文房 夢類
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選挙結果が出る前に言いたい

あと何日か後に投票日。今回の選挙で私が注目したのは希望の党だった。これは小池百合子さんが立ち上げた新しい党だ。都知事の小池百合子さんは、抜群の表現力と群集心理の把握力を持つ保守系政治家。
極右かと思われる方向性には真っ向から反対なので、その点は別問題として、小池百合子さんによって大きく変わりつつある女性に対する男性の態度、評価に注目している。節目は、都知事選のときだった。
都知事選の時に石原慎太郎が言った、厚化粧のおばさん。その前の都知事選のときにも石原慎太郎は、立候補者の一人、樋口恵子さんに対して、おばさん、を連発していた。樋口さんの時は黙って耐えたのだった。黙って耐えていたのは樋口恵子さんではない、女性の有権者たちだ。
小池百合子さんが、前回と同じ立ち位置の、女性蔑視の慎太郎に厚化粧のおばさん、と言われた時は我慢しなかった。小池百合子さんがではない、女性の有権者たちが我慢しなかったのだ。いや、我慢しなかったというよりは、もう一歩進んで慎太郎を嘲笑ったのだった。
つまり私は、小池百合子さんについて云々しようとしているのではない、時代を生きる女性たちの感覚の変化を言いたいのです。この時私は感動した。変わったと思った。ここまできたなあ、と感じた。
経験、体力気力の充満している小池さんは昇竜の勢いを持って進み、それを見守る側、あるいは政治家たちも、小池さんが彼か、彼女かの区別を超えた実力ある一人の人物として受け取るようになっていったのを眺め、喜んだ。実力があれば、男女の区別は無用なんだという時代に入ったとは、なんと素晴らしいことだろう。

小池百合子さんが民進党合流に際し、全員無条件合流の気はないと明言した。それは強い意志を表す表現で、さらさらない、と言い切ったのだった。私はTVニュースでこのシーンを見たが明晰な表情だった。排除されたメンバーを見ると、はっきりとした選別ラインがあるのだった。もしも無条件全員集合と言っていたら私は小池百合子さんの評価を下げたろう、立派な決断だったと思う。
ところが、この時の「排除」を種として急速に風向きが変わり、希望の党は苦戦を強いられている。たぶん小池百合子さんは、これが政治ってものよと腹を据えて笑っているだろうが、私は笑えない。というか、二つの種に腹を立てている。
ひとつは、今が叩きどきだ、となった時に誰もかれもが、おばさんだ、魔女だ、と言いたい放題の女性蔑視の言葉をぶつける。許せない。実力があれば、男女の区別は無用なんだと喜んだのは、糠喜びだった。ちょっと弱みを捕まえると女性蔑視の性根が現れる。
もう一つは、排除という言葉に全てを乗せての非難。これはトリックだ、まやかしだ、と私は思う。選挙するということ自体が選別ではないのか。立候補者を選別すること自体、優しくない行為と言えないか? せっかく、その気になって立候補したのだから、候補者全員を当選ということにしてあげたらいいんじゃないの、と言いたいのか。小学校の徒競走で、手をつないでみんなで一等賞になりましょう、が、やさしさ、温かさのこもった良い社会だという人たちは、その通りだとうなづくのだろう。排除という言葉をプラカードにして、実は当然の行為をしている人物を叩きに叩く、これこそ悪意のこもったいじめそのものではないか。
小池百合子さんの言動を庇おうとする発言が見当たらない今、私は全く縁も関係もない外野人だが、この時点で叫ぶ。小池百合子さんは非難されるべきではない。彼女はまっとうだ。

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