私の沖縄戦記
17-01-15-08:21-
『私の沖縄戦記』副題=前田高地六十年目の証言 著者=外間守善 発行=角川学芸出版 2012年4月 148mm 288頁 ISBN 9784044058043
著者=ほかま しゅぜん 1924年12月~2012年11月 沖縄県那覇市生まれ 言語学者。沖縄文化協会会長・沖縄学研究所所長・法政大学名誉教授。近代以来の沖縄研究の流れの上に立つ沖縄学の指導者。著作多数。琉球の万葉集といわれる『おもろさうし』のテキスト・辞典・総索引をはじめ、『琉球国由来記』『混効験集』等がある。また『南島歌謡大成』や『古語大辞典』を編纂して、沖縄の言語と文学の全貌を紹介した。
1988年、第6回東恩納寛惇賞(琉球新報社主催)を受賞。「おもろさうし」など古代南島歌謡を基礎資料に琉球文化の源流を解明しようとする研究が「他の追随を許さない業績」と評価された。1996年、『南島文学論』で角川源義賞受賞。2003年福岡アジア文化賞受賞。
沖縄学研究所は、1995年に私財を投じて東京都内に作ったもので、後進の指導に情熱を傾けた。
「角川日本文化図書資料館」のなかに、「外間守善文庫」として、外間氏の蔵書が寄贈されている。この蔵書は、琉球方言史のみならず、広く日本語史、日本文化史研究にとって極めて重要な文献群である。また、文学の面でも『南島文学論』など論著も多い。蔵書には、民俗学、国語学の一般書も含まれるが、沖縄地域に関する様々な図書が広く集められている。角川日本文化図書資料館は、東京・飯田橋の角川本社ビルの一郭。
内容=19歳で現地入隊した外間さんが、妹の静子さんの学童疎開が始まる頃から書き起こして、米軍が上陸して激闘、さいごに捕虜となるまでを記している。最後に証言編がつけられている。
感想=沖縄戦が終わって60年目に、外間さんは傘寿を迎えた。60年経った今だからわかったこと、書けること、言えることがたくさんある。と書いている。この体験戦記を、もしも戦後直後に書いていたら。それはない、書けなかった。それまで忘れていたのだろうか。そうじゃない。外間さんは「おわりに」で書いていられる。「この世のものとは思えない惨劇が繰り広げられた沖縄を背負うことなしに私の戦後の人生はあり得なかった。とは言え、戦争の話をするのはもちろん聞くことも耐えられない日が長く続いた」
長い年月を経た末に、歴史の真実をゆがめることなく世に語り、後世に残すことを使命と感じるようになって書いてくださったのが、この記録である。そして沖縄に未だに訪れない真の平和について考えてみたいと述べていられる。
日本兵ばかりが悲惨な目にあっていたのではない。アメリカの一等兵の日記体の証言記録「前田高地戦記」も載せている。「来る日も来る日も戦闘は続いた。……兵隊たちは、岩の間の裂け目を見つけ、その中に入り込み、前の方をバリケードで防ぎ疲労困憊して、昏睡状態に陥っていくのだった。その背後から、日本兵は岩の裂け目の奥にある穴から、彼らが眠っている間に、アメリカ兵ののどを切り裂くのだった」
日本の兵士たちの証言が、このあとに続く。悲惨というか残酷というか、無慮無数の人が殺され、死んでゆく姿である。「お前は決して俺の前に出るな。俺は死んでもいいがお前は死ぬな」と山田上等兵が言った、と証言する沖縄初年兵。兵隊より先に逃げおおせていた「上の人」。
巻末に沖縄県立芸術大学付属研究所教授 波照間 永吉氏の解説が置かれている。短いが底力のある、気迫の籠もった文で、戦記に留まらぬ思想書である本書を俯瞰し、把握するための重要な要素を持つ故に、必読の解説である。
「ありったけの地獄をひとつにまとめた」と米軍に言わしめた前田高地での激戦だけが、本書の内容であると受け取られるかと思うが、私は、この部分は「まえがき」なのであり「あとがき」として記されている部分こそが「本文」だと読んだ。「あとがき」のなかに、外間さんの思いが込められている。「以下に述べる箇条書きを年次を追って紙背まで読んで欲しい」として、「日本国憲法・対日講和七原則・対日講和条約・日米安全保障条約・日米地位協定」が記されて、平和憲法が呪縛されてゆく過程があらわである、と断じている。この後に続く3頁こそが本文だろう。
東日本大震災、福島第一原発の大事故を経験したいま、若い人たちも身にしみて理解でき、感じることができるはずだ。つかの間を元気づけられて、本心笑っているだろうか。いたわってくれる優しさへの感謝の笑みではなかろうか。阪神淡路大震災から20年経った、華やかに立ち直ったかに映る神戸ルミナリエ。時が解決するとは信じられない人たちが沈黙の闇に沈んでいるのがみえるだろう。そして辺野古ではいま、深夜、ひそかに機材を運び込み、沖縄の地と海を守ろうとしている人たちを出し抜こうとしている「上の人」、この姿を直視しよう。誇張も歪みもなしに、ありのまま、の状況を文字に刻んでくれた外間さんの戦記と「あとがき」の部分を、いま現在の私たちの生き方を確認するために、ひとりでも多く、読んで頂きたい。
