文房 夢類
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おせんだんご

東京の古い町が、それぞれに息を吹き返しつつある。谷中では猫の町という特色を生かして、ますます猫色。谷中の「夕焼けだんだん」では、太った猫たちが悠然と道を横切っている。猫は、道沿いに歩く習性を持っており、滅多なことでは横断したがらないのだが、谷中の人は猫に優しいので、のんびりと道を横切るのである。
先日の谷中散歩に続いて、雑司ヶ谷の鬼子母神へ行ってきた。この町も「がやがや散歩」と称して散歩道を何本か紹介、2キロ足らずのルートから4キロまで揃えて盛り上げようとしていた。鬼子母神(きしもじん)の絵馬は石榴だ。
鬼子母神は文字通りの鬼母だった。わが子と言わず、近所の子と言わず、虐めたのではない、食べてしまったのだ。しかも止むことがなかった。見かねたお釈迦様が、石榴を与え、これが同じ味だから石榴を食べなさい、と諭したという。鬼子母神は、以後石榴を食べて大人しくしていたそうだ。これが私が幼時、祖母から聞いていた由来なのだが、こんな恐ろしい由来は、いまは出ていません。各地の由来は、残虐、障害者差別など、支障があると懸念するのだろう、書き換えられることが多い。
久々に訪ねてみれば鬼子母神は、鬼は鬼でも角がない、大人しい、いいもんの鬼なのです、と断り書きがあり、鬼の字から角が取り払われて「田」の字になっていた。が、絵馬はしっかりと赤々とした二つの石榴であった。
境内に茶店あり、「おせんだんご」と出ていたので一皿の団子と一杯のお茶で一休みした。この店は江戸時代から境内にあったものだそうで、最近復活させたという。おせん、というのは、鬼子母神には千人の子があったと言われる、千に由来しているという。
いまは鬼子母神は安産子育て、子孫繁栄の神様として信仰されており、ススキミミズクが名物になっている。
ついでに言うと、ミミズクはススキの穂を束ねて作った飾り物で、昔、悲惨な境遇の娘が鬼子母神に祈ったところ、ススキでミミズクを作り、売るように、とのお告げがあり、これで救われたという由来がある。
肝心のお団子は甘辛一本ずつの串団子で、小粒の五つ差し団子。漉し餡のお団子は、団子の餅の大きさより餡のほうが分厚く、芯に小さなお団子が入っている。焼団子のほうはサッパリ、キリリとした醤油団子で、焼き具合がよく香ばしい。
このおせんだんごは、根岸は芋坂の羽二重団子本舗が作っている。
この茶店は、なんと間借りをして営業している。小屋の主は「大黒天」。大黒天の膝元には賽銭箱、その脇に小さなテーブルが二つあるだけ、風情たっぷりの鬼子母神でした。
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