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文房 夢類
文房 夢類
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夢類日記 終了

12月が目の前に、もう迫ってきた。日本各地には数多の祭りがあり、それらは農耕社会の人々の、秋の実りへの感謝、地域を守ってくれる神々への感謝、そしてさらなる守護を祈念する催しだ。そして真冬に入り、お正月を迎える。
アメリカやカナダでは、同じ意味を持つ感謝祭が催される。この日は七面鳥の丸焼きを作り、秋の実りの数々を料理して飾り、家族が集い祝い楽しむ。どうして七面鳥なのかという理由は、聞いた話だがピルグリムがメイフラワーでやってきたとき、荒野のブッシュを駆けまわる、すごい面相の大きな鳥を見つけて捕まえて飢えをしのいだのが始まりだという。大きな木製のお皿の真ん中に丸々と太った大きな七面鳥の丸焼、その周りをマッシュポテトやトウモロコシや、いろんなご馳走で取り囲む。この日には、家を離れて暮らしている子たち、家族、みんな寄り集まって、とにかく食べる楽しみに浸る。アップルパイも焼いてある。
木製のお皿というか、七面鳥のためのプレートには、肉汁が流れるように細い溝が付いていて、端にはグレービーの溜まり場が丸く彫られている。
これらはすべて、その家のお母さんが料理する、だから子どもたちにとっては懐かしいふるさとの味、母の味だ。アメリカでは第4木曜日だから、今年は、明日の26日だ。

「早いけど」と言って長男がダンボール箱の大きいのを持ってきてくれた。今は、このようなご時世なので、家族が集まって食事を楽しむことはしません。長男は私のために感謝祭のご馳走を持ってきてくれたのだ。
クランベリージュースの3リットルボトル。冷凍の七面鳥しかなくてね、と言いながら次々に現れる七面鳥丸焼きの一部。スタッフィング、サツマイモ。彼は材料を調達して自分で焼いたのだった。クランベリーソースも持ってきてくれた。
スタッフィングにはカシューナッツ、セロリを使っていた。パプリカの輝くい色合い、しっとりと焼きあがったターキーの香りにめまいがした。これは、私のやり方そのものだった、パプリカを使うことも私のやり方だった。私のふるさとの味を、息子が作ってふるさとへ運んできてくれたのだ。
私には、東京都内という生まれ故郷と、新しい気質、文化に触れた2番目のふるさと、アメリカがある。これはアメリカ大陸の味だった。私がお隣やお向かいの奥さんたちから教えてもらい料理している時に、周りをうろちょろしていた子たちが、見て覚えていたのだ。まだ、背伸びして流しの中を覗くようなチビちゃんだったのに。次男が作るミートソースは絶品だし、いつの間にか、子たちは母の手を超えてしまった。母の味、ふるさとの味を、それぞれの手の中に育てて持っていた。ゆっくり食べてね、と帰って行く息子の車を見送った後、私は干し柿を思い出した。この日に手渡すために出来上がったばかりの干し柿を包んでおいたのだ。
もう、ダメだと思う。こう簡単に忘れ物をするようでは。これが初めてではない。自分自身に呆れている。真っ赤っかの夕焼け空は、明日の晴天を報せている。感謝、感謝の感謝祭は良い節目じゃないかな、この辺で夢類日記を終わりにしましょうと思い立った。
今まで読んでくださった日本列島各地の皆様に心の底から感謝します。どうもありがとうございました。

波状攻撃を受ける人々

新型コロナウイルスは、当初より予測されていたように、波のように緩急をつけながら襲ってきている。今は第三波なのだという。寒さはウイルスの敵ではないらしく、夏よりも長生きするともいう。
日々の暮らしを守りつつも、守りきれずに仕事を失い、途方にくれる人々が次第に増えてゆく様相を、暗澹としつつ思いやるも、なす術もないのである。
私の母の母は28歳という若さで3人の幼児を残して亡くなった。肺炎にかかって突然亡くなってしまったと聞いていたが、スペイン風邪にかかったのではないか、そうに違いないと年代を指折り数え、思い起こしている。
疾風の如く襲いかかり、老いたもの、弱き者たちからなぎ倒してゆく様は、春一番と呼ばれる早春の疾風、木枯らしという初冬の強風に似ている。
山野の樹木たちにとっては、春一番も木枯らしも、枯れ枝や病葉を一掃してくれる益風でもあるのだが、疫病は、生き物すべてにとって恐怖で覆い尽くしつつ命を奪い去る害毒以外の何物でもない。
グスターフ・シュバープが記したギリシャ・ローマ神話の、ごく初めのあたりにゼウスが人間を作る話がある。最初に黄金で作った人間、黄金族は、穏やかに消滅し地上の守護神、正義の保護者となる。次にゼウスは銀で人間を作った。この銀族は傲慢で神を崇拝しなかったので滅ぼしたが、魔人として地上をさまよう許可を与えた。ゼウスが三番目に作ったのが銅製の人間で、これは巨大で残忍、暴力的で肉食を好んだ。当時は鉄がない時代であったから銅製の農具で畑を耕していたという。この恐るべき種族はゼウスによって滅ぼされたのではなかった、黒死病によって滅ぼされて冥府の闇に沈むのである。
世界中に散在する言い伝えの中に洪水伝説があり、そして疫病がある。原始、まだ文字もない時代から人のそばをうろついていたんだなあ、と改めて思う。

