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無礼は無礼だ

アメリカのシンガーソングライターのボブ・ディラン氏のノーベル賞受賞が決まった。アカデミーが授与の連絡を試みたが、本人と連絡が取れない状態のままだという。受賞決定後にコンサートを開いたが、賞について言及することはなかった。
際立った働きを成し遂げる人々の中には、独自の価値観を持って人生を作り上げ生きる人が多くいるから、「普通」「並」からはみ出していたとしても、それは十分許容されてしかるべきだと思う。
しかし、この世に生きる以上、欠くべきでないのが礼儀だ。簡単に言うと「挨拶」。
ボノボという、チンパンジー属の猿がいて研究が進んでいるが、群れの暮らしの中で、きちんと挨拶が交わされていることが観察されている。怠るとひどい目にあうそうだ。
人類が使う言葉は、社会生活に使う言葉と芸術に使う言葉が一見、渾然として分かち難く見える。ボブ・ディランが歌い聞かせて多くの人の心に届ける言葉と、アカデミーに挨拶する言葉は、別種の言葉だろう。アカデミーに返すべき言葉は、ボノボが使う言葉と同種のツールであって、芸術ではない。
賞が欲しくない人はいる。サルトルは断ったが、断りの手紙を出したそうだ。映画のアカデミー賞を受賞したマーロン・ブランドは、受けることは受けたが授賞式は欠席して代役を出した。
その賞、お断りしますが、仲良く付き合いましょうね、というときは礼を尽くすべきで、以後、お付き合いも断る、私の作品を見てくれるな、歌も聴いてくれるな、という希望であるなら、音信不通は、大きなメッセージだから納得できる。これを混同して気ままな態度であるならば、ボノボの風上にも置けない。ボブ・ディラン氏が、どっちかなということは、これからわかるだろう。

以上を書いたのは2016-10-24だった。
その後2016-12-10にノーベル賞授賞式が開かれてボブ・ディラン氏は欠席した。しかしスウェーデン・アカデミーは、彼からメッセージを受け取り、アメリカ合衆国のスウェーデン駐在大使、アジタ・ラジ氏が代読した。スピーチに替わる手紙の文章は、原文と日本語にも翻訳されて人々に届けられた。
それは誠実に丁寧にしたためられた、彼が心の底から思っていることがら、とてもたいせつにしている彼の考えで埋まっていた。とりわけシェークスピアに関する彼の思いは、輝き眩しく、世上に通用するボノボ言葉から再び詩人の言葉へと飛翔してゆくかに見えた。
ボブ・ディラン氏は、受賞の知らせを受けた時から、この手紙を書こうと決めるときまでの間、一所懸命にボノボの言葉を思い出そうとしていたんだ、と思った。彼は、生まれてからずっと、たぶん眠っている夢の中でさえも、わが身の声で歌い続ける鳥の人なのだった。よかったね。鳥は鳥かごに入れようとしないほうが良い。みんな、耳をすませて聞き入りましょう。
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