出版社の社格
04-07-15 09:22
7月2日の「クローズアップ現代」というNHKの番組で、柳田邦男さんがメインキャスターの国谷裕子さんと話し合っているのを見た。話題は、最近出版された元少年Aの手記の、出版という行為が妥当かどうかという問題だ。精神科医など関わってきた人たちも意見を述べていた。図書館に置くかどうかも話題になった。
私の感想は、出版関係の視点に限るものだけれど二つある。ひとつは、出版元が自社のホームページに書いたコメントに対する感想。そのコメントには「ご遺族の心を乱すものであるとしてご批判を受けています。そのことは重く受け止めています。」とある。
流して読んでしまう人もいるだろう。しかし私は、「そのことは」と書く神経に逆なでされた。そっちの棚の上にある書類さあ、捨てないでよ。程度の軽さと、ぞんざいな態度が伝わってくる。「このこと」とは思っていないのだ。「そ」で済ませている。ああ、それね、そのことなら承知の助さ、そんな態度だ。「そのことは」の「は」にも引っ掛かった。知ってるさ、はじめっから分かってることじゃん、それは。こんな心根が透けて見える。「そ」・「は」は、ひらがな一文字のことだ。ひらがな一文字といえども、言葉は、文字は、軽いものではない。恐ろしい力を秘めているものだ。「このことを」と書けなかった出版社だ。思いやる心を持っていない。思いつかないのだ。続いて「重く受け止めています」とあるのが、いかに軽いものに感じられることか。慄然とした。重く云々は、時下益々的な常套句に過ぎない。
ふたつめは、国谷裕子さんの、表現の自由と被害者の遺族の感情の対立についての問いに答えた柳田邦男さんの言葉に感銘を受けたことだ。それは、深い経験と思考の末に生まれた明晰なものだった。表現の自由を守るという前提があるが、政治・イデオロギーではない、殺人事件などの場合は、と前置きして「出版の編集という仕事は重要な意味を持つ。これは遺族を傷つける、など指摘、配慮をつくして編集してゆくべきもの。この行いは自己規制ではない、むしろ自由を守るための編集者の基本的な努力だと思う」という意味のことを語った。
私は同感し、編集という仕事の重要性を、改めて噛みしめると共に、これは人格の具現だろう、出版社も、人のもつ人格にあたる社格というものがあるだろう、と思った。
私の感想は、出版関係の視点に限るものだけれど二つある。ひとつは、出版元が自社のホームページに書いたコメントに対する感想。そのコメントには「ご遺族の心を乱すものであるとしてご批判を受けています。そのことは重く受け止めています。」とある。
流して読んでしまう人もいるだろう。しかし私は、「そのことは」と書く神経に逆なでされた。そっちの棚の上にある書類さあ、捨てないでよ。程度の軽さと、ぞんざいな態度が伝わってくる。「このこと」とは思っていないのだ。「そ」で済ませている。ああ、それね、そのことなら承知の助さ、そんな態度だ。「そのことは」の「は」にも引っ掛かった。知ってるさ、はじめっから分かってることじゃん、それは。こんな心根が透けて見える。「そ」・「は」は、ひらがな一文字のことだ。ひらがな一文字といえども、言葉は、文字は、軽いものではない。恐ろしい力を秘めているものだ。「このことを」と書けなかった出版社だ。思いやる心を持っていない。思いつかないのだ。続いて「重く受け止めています」とあるのが、いかに軽いものに感じられることか。慄然とした。重く云々は、時下益々的な常套句に過ぎない。
ふたつめは、国谷裕子さんの、表現の自由と被害者の遺族の感情の対立についての問いに答えた柳田邦男さんの言葉に感銘を受けたことだ。それは、深い経験と思考の末に生まれた明晰なものだった。表現の自由を守るという前提があるが、政治・イデオロギーではない、殺人事件などの場合は、と前置きして「出版の編集という仕事は重要な意味を持つ。これは遺族を傷つける、など指摘、配慮をつくして編集してゆくべきもの。この行いは自己規制ではない、むしろ自由を守るための編集者の基本的な努力だと思う」という意味のことを語った。
私は同感し、編集という仕事の重要性を、改めて噛みしめると共に、これは人格の具現だろう、出版社も、人のもつ人格にあたる社格というものがあるだろう、と思った。