コロナ暮らし その2

2月末以来だから、11月9日の今日までで、およそ8ヶ月になった。
なにそれ? で始まった知識面では、ほとんどゼロ状態から始まり進歩してきたと思う。発端の伝聞情報、報道も含めての各種情報は奔流のように流入する。しかしこれらはまさに浮かんで流れてくるものであり、根がなかった。現場に行って確かめる訳にはいかない代物だから、確実な方法はウイルス専門学者の著書を読むことだった。このラインは成功だった。むやみに恐れるものではなく、かといって侮れるような相手ではないことが身にしみた。ウイルスの歴史も学んだ。ここでは人類が微小微弱の新米に見えて愕然とした。ウイルスは地球上の大先輩だったのだ。
暮らしの面では、スタート時点では東日本大震災の時の経験から、何一つ新規に用意をしなくても50日は生活に困らないことがわかっていたので慌てる事もなく、悠々と引きこもりを始めた。ところが100日経っても続くのだった。3ヶ月、4ヶ月、5ヶ月!
さあ、ここから新しい経験に入った。第一に困ったのが、図書館を利用できないことだった。仕方なく買うことにした。画面をクリックして発注。早い時は翌日に手に入る。電子書籍であれば、買った途端に読み始めることができる。これは快適、上々の天国気分。
衣食に関しての問題はなかった。衣類は手持ちのものが多すぎて、減らそうと努めているのだから買う必要はない。食は週に一回の生協の配達で十分だ。時折、地方の野菜農家の野菜や果物などを買うが、これも書籍同様に画面操作で終わる。宅配ボックスを設置しているのでクール便でない限り安心していられる。
これではCOVID19が完全に消滅したとしても、高齢者としては続けたほうが良い暮らし方だと思った。交通費はかからない、買い物の時間も必要ない、良いことづくめである。交流はメールが大活躍だ。こうなったら、何年でも続いて大丈夫。引きこもりなんかへっちゃらだ!

こうして日々が過ぎるうちに、歯医者の予約の日がやってきた。定期点検。点検のおかげで無事に過ごせているのだから是非とも行きたい。しかし私は人混みが怖くてバスに乗ることができない。もちろん電車にも乗れない。歯科医院にはバスと電車、両方に乗らなければ行かれないのだ。
息子が現れた。車で連れて行ってくれるという。息子夫婦は、私以上に衛生管理が徹底しているので安心できる。ありがたかった、めでたく歯医者に行くことができました。待合室からは雑誌や絵本が消えて、空気清浄機の大型のが入っていた。そして待っている人がいなかった。人の姿が見えないと、ほっとする。 私は人を怖れるようになっていた、潜伏期にも感染力があるという、ということは、道行く人々すべて、一人残らずシロではない、黒だと見なすべき存在なのだから。
帰り道に息子が言った、どこか行きたいところ、ある?
 思ってもみなかったことだった、どこかへ行く。どこか。そうだった、この8ヶ月の間、私にはどこか、という選択肢がなかったのだと気がついた、必要不可欠な衣食住、これは十分に足りている。手に入れる手段も十分にあった。しかし、そこからはみ出した何か、どこか。これがなかった。
気づいた途端、私は飢えを感じていた。「あのね、バラが見たいんだけど。秋のバラって、香りが通るのよ、良い香りなのよ」。
神代植物園に寄ってもらい、駐車場に車を止めて枯葉の舞う草地を散歩し、バラ園の中の小道を歩いた。バラが咲いていた、噴水の水が青い空に跳ね上がり、光っていた。噴水の中に立ったかのように、気持ちが潤った。
潤った気分で駐車場の車に戻った時、息子がため息まじりに言った、いや驚いた、あんなに人が出ているなんて。最近、人が怖くてね。

