤独な人間の声」は、チェルノブイリの大爆発の直後に、普通の大火事だと考えて駆けつけた消防士のひとり、ワシリーの妻、リュドミーラへのインタビューである。何も知らされていなかった消防士たち全員は、その日から14日間のあいだに、ひとり残らず死んでいった。新婚で、妊娠していたリュドミーラの生の声が刻まれている。
「見落とされた歴史について」は、自分自身へのインタビューである。著者自身の声は、ここだけに置かれる。最後に「私は未来のことを書き記している」と書いている。

巻末の解説は、戦場フォト・ジャーナリストで、DAYS JAPAN編集長の広河隆一が書いている。
感想=私が本書を読みたいと思ったわけは、今年のノーベル文学賞受賞作家の作品であり、ジャーナリストがノーベル文学賞を受賞するのは初めてである、とニュースで報道されたからだった。始めて目にする名前だった。ニュースの記事から、今年の受賞者が小説家ではなく、ジャーナリストであること、女性であること、国籍がベラルーシであることを知った。
著者は、私は未来のことを書き記している、と書いている。
しかし、本書のインタビューの、どこが未来のことなのだ? チェルノブイリの現実を写したものではないのか? ここに出てくるのは、アレクシェービッチが直接会い、質問をし、それに答えてくれた数多の人々が発した生の声を文字にしただけのものではないのか? 本書を開いた読者は、放射能の被害に遭った人々の悲惨な有り様を読み、その惨状に絶句し、恐れ、同情と哀しみにうちひしがれて本を閉じるかもしれない。しかしアレクシェービッチは、そのことを報せようとして書いたのではなかった、ここに書き記したことは未来のことなのだと、はっきり書いている。いったい、どこが未来なのだろう。
巻末の解説に書かれている広河隆一氏の言葉を、ここに置かせていただきたい。広河氏は以前に、冒頭の消防士の妻、リュドミーラに会い、話を聞き、書き留めたことがあるそうだ。その上で本書を読んだ感想である。
「しかし私が書き留めた言葉は、アレクシェービッチのそれとはまったく違っていた。私の記録には、輝きの片鱗も見られない。事実の羅列にすぎない。アレクシェービッチだからなしえたことがあったのだ。しかもこの本は、ドキュメンタリー文学の最高の傑作ともいえる力で驚くべき世界を伝えている。言葉とはこうしたことをなしとげるために存在しているのか、と思うばかりだ」
これ以上の感想は必要がないのではないか。広河氏の言うとおりだ。アレクシェービッチは強靱な精神力と忍耐を持って、深淵に沈む歴史世界から、いま現在へと、目をそらさずに直視し、さらに世界の未来へ視線を射通す。
始めて読み通したときの衝撃は、フクシマから受けた衝撃と重なる。「チェルノブイリ」を「フクシマ」に変換して読めることに誰しも愕然とするだろう。
本書をふたたび読み直すとき、行間から湧き出る命への思い、叫びに圧倒される。その愛の姿、愛の熱に目が眩む。命とは、人の一生とは。人が生まれて生きて、その生を終えてゆくことの持つ意味が、極限の様相の中で露わにされる。それは限りなく無惨な、きわめて美しい、たとえようもない尊厳に充ちた姿だ。全編の土台に染み渡る深い愛情と、胸底から噴出して已まない祈りの心が、今から未来へ向かって生きる人々へさしだされている。
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