除染と国家
06-09-19-10:17-
『除染と国家』副題=21世紀最悪の公共事業 著者=日野行介(ひの こうすけ)発行=集英社 2018 新書0957A 248頁 ¥860 ISBN9784087210576
著者=1975年生まれ。毎日新聞記者。九州大学法学部卒。1999年毎日新聞社入社。大津支局、福井支局敦賀駐在、大阪社会部、東京社会部、特別報道グループ記者を経て、水戸市局次長。
福島県民健康管理調査の「秘密会」問題や復興庁参事官による「暴言ツイッター」等の特報に関わる。
著書『福島原発事故 県民健康管理調査の闇』『福島原発事故 被災者支援政策の欺瞞』(岩波新書)『原発棄民フクシマ5年後の真実』(ま日新聞出版)など
内容=2011年の東京電力福島第一原発事故に伴う放射能汚染対策の中で大きな柱となった「除染」について環境省の非公開会合の記録を入手。これをもとに官僚、学者に直接取材をして暴いた。
目次を挙げる。序章 除染幻想ー壊れた国家の信用と民主主義の基盤 第1章 被災地に転嫁される責任ー汚染土はいつまで仮置きなのか 第2章 「除染先進地」伊達市の欺瞞
第3章 底なしの無責任ー汚染土再利用(1) 第4章 議事録から消えた発言ー汚染土再利用(2) 第5章 誰のため、何のための除染だったのか 第6章 指定廃棄物の行方 あとがき 原発事故が壊したもの 以上
感想= 世界史に刻まれる原発事故を最前線で報道したい、という出発点から5年間を、日野記者は調査報道に心身全てを投入してきた。これは、その間の「除染」に焦点を絞った部分の記録だ。
読みながら私は、私自身の、この数年間を振り返った。夢類の読書評は、読書をしながらの随想のようなもので、純粋な読書評を期待する向きには横道ばかりに映ることと思い、申し訳ないです。
さて、その横道風景。「夢類」第25号に出した紀行「神田川」の取材で都内の神田川沿いを歩いていたときのこと、産業廃棄物用の大型トラックが神田川を渡ってくる、これを避けて橋のたもとにいたときのことだ、生活道路を通る大型車だから、歩行者との間は50センチもない。徐行するトラックが産廃廃棄物ではない、汚染土という表示をつけていることに気づいた。これか、と眺めた。「汚染土」を、私は気にしていた。福島の汚染土の、軽い汚染度のものを公共土木工事に使う、という情報は本当だったんだな、とトラックを見送った。
墨汁やインクを一滴だけ、浴槽に垂らしてもわからない。これがインクでなくて有毒の液体だったとしたら? 吐き気もなく、肌が荒れる事もなかったら、誰にも気づかれることなく、一瓶のインクは何ヶ月もしないうちに空にできるだろう。
神田川沿いをグダグダと思いながら歩き、そして思った、福島の、あの膨大なフレコンバッグは次第に減ってゆくな? 特に埋め立て地などを探しまわらなくても、気づかないうちになくなってしまうんだ。そうして日本列島全体が汚染されきってしまうんだなあ。
このグダグダ思いは、あの太平洋戦争の時の記憶からもたらされるものだった、一千万人が餓死したと伝えられる敗戦直後の日本で、時の日本政府は、多少の国民が餓死して人口が減ったら、国としては儲けものだくらいに思っただろうと私は思っていた。ようやく新聞が読める年齢になった小学5、6年生の頃の記憶だ。棄民。国民を捨てるという意味。この棄民政策を、かつての日本政府は行ったことがある。政府は国を守ろうとしたが、国民を守ろうとはしなかった、むしろ消費した。これが太平洋戦争だった。
膨大なフレコンバッグだって、あの当時の政府と同じメロディを奏でればいいわけだ。そうすれば国の損害は少なくて済む。戦争の影響は子どもに現れる。国を信じることができない歪んだ性根、これは生涯続く後遺症だ。
いま私が信用しているものがある。それは一般市民が集まり、調べ上げて作った自費出版の本『17都県放射能測定マップ』だ。これを基にして観察を続ける。
福島第一原発事故の汚染地域のほとんどは山林地帯だ。事故後、この山林に火災が起きたことがあり、その直後から自宅の雨水を調べていたが明確に影響が現れた。雨水は黒い豆腐を崩したような塊でいっぱいになった。晴れ続きであれば気づく手立てはなかった。たちまち、何事も起こらなかったかのように黒い波紋は消えた。ニュースにもネットにも、このことはなかった。山林は、もともと除染の対象外だから、汚染のほとんどは、今も放置されているのだと思う。このころ庭に実生の松が芽を出した。見守るうちに30cmほどに伸びたが、枝の具合に疑念を抱き、写真を添えて環境庁に送ったが、梨のつぶてだった。