独楽吟

「独楽吟」。これは(ひとりでたのしむうた)で「たのしみは」で始まり「……の時」で終わる短歌です。
独楽吟というものを私は知りませんでした。40年以上のあいだ中学高校で国語を教えていらした方で、今、大勢の人に独楽吟を広めて句集をつくる活動をしていられる、師匠であり、友人である方から教えていただきました。
子供でもできます、高齢者もできます、忙しい人でもできます。誰でも詠める短歌で、暮らしの中の楽しみを見つける歌。
楽しみは~~ の時。これだけ。ほかには何も規則はありません。
日常の暮らしの中で、ああ、ヤダヤダ、なんて呟きながら日が暮れるって、みじめじゃありません? 楽しいものに目を向けよう、こんな楽しみあったんだ、と発見することも楽しみです。たがいに詠み合えば、おたがいの楽しみも伝わってきます。


これは江戸時代の国学者、歌人、橘曙覧(たちばなのあけみ)が52首遺している歌です。こんな歌があります。
   たのしみは妻子(めこ)むつまじくうちつどい  頭ならべて物をくふ時
これは、ごく普通にある家庭の風景でしょう? 平凡でしょう? 家族が一つテーブルを囲んでモグモグと一心に食べている。それだけのことを橘曙覧は、楽しみはと歌っています。
   
(でも、これって平凡だろうか? 当たり前のことだろうか? どこにでもあることだろうか? 今の私たちにとって ……

平成6年6月、当時の天皇皇后両陛下がご訪米の折、クリントン大統領の歓迎スピーチに、
   たのしみは朝起きいでて昨日まで  無かりし花の咲けるを見る時
という橘あけみの歌を引用されたことで、埋もれていた江戸の学者、橘曙覧が脚光を浴びたのだそうです。今では小学校の国語の教科書「言葉を選んで短歌を作ろう たのしみは」という、創造のセクションに出ています。(小学六年生国語教科書・光村図書)

最近の私は、楽しいこと見つけたよと一句詠むのが癖になってしまいました。どなたも気楽に楽しく一句詠んでみてください。
 楽しみは 昼過ぎ猫と散歩して 学校帰りの子らに会うとき 
ちなみに、猫は犬と違ってなかなか散歩しませんが、わが家の猫は朝夕の散歩が大好きで、散歩しよう、と声をかけるとドアに向かって走ってきます。犬と同じようにリードをつけます。

子育て 親育て

育ててもらった、と親に感謝する子がいる。親を殺す子もいる。色とりどりの親子関係を並べ出したら紙幅は関係ないだろうが、スクロールしても続くだろう。それはのちの機会に譲るとして、誕生日にあたり、ぜひとも言いたいこととして、子が親を育てる場合を書きたい。
実は今日、私が在るのは、二人の子が育ててくれた故である。私が子どもに対してしたことと言ったら、お話にもならない日常の暮らしのことだけだ。それも穴ばかりで、手取り足とり伝えたわけではなかった。歯を磨く、といった毎日の習慣も、ろくに教えなかったと思う。しかし二人の息子は揃って見事に健康な歯の持ち主だ、なぜかというと、よい歯医者さんに出会ったので、私は先生に子供たちの歯を丸投げしたのだった。今も同じ歯科医院の、子供たちと同世代の若先生に診ていただいている。全てがこの調子で、学業はそれぞれの先生へ丸投げだ。母親がすることと言ったら、ご飯を作ることと掃除洗濯くらいのものだ。料理は子供の時から並んで流しに立っていた。火を扱うし、焼いたりこねたり、かき回したりは子らにとっては大きなお楽しみだ。泥んこ遊びも良いが、後で食べられるのだからやめられない。
教えるというよりも、一緒にやってきたのだし、伝える楽しさも大きかった。伝えてきたことの中で、最も大きいこと、それは第二次世界戦争の時の体験話だろうか。
一方、ふとした子どもの言葉をつかまえ、受け入れ、成長してきたのは私の方だった。なんで〜 どうして〜 で始まることが多い少年の思いは柔軟であり新鮮だった。私は目を見張るような驚きを持って聞き入り、時間をかけて咀嚼する。
子供たちがいることで消耗するのではない、手がかかるのではない、細い私の心が太く、強靭に育って行けたのは、まさしく子の力によるものだった。
今もかわらず対等に話してくれる息子たちの来訪を待ち構えていて、ためておいた幾つかの なんで〜 どうして〜 を訊ねる。私の問いに新鮮さはなく、重く硬い。どうして核兵器だけ反対なの? なんで核そのものを廃絶しないの? 
楽しみは どうして なんでと問い交わし 親子揃って考えるとき  次回へ続く

