8.15
15-08-15 22:22
昨夕、安倍晋三が戦後70年談話を読み上げるのを聞いた。彼は、ただの一度も、私は、と言わなかった。私たちは、と繰り返したのみだった。前の村山、小泉談話は2000字足らずだったが、今回はひどく長かった。感じたことは、何人かが頭を寄せ合い、慎重に吟味してまとめていったのだなあ、相談の結果、これも足らぬ、これも入れようとなって長くなったのだなあ、ということだった。今更言わなくてもいいようなことが並び、具体的な目玉はなかった。で、結局何が言いたかったの? という全体像になっていた。こんなことを並べるだけなら、談話なしのほうが、スッキリしたと思った。
そのなかで、あ、これはご本人が言いたい唯一のことかもしれないな、この部分は、相談者たちの文ではなく、もしかすると最終原稿を受け取ったあとに安倍晋三自身がつけ加えたのかもしれない、と感じた部分があった。「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちに謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」という部分だ。
中国と韓国が、ことある度に謝罪をしろと言いつのる事に対して、いったい何度謝ったら気が済むんだ? という思いを抱えていたが故の、この一行だろうと推測した。
子どもの喧嘩じゃないのだ。これは言ってはいけないことだった。皮相な見方、浅薄な人間性が丸出しだ。また、宿命という言葉は、このように用いてはならない。
筆舌に尽くしがたい暴挙を受けた側が、もういい、と心から思うまで、思うことはないだろうが、とことん誠を尽くすことしか、道はない。
私は菊池寛の小説『恩讐の彼方に』を思い出す。日本という国が、いつ何をして今に至るのかを、良い事も悪かったことも、事実をすべて伝え継ぐべきだ、先々の世代にとって、このことは生きてゆく上の土台であり、国際社会へ向けることのできる唯一の顔だろう。これほど浅はかで思慮のない、愛情もない、度胸もない、我執に囚われている者を、国の代表者として表に出している日本国民の一人として、私は恥じ入っている。
私は洋の東西を問わず、あちらこちらで、下劣な行動をする個人、組織に出会い、怒り心頭、口惜しい思いをしたこともある。それと同じ以上に、尊敬する態度、見上げた行いに出会ったことが多々あり、むしろ忘れられないのは、良い事を受けた経験のほうなのだ。
日本が一方的に悪行を重ねてきたとは考えて居らず、たとえば植民地支配をしたときでも、ずいぶんと土地の人々のためになるよう、良い事もしたのだ。未来永劫、謝罪をお経のように繰り返すなどは、どこの国がするにしても愚の骨頂だと思う。それはしてはならないし、受けるも愚かしいことだ。なぜなら、そうした言葉は、もはや形骸化しいる故だ。形式に押し込めないためにすることは、繰り返すが事実をすべて知り、学び、その上で堂々とした国格を養い、良い行いを積み重ねて行く事だと思う。
そのなかで、あ、これはご本人が言いたい唯一のことかもしれないな、この部分は、相談者たちの文ではなく、もしかすると最終原稿を受け取ったあとに安倍晋三自身がつけ加えたのかもしれない、と感じた部分があった。「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちに謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」という部分だ。
中国と韓国が、ことある度に謝罪をしろと言いつのる事に対して、いったい何度謝ったら気が済むんだ? という思いを抱えていたが故の、この一行だろうと推測した。
子どもの喧嘩じゃないのだ。これは言ってはいけないことだった。皮相な見方、浅薄な人間性が丸出しだ。また、宿命という言葉は、このように用いてはならない。
筆舌に尽くしがたい暴挙を受けた側が、もういい、と心から思うまで、思うことはないだろうが、とことん誠を尽くすことしか、道はない。
私は菊池寛の小説『恩讐の彼方に』を思い出す。日本という国が、いつ何をして今に至るのかを、良い事も悪かったことも、事実をすべて伝え継ぐべきだ、先々の世代にとって、このことは生きてゆく上の土台であり、国際社会へ向けることのできる唯一の顔だろう。これほど浅はかで思慮のない、愛情もない、度胸もない、我執に囚われている者を、国の代表者として表に出している日本国民の一人として、私は恥じ入っている。
私は洋の東西を問わず、あちらこちらで、下劣な行動をする個人、組織に出会い、怒り心頭、口惜しい思いをしたこともある。それと同じ以上に、尊敬する態度、見上げた行いに出会ったことが多々あり、むしろ忘れられないのは、良い事を受けた経験のほうなのだ。
日本が一方的に悪行を重ねてきたとは考えて居らず、たとえば植民地支配をしたときでも、ずいぶんと土地の人々のためになるよう、良い事もしたのだ。未来永劫、謝罪をお経のように繰り返すなどは、どこの国がするにしても愚の骨頂だと思う。それはしてはならないし、受けるも愚かしいことだ。なぜなら、そうした言葉は、もはや形骸化しいる故だ。形式に押し込めないためにすることは、繰り返すが事実をすべて知り、学び、その上で堂々とした国格を養い、良い行いを積み重ねて行く事だと思う。