文房 夢類
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防災とボランティアの日

24年前の今朝、まだ真っ暗だった6時前に大地震があった。あの阪神・淡路大震災から四半世紀が経とうとしている。この時から日本の人々は人助けにボランティアという名をつけて積極的に行動するようになった。
石碑を建て、記念の日には竹筒の灯火を掲げて失われた多くの命へ思いを捧げる。暖かで優しく、真面目で一所懸命なみんなの心が集まる。死者を悼み、この日を忘れないようにとの思いが溢れる。
いま私たちは、24年前からの連続線上に生きている。被災した人たちが、24年前のこの朝から今までの年月を生活してきている。見守ってきた人々もだ。100年、200年後には、これはない。記録によって知るのみとなる。
この連続線に触れることは、今現在生きている私たちだけに与えられた機会だ。あの時亡くなった人たちの家族や仲間たち、住む家を失い、暮らしの手立ても失った人たち。この大勢の人たちが、この四半世紀を、どのように生きてきているかに触れなければならない。
私は二人の友人を失った。その日にではなかった、その後の苦しみ、重圧に命を奪われたと思っている。二人の友達の、それぞれの夫は彼女たちよりも先に亡くなられた。あの日には頑張っていたのに。やむなく仕事が変わる、住み家も変わる、何もかもが苦しい努力の日々だった。命を使い果たしてしまったのだ。夫を「お父さん」と呼びならわして一緒に頑張ってきた妻には、夫を見送る力だけが残されて、後を追って行ってしまった。何もなかったら長生きできたかもしれないと友を悼むのだ。
あの日を思い出すと同時に、死者を悼み、防災を考える、加えて今現在を連続線上に生きている姿に心を寄せようと思う。大災害は、その日だけでなく長い年月をかけて人を痛めつけ、生命力を奪い続ける。
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