85年を振り向けば

いつもは気にもしないことですが、お誕生日という節目にふと立ち止まった、あらためて身の周りを見まわした。
なんと綺麗な人たちに囲まれていることでしょう、私は。今は新型コロナウイルスのおかげで簡単には会えないけれど、同年齢の人たち、年上の方々、若い人々、皆とりどりの暮らしようだけど、仲良くしてくださる人たち、みんな美しい。
世の中にはいくらでもいる、おぞましい人々。私はいま85歳になったところだけれど、嘘つきやいじめっ子は80年以上前からすでに身の回りにいたのです。
そんな中で生きてきたいま、まああ! 私の周りはなんと美しい花の野でしょうか。咲いている花々は、どれも平凡という名の、見慣れた花です。特別に産出された珍奇な花ではありません。
仲が良いという花。本当のことを話すという花。あったかい花。愛の花。思いやりの花。花弁の、どこかが欠けていても生き生きしている花。
いつの間にか集まった平凡で、穏やかな花たち。はじめのうちは周囲に根を張ってきて、棘のある枝葉をのさばらせていた醜い花々、嘘つきの花、嫉妬の花、貪欲の花などは、虫に食われて消え去りました。無視という虫は益虫です。
そう、昨夜も仲良しの一人とメールでおしゃべりをしました。そのやり取りを少し、おすそ分けしましょう。
私が送ったメールは、今現在の自分の状況を知らせる内容です。「子供たちが非常に仲が良いこと。全員が同じ情報を共有していること。嘘をつく人がいないこと。ものや金銭面などで我欲を持つ者が皆無であること、などなど平凡なことです」
友人のコメント「これは平凡なことではない、と私は思ってしまいます。決して簡単なことではないと思うのです。情報を共有するためには、誤解を恐れずに言えば、同じくらいのレベルの教養が必要になると思います。同じ日本語を話していても、それを理解しあえているとは限らない」。
続いて愛情論になり、私のコメント「大事なことは愛情の偏りがない、これを家族全員がわかっていることが必要じゃないかと思っています」
これに対する友人のコメント「私には稀有のことにすら思えます。このことも、平凡だということも、泰子さんが長い時間をかけて育て上げてきたもので、どこにでも転がっているようなものでは決してありません」
思い出した、卒業式の後の、謝恩会での思い出、卒業する全員が一人づつ立って挨拶したときのこと、私は一言「平凡に生きたいと思います」と言った。皆、若々しくて夢いっぱいで華やかな夢を歌うように語っていた。
「それは、とても難しいことですよ」先生が耳打ちするように、隣でおっしゃったのを、思い出した。

私の誕生日!

10月に生まれました。爽やかな秋、大好きな青空。今年のお誕生日は格別の、幸せ極まるお祝いをしてもらった、その日のうちに書くはずの日記は、その日だけではない、翌日も翌々日にも記せず、つまり感動と感謝と幸せ気分が続いていた故に、貧弱な文字には変換できませんでした。
息子がトランペットを演奏してくれました。得手ではないことを百も承知の上で、中年になってから学び始めたトランペット。ハッピーバースデーのヴァリエーション! じっと座って聴くことができなかった、ウロウロしてしまい、定まらぬ視線。
贈ってもらっている「お誕生日、おめでとう」のメロディー。バラ色の音色、クリーム色の音色。ラベンダーに、スカイブルーに変わる。
嬉しくて涙がこぼれそうになって、それがまた幸せなのでした。もう一人の息子が送ってくれた花かごに溢れる暖かな色の花々と溶け合う、極彩色の音の流れが部屋の中を踊る、それが目にも見えたのでした。
私は地に膝をつき、太陽に、そしてこの大地に、両腕を天に向けて指を開き、この幸せを頂いたことを感謝しています。こんな年齢になったのですから、身も蓋もなく喜んで感謝してもバチは当たりますまい。
気がつくとハッピーバースデー・バリエーションは終わっていて、LOVE を奏でてくれていました。

猫の散歩

富士猫の散歩とも言えない朝夕の散歩。
フジちゃん散歩よ、と声をかけるまでもなく、手にハルターを持った私を眺めていた富士は、玄関の三和土に走り降り、ドアに両手をかけて立ち上がる。それを抱き上げてハルターをつけ、ドアを開く。富士のワクワク散歩の始まりだ。

猫の習性だろう、どれほど待ちかねていたとしても、いきなり飛び出すようなことはしない、内側にいて表の気配を伺う。
大丈夫だな、と確かめてからドアを出る。この、人任せにはしない態度は見習う点の一つだろう。
アイヌ犬の千早が懐かしい。さあ、行きましょうねっ ドアの鍵をかけるのを辛抱強く待つ千早。何秒とかからない鍵をかける時間でさえも、足踏みするほどに待ち遠しい。
行く手に目を放ち進む、勢いの良い足取り。時折見上げてきて、ニコッとする可愛さ。千早のおかげで私は長年の偏頭痛が消えて足腰が丈夫になったのだ。

