文房 夢類
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敗戦71年という節目

2016年8月15日の新聞社説のタイトルを並べてみる。
朝日新聞「日本の戦後71年 記憶を新時代へ渡す責任」
読売新聞「終戦の日 確かな「平和と繁栄」を築こう」
毎日新聞「終戦記念日 歴史に学ぶ力を蓄える」
日本経済新聞「71年目の夏 戦後はいつまで続くのか」
      「サービス業は異業種に学べ」
産経新聞「終戦の日 先人への礼欠かぬ和解を 「譲れぬ価値」再確認する時だ」
東京新聞「終戦の日 戦争は今も続いている」
それぞれの個性を出した、内容も推測できる見出しだ。多様な見方をのびのびと表現できることが何より良い社会だと思う。
今年はアメリカのオバマ大統領が広島を訪問、天皇がご自身の気持ちを国民に向かい述べられ、そして終戦記念日を迎えたという、ちょっといつもとは違う感じがある。
私は、地球人類の有り様が膨張から水平移動を経て下降線を描き始めた、まさに峠にいる時代だと感じている。根拠に乏しく、感じるとしか言えないが。
もう、繁栄を希求する環境ではない。金集めすることが普通の人々の幸福と重なることはない。金は納税と政府と戦争、そして金融・運搬機関のためにあるのだ。
こんなことは、私のような泡沫人間にも分かっていることだから、権力者が知らないはずがない。
船というものは、大型船であればあるだけ、方向転換が難しいのだという。戦時中に駆逐艦の船長をしていた叔父から聞いたことだが、とっさに避けよう、と必死になったところで車のハンドルを回すようにはいかず、急ブレーキも効かないのだそうだ。多分、国の運営も大型船のようなものなのだろう。あらら。これじゃ氷山にぶつかる、と眺めつつぶつかり沈没するのだろう。
じゃあ、どうしたらいい? 考えるのは楽しい。こうか、ああかと思案するクソ暑い日。
私は、ウンカのごとき大衆によって決まるんだと思う。権力者が握るハンドル、権力者が踏ん張るブレーキではないような気がする。
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