著者=ほかま しゅぜん 1924年12月~2012年11月 沖縄県那覇市生まれ 言語学者。沖縄文化協会会長・沖縄学研究所所長・法政大学名誉教授。近代以来の沖縄研究の流れの上に立つ沖縄学の指導者。著作多数。琉球の万葉集といわれる『おもろさうし』のテキスト・辞典・総索引をはじめ、『琉球国由来記』『混効験集』等がある。また『南島歌謡大成』や『古語大辞典』を編纂して、沖縄の言語と文学の全貌を紹介した。
1988年、第6回東恩納寛惇賞(琉球新報社主催)を受賞。「おもろさうし」など古代南島歌謡を基礎資料に琉球文化の源流を解明しようとする研究が「他の追随を許さない業績」と評価された。1996年、『南島文学論』で角川源義賞受賞。2003年福岡アジア文化賞受賞。
沖縄学研究所は、1995年に私財を投じて東京都内に作ったもので、後進の指導に情熱を傾けた。
「角川日本文化図書資料館」のなかに、「外間守善文庫」として、外間氏の蔵書が寄贈されている。この蔵書は、琉球方言史のみならず、広く日本語史、日本文化史研究にとって極めて重要な文献群である。また、文学の面でも『南島文学論』など論著も多い。蔵書には、民俗学、国語学の一般書も含まれるが、沖縄地域に関する様々な図書が広く集められている。角川日本文化図書資料館は、東京・飯田橋の角川本社ビルの一郭。
内容=19歳で現地入隊した外間さんが、妹の静子さんの学童疎開が始まる頃から書き起こして、米軍が上陸して激闘、さいごに捕虜となるまでを記している。最後に証言編がつけられている。
感想=沖縄戦が終わって60年目に、外間さんは傘寿を迎えた。60年経った今だからわかったこと、書けること、言えることがたくさんある。と書いている。この体験戦記を、もしも戦後直後に書いていたら。それはない、書けなかった。それまで忘れていたのだろうか。そうじゃない。外間さんは「おわりに」で書いていられる。「この世のものとは思えない惨劇が繰り広げられた沖縄を背負うことなしに私の戦後の人生はあり得なかった。とは言え、戦争の話をするのはもちろん聞くことも耐えられない日が長く続いた」
長い年月を経た末に、歴史の真実をゆがめることなく世に語り、後世に残すことを使命と感じるようになって書いてくださったのが、この記録である。そして沖縄に未だに訪れない真の平和について考えてみたいと述べていられる。
日本兵ばかりが悲惨な目にあっていたのではない。アメリカの一等兵の日記体の証言記録「前田高地戦記」も載せている。「来る日も来る日も戦闘は続いた。……兵隊たちは、岩の間の裂け目を見つけ、その中に入り込み、前の方をバリケードで防ぎ疲労困憊して、昏睡状態に陥っていくのだった。その背後から、日本兵は岩の裂け目の奥にある穴から、彼らが眠っている間に、アメリカ兵ののどを切り裂くのだった」
日本の兵士たちの証言が、このあとに続く。悲惨というか残酷というか、無慮無数の人が殺され、死んでゆく姿である。「お前は決して俺の前に出るな。俺は死んでもいいがお前は死ぬな」と山田上等兵が言った、と証言する沖縄初年兵。兵隊より先に逃げおおせていた「上の人」。
巻末に沖縄県立芸術大学付属研究所教授 波照間 永吉氏の解説が置かれている。短いが底力のある、気迫の籠もった文で、戦記に留まらぬ思想書である本書を俯瞰し、把握するための重要な要素を持つ故に、必読の解説である。
「ありったけの地獄をひとつにまとめた」と米軍に言わしめた前田高地での激戦だけが、本書の内容であると受け取られるかと思うが、私は、この部分は「まえがき」なのであり「あとがき」として記されている部分こそが「本文」だと読んだ。「あとがき」のなかに、外間さんの思いが込められている。「以下に述べる箇条書きを年次を追って紙背まで読んで欲しい」として、「日本国憲法・対日講和七原則・対日講和条約・日米安全保障条約・日米地位協定」が記されて、平和憲法が呪縛されてゆく過程があらわである、と断じている。この後に続く3頁こそが本文だろう。
東日本大震災、福島第一原発の大事故を経験したいま、若い人たちも身にしみて理解でき、感じることができるはずだ。つかの間を元気づけられて、本心笑っているだろうか。いたわってくれる優しさへの感謝の笑みではなかろうか。阪神淡路大震災から20年経った、華やかに立ち直ったかに映る神戸ルミナリエ。時が解決するとは信じられない人たちが沈黙の闇に沈んでいるのがみえるだろう。そして辺野古ではいま、深夜、ひそかに機材を運び込み、沖縄の地と海を守ろうとしている人たちを出し抜こうとしている「上の人」、この姿を直視しよう。誇張も歪みもなしに、ありのまま、の状況を文字に刻んでくれた外間さんの戦記と「あとがき」の部分を、いま現在の私たちの生き方を確認するために、ひとりでも多く、読んで頂きたい。