しかし猫の富士は、家の前の道に出るなり座る。とても行儀の良い座り方で、前足を揃えて長い尾を体に沿って巻きつけるように整え、猫背スタイルで座る。私はドアの鍵をかけず、電子ブックを持って出て、玄関前のスツールに腰掛けて本の続きを読み始める。
富士は、右から来る人、左から走ってくる車、自転車、親子連れ、通るものを眺めている。時には10分も20分も、何も通らない時もある。それでも富士は丸い目を見張って眺めている。これが富士の、朝夕お楽しみの時間だ。
これに外猫のマルオが加わる。マルオはもう、だいぶ高齢になり、ほとんどの時間を庭のハウスで寝て過ごしているオス猫だ。富士が赤ちゃんの時からよく知っているが、だからと言って親密な関係ではない。よく猫同士がくっついて眠っている写真を見るが、毛の一筋も触れ合ったことがない。互いが疎遠を好むのではない、富士が避けているので、マルオは遠慮しているという構図。が、並んで道に座ることは問題ないらしい。一方が、素早く右手を見る、一方も右手を見る。左に目をやる、必ず、もう一方も、すぐに左を向く。わかったことは、マルオが先に視線を向けることだった。富士は一拍遅れだ。そしてふたりの視線の先には必ず、犬連れの人、あるいは道に降りたカラス、スズメ、時にカートを曳く女性の姿などがあった。何も見えないのに揃って見つめることも多い。つられて眺めていると、必ず何かが、誰かが現れるのだ。私が気づくのは、いつもマルオと富士の後ではるかに遅い。

コロナ暮らし

引きこもり暮らしを検証し、しかも歓迎する理由は、自分が高齢者だからである。
この先、ウイルスは新型であれ旧型であれ襲ってくるだろう、しかし。それよりもはるかに確実に、しかも間近に我が身に降りかかるだろう状況は、歳を重ねることによる否応ない引きこもり生活である。
つまり体が不自由になり、動きたくとも動けない。今回は外圧による引きこもり生活だが、高齢者は遅かれ早かれ内圧による引きこもり暮らしをする流れに乗っている。
エスカレーターに足がついていかない、青信号に変わるのを待ち構えてスタートしても渡りきれない。そして、トイレに行くのも一仕事になるだろう。これは長く生きていれば誰もが通る道ではないだろうか。
95歳の女性で、待ってよ! とバス停めがけて走る人がいる。でも、それより20歳も年下でも寝たきりの人も大勢いる。じゃあ、95歳の人の方が立派で、えらいのか? そうはいかない。寝起きに介助が必要でも胃腸が丈夫、どこも悪いところがない人もいる。数多の病歴を抱えて病院と親密な人でも仕事を続けている人もいる。
小学一年生の時に、ランドセルや教科書や、何もかも一緒だった私たちは、高齢になるにつれて枝分かれしてゆく。多種多様に変化した突き当たりに、再び一緒になる日、死が来る。

自分自身にまだ、何かする力が残っている間は自分でやりたい。
車を降りた、バスに乗れない、歩けない。その時、大根1本をどのようにして手に入れるか。キャットフードがなくなった、どうやって手に入れるか。
ちなみに、バスに乗れなくなるのは、踏み込む力が衰え、歩幅が狭くなるために、体重移動が不安になるためだ。さらに、当地のように坂道が多い土地では車椅子が使いにくい。電動車椅子は、さらに危険だ。
このような問題が、今回の「お試し期間」のおかげで体験できて安心した。なーに、問題なく暮らせるのである。
わがままも通る。私はメダカを飼っているが、タニシがいたら、もっといいなあと思った。通販でタニシ10匹注文した。中1日置いて元気なタニシが到着。タニシは増えて色艶も良く、これから越冬するつもりだ。

高齢者が多様な不自由を抱えながら、わがままもできてニコニコしながら暮らせる。っていいなあと思っている。
こんな良い気分に浸っていた時、メールをもらった。
ブログの更新が間遠だけれど、元気? という仲良しさんからの便りだった。
メールによる返事でなしに、ブログで返そう、と思った。そうなんだ、大根もいい、タニシも結構。
でもでも。でも。何よりも嬉しい、最高に楽しいことは心通い合うことなんだ。
これは離れていても会えなくても、必ず通じ合える。交わし合える気持ちの、あたたかみ。
ここに大きな幸せ、生きている実感の手触りがあり、思わず感謝の念が溢れる。