ここに、戦争を知らない1975年生まれという若い報道記者、あの太平洋戦争時代の苦い疑いの心を持たない若い世代の記者が、まっさらの時点から、澄んだ目で疑いの種を見つけ、この疑いに向かって自身の力の全て、情熱の全てを投入して突き進んだのだ。
そして私たちのところへ戻り、掴んだ手の指を開いて見せてくれたのだ、これらの著作として。
読んでいて、取材現場に一緒にいるような気持ちにさせられる、それは日野記者が等身大の普通の常識を持った普通の人として、当たり前のことを問いかけ、耳を傾けている故に違いない。
汚染土関係の片々を、いくつか転載します。役人と学者のプロジェクトチームの、削除された議事録より
「あくまで仮置き場であり、最終処分場と言ってはいけないということだ。そう言わないと福島県が受け入れてくれない。だから中間貯蔵施設というネーミングになった」
「敷地内に一応、溶鉱炉とか管理棟とかあるでしょ。あれが大事なんだ。ただのゴミ捨て場と言われないようにするためにね」
国を司る政府が、守るべき国民を守らない、国という形は守るが、国民は消費する対象であり、国が切羽詰まった時は捨てる(棄民)、このような過去を記憶するがゆえに、福島第一原発事故後の、国と東電の対応を見ると、過去とぴったりと重なる。
何もかも、あの戦争の時代と同じなんだ、繰り返している、と憤懣の思いを込めて振り返り、現実に帰った時、大きな驚き、信じられないが事実だ、と目を見張る違いに気づいた。
あの時と、今は違う。何が違うのか?
それは自由な言論が保障されていることだ。隠したり、ごまかしたりする根性は変わらず健在だとしても、隠された事実を掘り出して見せてくれる果敢な精神の持ち主が、確実に生まれ、育ち、成長しつつあるのだ。
その証拠が、この著作だ。あの、伏字の時代を振り返り、私は今、どれほどの恩恵に浴しているかを体で感じとっている。
神田川の橋のたもとで思ったことと、この本を読んで知ったことがつながり、私はようやく呼吸ができる自身を感じ取れた。
一般の私たちにできることは、あの時代には育つことのなかった記者たち、ジャーナリストたちのもたらしたものを受け取ることだ。
一人でも多くの、普通の国民たちが記者たちの仕事に目を向ければ、結果として言論の自由を守る力に加わることもできよう、言論封殺のための左遷、降格などの圧力をも防げるかもしれない。応援し続けよう。
「伏字」とは? ですって? 伏字とは、今時代の「のり弁」書類のようなものです。違うところは個人名や数字を黒塗りにするのではなく、気に入らない文章全般にわたり行うもの。
著者=1975年生まれ。毎日新聞記者。九州大学法学部卒。1999年毎日新聞社入社。大津支局、福井支局敦賀駐在、大阪社会部、東京社会部、特別報道グループ記者を経て、水戸市局次長。
福島県民健康管理調査の「秘密会」問題や復興庁参事官による「暴言ツイッター」等の特報に関わる。
著書『福島原発事故 県民健康管理調査の闇』『福島原発事故 被災者支援政策の欺瞞』(岩波新書)『原発棄民フクシマ5年後の真実』(ま日新聞出版)など
内容=2011年の東京電力福島第一原発事故に伴う放射能汚染対策の中で大きな柱となった「除染」について環境省の非公開会合の記録を入手。これをもとに官僚、学者に直接取材をして暴いた。
目次を挙げる。序章 除染幻想ー壊れた国家の信用と民主主義の基盤 第1章 被災地に転嫁される責任ー汚染土はいつまで仮置きなのか 第2章 「除染先進地」伊達市の欺瞞
第3章 底なしの無責任ー汚染土再利用(1) 第4章 議事録から消えた発言ー汚染土再利用(2) 第5章 誰のため、何のための除染だったのか 第6章 指定廃棄物の行方 あとがき 原発事故が壊したもの 以上
感想= 世界史に刻まれる原発事故を最前線で報道したい、という出発点から5年間を、日野記者は調査報道に心身全てを投入してきた。これは、その間の「除染」に焦点を絞った部分の記録だ。
読みながら私は、私自身の、この数年間を振り返った。夢類の読書評は、読書をしながらの随想のようなもので、純粋な読書評を期待する向きには横道ばかりに映ることと思い、申し訳ないです。
さて、その横道風景。「夢類」第25号に出した紀行「神田川」の取材で都内の神田川沿いを歩いていたときのこと、産業廃棄物用の大型トラックが神田川を渡ってくる、これを避けて橋のたもとにいたときのことだ、生活道路を通る大型車だから、歩行者との間は50センチもない。徐行するトラックが産廃廃棄物ではない、汚染土という表示をつけていることに気づいた。これか、と眺めた。「汚染土」を、私は気にしていた。福島の汚染土の、軽い汚染度のものを公共土木工事に使う、という情報は本当だったんだな、とトラックを見送った。
