Site logo
Site logo
myExtraContent1
myExtraContent5

Site logo

5月25日

今日は5月25日だ。そうして卓上のデジタル時計が午後9時57分を表示している、もう58分に変わった。3月11日の東北の大津波に遭った人たちの心に、3月11日という日がどれ程深く刻み込まれているかということを、私は今日の、この時間に同感している。と書いたところで、ほとんどの日本人には通じないのではないか。
私は1945年の今の時間に、東京山手一帯がB29爆撃機による焼夷弾攻撃を受けていた、その夜を思い出している。72年前という大昔だ、その夜の私は9歳だったが、まるで昨夜の出来事のように詳しく繰り広げて見せることができる、誰に? 自分に。その2ヶ月前の3月10日の下町の大空襲では、約十万人が殺された。生き残った人たちのほとんどが100歳を過ぎる年頃だから思い出す人の数が減り、9歳だった私でさえも80代になった。
だから、6年前に大津波にさらわれてしまった肉親、仲間を持つ津波に遭った人たちは、この先、十倍以上の年月を経ても、昨日の午後のように大津波が繰り広げられる同月同日同時刻、そこに今もいる自分を味わうことなしには、生きていられないことがわかると思う。そうして福島原発の被害を被っている人たちにとっては、今現在継続中の深刻極まりない災害である。それも人災なのだ、しかも敵国の空襲ではない自国の政府が加害者だ。
今年のこの日に改めて思ったことは、気温の違いだ。当時は栄養状態が悪かったから寒がりだったのかもしれない、焼ける住宅地の間を逃げる時に、何枚も重ね着をして、その上にオーバーを着ていた。頭には綿入れの防空頭巾を被り肩まで覆っていた。今年の今日は、駅の改札を出入りする人たちがTシャツで歩いていた。気候が変わってきているように肌が感じる今宵である。さすがに夜更けてきた今、Tシャツの上に長袖を羽織っているが。

津波や火山の噴火などの自然災害は防ぐことはできないかもしれないが、人を救うことはできるはずだ。一方、戦争は人災以外の何物でもない。
72年前の深夜に、台風以上の渦巻く強風、炎が風の形をして吹きつける往来にいたことを思いだしながら、同時にラジオ放送の嘘、隠し事が甦った。つい先ほどの夕方に見ていたテレビの嘘と隠し事と、72年前のラジオ放送と、どっちがどっちだったのか区別がつかないほどに、そっくりであることに背筋が寒くなった。めざましい科学の進歩と暮らしの変化がある一方、信じられないほど変わらず、進歩のない政治の世界。
NHKは、共謀罪衆議院強行採決の国会中継をせずに大相撲を放映した。ニュースの時間に、本日可決したと報道した。国連人権理事会の特別報告者ジョセフ・ケナタッチ氏が安倍首相あてに送った書簡で共謀罪法案の問題点を詳しく指摘、懸念を示していたニュースは、付け足しのものとした。この、注目すべき書簡がもたらされたのは18日で、強行採決、可決させた23日より以前からネットでは訳文を読むことができたし勿論原文も公開されていた。どうして報道されないのか、という声も上がっていた。採決前に報道できたし、すべきであったものを、事後に形ばかり付け加えるやり方は汚いし軽蔑ものだ。これは一事が万事で、今に始まった事ではないから、今更メディアを信用するものはいないだろうが、安倍政権の悪辣さ、メディアの追従振りは目に余る。一党独裁、メディア追従の汚染日本の先に見えるものは国の腐敗である。巻き戻された72年前が見えるだけである。昔話をして懐かしんでいるのではない、私は今の話をしている。ついでに繰り返すが、オリンピックは遅くはない、部分辞退したら良い。一国で荷わずとも良いのではないか。炎天下プラス汚染地を恐れ、たじろぐ世界中の人々がホッとするだろう。豊洲か築地かの市場問題は、築地を動く必要はない。歌舞伎座からちょっと歩いたところにある目ぬきの土地を利用したいという目的を持つ者ども、金目の土地の略奪者に、屁理屈で押し切られることはない。
0 Comments
myExtraContent7
myExtraContent8