スーパーへ行った

昨日、駅前のスーパーへ行った。久しぶりだった。入り口にカートが並び、バスケットが積んであるのだが「消毒済み」と赤字の張り紙が付いていた。
水曜日の午後2時ごろ、もっとも空いているだろう曜日と時間、と思って行ってみた。セルフレジは行列もなく、空いていた。買ったものは胡瓜と茄子、ほうれん草と生姜。他に買いたいものはなかった。
以前は、お惣菜を好きなだけ自分でパックする方式だったが、それらは消えていた。全部、あらかじめパックされて並んでいた。こんなに変わったのだなあ、と一回り見物した。
何ヶ月ぶりだろう、たしか三月の初め以来だ。その時私は、図書館の予約を全部取り消し、借りていた本を全部返却し、スーパーに買い物に行くことも取りやめて引きこもったのだった。
これはcovid19防御の体制だったが、生活方式を、このように変えて何が変わるだろう、どこが不自由で、いつ耐えられなくなるだろう、体験してみようという気持ちもあった。だから守ることが大切なのだった。
引きこもり生活を7ヶ月半以上、しかも快適に続けることができた要因はいくつもある。これから何回かに分けて検証して行こうと思う。
まずは、社会が変わったこと。宅配の活躍が目覚ましく、置き配が常態化したことだ。幸い玄関前に大型宅配ボックスを設置してある。これが一番役に立った。
通常は鍵をかけてもらい、配達状を郵便受けに入れてもらう方式だが、置き配になってからはチャイムで到着を知らせてもらう、返事をして、ゆっくり受け取りに出るというやり方。
会社によってはハンコ不要である。配達完了しました、とメールが入る。この先、ますますハンコ不要が増えそうで、これも嬉しいことの一つ。
これを機会に、当たり前だと思って従ってきたやり方を、否応なく見直さざるをえなくなり、変わる。あるいは廃止する。新しい姿が生まれることもあるだろう、楽しみだ、大歓迎の気持ちです。

再びメダカ

あまりにもショックが大きすぎて、その日のうちには何も言葉にできなかった。
書かなければならないものが山積しているが、その、どれにも気持ちが行かない。
打ちひしがれて台風10号の成り行きを眺めていた。さして大きくはない秋台風の余波、長引く小雨の続く昨日今日、部屋の模様替えなどに気を紛らわせたのちに書こうという気力を奮い起こしている。
メダカの事件である。相手はハシボソカラスである。

早春以来のひきこもりの日々の中で、欠かさず続けてきたのが散歩だった。
散歩は、猫の富士と共にする。というか富士のための散歩の時間だ。朝夕2回、1回につき約3,40分。
散歩よ、とリードを持つと玄関の三和土に走り降りてドアに向かってまちかまえる富士。
ハルターをつけて玄関前の道に出る。ここからが犬の散歩と異なる行動で、道の真ん中に正座して動かない。元野良猫、今は外猫として衣食住を見てもらっている老猫のマルオが庭から現れて、この散歩とも言えない状態に参加する。
自転車が走り去る、人が通る、もちろん犬の散歩が多い。毎日の出会いで慣れてしまった犬たちとの目線交流、いつも優しくしてくれる人に寄り付いて撫でて欲しいと催促する、こんなことが醍醐味らしい。
その間私は立ちん坊だ。が、思い直して家の前を行ったりきたり、自分のための運動をしている。
気持ちが良いのは早朝だ、つい先ごろまでは4時半から5時には道へ出ていた。
この時間帯にはコウモリが彼らの宿へ戻ってくる。明けつつある空に、細かい方向転換を繰り返しながら飛んできて、一瞬のちには暗い軒下へ消えてしまう。入れ替わるように飛ぶ黒い鳥はカラスで、これは直線飛行だ。
最近、この一帯に居ついているのはハシボソカラスで、彼らの声は濁ったガラガラ声だ。頑丈で太い嘴のハシブトカラスとは以前に付き合いがあり、彼らはよく通る澄んだ声の持ち主だった。

台風9号が近づく前の早朝のことだった、起き抜けにビオトープのメダカたちに餌をやり、3時間後に次の餌をやるために、夜じゅう被せておいた覆いをはずしたまま猫の散歩に出た。この時期にたくさん食べて体力をつけ、冬を越してもらいたい。
もう、ここまで来たらお分かりのことと思う、たった3時間と思って覆いをはずしていたために、カラスにメダカを食われてしまったのだ。
コウモリが吸い込まれるように定宿に消えたのと入れ替わりに現れたハシボソが、私の斜め前の電柱に来て声をあげた。その声は、仲間を呼ぶ声だった。おーい、おいで! そう言っていた。私はカラス語を幾つか知っているのでわかった、食べ物があるよと言っていた。
おかしいなあ、今日は水曜でしょ、ゴミ出しゼロの日じゃないの。ゴミ場所には何もないはずだと私は思った。
ここで気づくべきだったのだ、ゴミじゃなくてメダカを意味していると、ピンときてしかるべきだったのだ。
しかし私はコウモリが、たった1匹の寂しい暮らしだったコウモリが、この夏の間に4匹に増えたことが嬉しくて、観察の方向が偏ってしまっていた、私はカラスの声を聞き過ごした。