墨汁やインクを一滴だけ、浴槽に垂らしてもわからない。これがインクでなくて有毒の液体だったとしたら? 吐き気もなく、肌が荒れる事もなかったら、誰にも気づかれることなく、一瓶のインクは何ヶ月もしないうちに空にできるだろう。
神田川沿いをグダグダと思いながら歩き、そして思った、福島の、あの膨大なフレコンバッグは次第に減ってゆくな? 特に埋め立て地などを探しまわらなくても、気づかないうちになくなってしまうんだ。そうして日本列島全体が汚染されきってしまうんだなあ。
このグダグダ思いは、あの太平洋戦争の時の記憶からもたらされるものだった、一千万人が餓死したと伝えられる敗戦直後の日本で、時の日本政府は、多少の国民が餓死して人口が減ったら、国としては儲けものだくらいに思っただろうと私は思っていた。ようやく新聞が読める年齢になった小学5、6年生の頃の記憶だ。棄民。国民を捨てるという意味。この棄民政策を、かつての日本政府は行ったことがある。政府は国を守ろうとしたが、国民を守ろうとはしなかった、むしろ消費した。これが太平洋戦争だった。
膨大なフレコンバッグだって、あの当時の政府と同じメロディを奏でればいいわけだ。そうすれば国の損害は少なくて済む。戦争の影響は子どもに現れる。国を信じることができない歪んだ性根、これは生涯続く後遺症だ。
いま私が信用しているものがある。それは一般市民が集まり、調べ上げて作った自費出版の本『17都県放射能測定マップ』だ。これを基にして観察を続ける。
福島第一原発事故の汚染地域のほとんどは山林地帯だ。事故後、この山林に火災が起きたことがあり、その直後から自宅の雨水を調べていたが明確に影響が現れた。雨水は黒い豆腐を崩したような塊でいっぱいになった。晴れ続きであれば気づく手立てはなかった。たちまち、何事も起こらなかったかのように黒い波紋は消えた。ニュースにもネットにも、このことはなかった。山林は、もともと除染の対象外だから、汚染のほとんどは、今も放置されているのだと思う。このころ庭に実生の松が芽を出した。見守るうちに30cmほどに伸びたが、枝の具合に疑念を抱き、写真を添えて環境庁に送ったが、梨のつぶてだった。
ここに、戦争を知らない1975年生まれという若い報道記者、あの太平洋戦争時代の苦い疑いの心を持たない若い世代の記者が、まっさらの時点から、澄んだ目で疑いの種を見つけ、この疑いに向かって自身の力の全て、情熱の全てを投入して突き進んだのだ。
そして私たちのところへ戻り、掴んだ手の指を開いて見せてくれたのだ、これらの著作として。
読んでいて、取材現場に一緒にいるような気持ちにさせられる、それは日野記者が等身大の普通の常識を持った普通の人として、当たり前のことを問いかけ、耳を傾けている故に違いない。
汚染土関係の片々を、いくつか転載します。役人と学者のプロジェクトチームの、削除された議事録より
「あくまで仮置き場であり、最終処分場と言ってはいけないということだ。そう言わないと福島県が受け入れてくれない。だから中間貯蔵施設というネーミングになった」
「敷地内に一応、溶鉱炉とか管理棟とかあるでしょ。あれが大事なんだ。ただのゴミ捨て場と言われないようにするためにね」
国を司る政府が、守るべき国民を守らない、国という形は守るが、国民は消費する対象であり、国が切羽詰まった時は捨てる(棄民)、このような過去を記憶するがゆえに、福島第一原発事故後の、国と東電の対応を見ると、過去とぴったりと重なる。
何もかも、あの戦争の時代と同じなんだ、繰り返している、と憤懣の思いを込めて振り返り、現実に帰った時、大きな驚き、信じられないが事実だ、と目を見張る違いに気づいた。
あの時と、今は違う。何が違うのか?
それは自由な言論が保障されていることだ。隠したり、ごまかしたりする根性は変わらず健在だとしても、隠された事実を掘り出して見せてくれる果敢な精神の持ち主が、確実に生まれ、育ち、成長しつつあるのだ。
その証拠が、この著作だ。あの、伏字の時代を振り返り、私は今、どれほどの恩恵に浴しているかを体で感じとっている。
神田川の橋のたもとで思ったことと、この本を読んで知ったことがつながり、私はようやく呼吸ができる自身を感じ取れた。
一般の私たちにできることは、あの時代には育つことのなかった記者たち、ジャーナリストたちのもたらしたものを受け取ることだ。
一人でも多くの、普通の国民たちが記者たちの仕事に目を向ければ、結果として言論の自由を守る力に加わることもできよう、言論封殺のための左遷、降格などの圧力をも防げるかもしれない。応援し続けよう。
「伏字」とは? ですって? 伏字とは、今時代の「のり弁」書類のようなものです。違うところは個人名や数字を黒塗りにするのではなく、気に入らない文章全般にわたり行うもの。