ビオトープの周りに白い糞が散らばっているのを目にした途端、全てを悟った。
メダカの姿は、なかった。雨水桶で育った700匹が参加したばかりで、数えただけでも3000匹をこえていたメダカたち。8割がたが今年生まれの子たちで、皆おっとりとして懐こく明るい。昨夕、新しい水を入れてやった時は喜んで、折重なり寄ってきて、浮草の上にまで乗り上がり遊んでいたのが、さざ波一つなかった。
しゃがんで待った。やがて浮かび上がる魚影、そのほとんどが野生に戻ったフナの色をしたメダカたちだった、明るい色のヒメダカたちが犠牲になった。残ってはいるが非常に少ない。ため息とともに立ち上がった時、メダカの姿は1匹も見えなかった、おっとりしていたメダカたちは、一回の襲撃で、物影に素早く反応して身を隠すタチを身につけていた。
悔しい。

世界で最も影響力のある100人

アメリカの雑誌「TIME」は今日、「世界で最も影響力のある100人」を発表した。
世界の100人の中に、ジャーナリストの伊藤詩織さんとテニスの大坂なおみ選手が選ばれた。素晴らしいなあ! 嬉しいなあ!
TIME誌に掲載された伊藤詩織さんを紹介する文章は、東京大学名誉教授の上野千鶴子さんが書かれた。
上野千鶴子さんは紹介文の中で、こうつづった。「彼女は性被害を勇敢にも告発することで、日本人女性たちに変化をもたらしました」そして
「彼女は日本の女性たちにも#MeToo運動に加わることを後押しし、全国の女性たちが花を持って集まり、性被害の経験について語ることで、性暴力に抗議するフラワーデモにも火をつけました」。
これまでの上野千鶴子さんの努力、長いあいだ頑張ってくださって、この度は伊藤詩織さんを、このような言葉で世界に紹介してくださった。
上野千鶴子さんに拍手と感謝です。伊藤詩織さんの勇気ある行動が、日本の女性たちに、どれほどの勇気をもたらすか、これは計り知れないものがあります。
素敵だ、素晴らしいと感激したことは、このニュースの報道を、東京新聞では望月衣塑子記者が記名入りの記事で書き、毎日新聞では木許はるみ記者が、同じく記名入りで詳しく報道したことだ。
また、HUFFPOSTも坪池順・生田綾の両氏が詳細に報道。これらの記名入りの記事の魅力は、ものすごく大きい。勢いがあって、思いがこもっていて、堂々としている。筆者の思いがダイレクトに伝わってくる。受け止める嬉しさ。
大坂なおみ選手は、アメリカで広がっている警官による黒人への暴行に抗議する「Black Lives Matter」デモの発信を積極的に続けている。先ごろの全米オープンでは、犠牲になった黒人の名前をプリントしたマスクをして試合会場に現れ、優勝を果たした。
その時のコメントも、よかった。自分の立場でできることはなにかと、考えたのだと語った。
大坂なおみ選手は、まだ二十歳を過ぎたばかりの若人だ、しかし経験の多彩さ、味わってきた感情の重さ、深さは並ではなかろう。それに圧し潰されずに他者のために何ができるか、を自分で思案して実行する、そういう強靭な女性なのだ。
テニスの、あの強さだけではない、精神の清々しい強靭さに目を見張る思いがする。
上野千鶴子さん、伊藤詩織さん。そして大阪なおみさん。こうした勇敢で、他者への愛に溢れた女性たちが、次々に生まれるだろう。そう思うと日本に希望を持てる気がしてくる。
自分の立場でできることをしよう、上野千鶴子さんの思想に共感し、詩織さんを応援し、大阪なおみ選手の試合を応援しよう。
応援の心は、勇気を持って立ち上がった女性を、発言し行動した女性を守ることにつながるはずだ、コロナで引きこもっている者でさえも、想いを届けることはできるのだから。

本能と感情VS理性

第3次安倍内閣ともいうべき形が現れた。感情を土台に据えている集団であり、率いる頭たちは安倍晋三にしても麻生太郎にしても、自分らと一般国民の間には、越えることを想定しない濠があることを前提としている。
彼らにとっての野党とは、元来主導権をとるはずのない集団であり、とることを許してはならない集団である。日本国の民主主義は見かけの上着と心得、彼らの肉体も精神も独裁者だ。これは奈良時代からこっち、変わらない。
勉強嫌いで本は読まない、といわれているこの二人は、元来が机上の勉強は必要ないと決めつけている。なぜなら代々継承してきている大量の知恵と感覚を家庭環境の中で吸収してきている故だ。それは民衆取扱書という取説だ。
国民という名の下に、ひとまとめにした群衆の、どこに砂糖を置けば集まってくるか、どこに水を流せば逃げ惑うかが、はっきり見えている人たちだ。
天平の昔からの体質を根強く残す人々、強いものに従うことに慣れている、静かでおとなしい人々、立ち上がってモノを言うと損をすると思い込んでいる人々、勤勉で我慢強い人々。最大の欠点は知ろうとする力を持たないことだ。
こんな我々、国民とか一般人とか呼ばれる我々はいま、令和という時の枠に収まっている。相変わらず「時」までも支配されて、明治、大正、昭和、平成と、時代の箱に囲われてきたことも、当たり前だと感じている、まるで四季のように。

アメリカのトランプ大統領は、泡沫候補と目された状態から、鯉の滝登りのように躍り出て大統領となり、破天荒な言動で民主党の面々を激怒させている。しかしこれは民主党VS共和党の対決には、ならないのではないか。
民主党は理性的な思考と判断で民主主義国家を運営しようと努力している。一方、共和党と呼ぶよりもトランプファミリーは、民衆に対して、人間の本能と感情に触れようとしているように見える。
これでは戦うフィールドが異質だからくいちがう。お互いが、敵のいないところに拳を振り上げている。この状態で民主主義方針のもとに選挙をしても、予想と結果は異なってくるのではないだろうか。なぜなら本能による決定には言葉は必要ないからだ。
アンケートなどに、どれほど言葉で反応しようとも、本能に働きかけられて本能で反応する場合には、言葉を飛び越えて本能的決定がなされるのではないか。よって結果はデータには現れないだろう。
あれ? これって日記じゃなくて壺猫の言葉かな?

ナメクジの話

今年の初夏の頃から、ナメクジの大群を見るようになった。いつでも、どこにでもいるわけではない。隣家の塀に現れる。雨上がりの早朝に現れる。
コロナ騒ぎ真っ最中、ひきこもりの日々が始まったある朝、玄関前の掃き掃除をしようとして道に出たとき、ふと隣家の塀を見たら、無地だった塀が模様付きの塀に変わっていた。
それは高さが私の肩くらい、8〜9メートルほどの長さのコンクリート塀だ。
ところが塀の模様ではなかった、模様と見えたのはナメクジの大群だった。35ミリ程度の、ごく細いナメクジが、塀一面にびっしりとついていた。まだ5時前のことで、周囲の家も道路も静まっていた。
模様と見間違うくらいだから、一面についていたと言っても3、4センチの間隔を置いて並んでいたのだ、塀の上から下まで。のろのろしているナメクジが、よくまあ這ったもんだ。
これは、おぞましい光景だった。寒気を呼ぶ感覚があった。やがて日が昇りゴミ出しに出たときに、見たくもないが、つい横目で見てしまった。びっくりした。一歩進んで、もう一度見直した。
たしかにいたはずの、あの大群が消えていたのである。ただの1匹も残っていなかったのだ。
そこで私は考えた、あののろのろのナメクジが、揃って短時間で移動した。これほど不可解な現象は初めてだ、ナメクジが這う速度とは、いかなるものなのか。塀に現れた目的とは? 
考えたって、答えが出るはずもない、変ねえ! しかない。
この現象は、一度だけでは終わらなかった、ナメクジは繰り返し塀一面を覆い尽くし、やがて大群は、かき消すように消え去るのだった。塀の内側の草むらにこもるのだろうか。
友人にメールで訴えたところ、それは異常気象の影響でしょう、地球がおかしくなっている、という返事。地球規模の事件とも思えないのだが。
やがて酷暑の日が続くようになり、隣家の塀模様は消えた。が、ナメクジの一部が我が庭へ這いこみ、メダカの住処に浮かぶ布袋草の丸い葉に乗っているではないか。しかも成長したのだ、大きくなっていた。
水の上に浮かぶ布袋草の葉に、どのようにして飛び乗ったのだろう? ピンセットで捕獲し、ポリ袋に集めてゴミバケツに入れる。
大群ナメクジ大移動の謎、水上に浮かぶ葉に乗るナメクジの謎。何も解決しないまま、季節は移りゆく。

コロナの影響、私にも

本気になると徹底してヤルのが癖なので、コロナ危険となった時点から徹底して引きこもった。この影響は如実に現れ、足が軟弱になってしまった。これは整形外科の先生のご指導で体操を始めたというか再開したので救われた。
この徹底引きこもりの暮らしぶりを見た我が子が、なんと巨大なポークローフを運んできてくれるようになったのだ。わが子は二人とも男の子だが、揃って料理上手、最近のこと、長男の方がスチコンという名の料理の新兵器を手に入れた。
このスチコンを使うとプロ級の焼き豚が出来上がる。スチコンという名の料理器具を見たことはないがプロ仕様の器械らしい。2キロ以上の焼き豚の塊の仕上がりは上々、絶妙な味わいである。
味をしめるという表現があるが、文字通りの有様で、コロナが去ってのちも期待してしまいそうだ。
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