文房 夢類
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『八月がくるたびに』

昨日、9日は長崎に原爆が投下された日だ。長男からのメールの中に、小学校の時の課題図書が『八月がくるたびに』だった、とあった。しまってあった子供向けの本を今、出してきて開いている。
おおえ ひで作、篠原勝之絵、以前にも読んでいるのに、なぜか初めて開くページに見えてくる。そして以前には素通りしていた文字が強い勢いで息づいていた。驚いてしまった。
選ばれた言葉は研ぎ澄まされた鑿で彫られたかのような魂がこもっていた。酷暑の空を見上げる、棟方志功の鑿の航跡が空中に浮かんで見えた。ひらがな90%の、やさしい言葉たちの鋭さ。

この本に記されている原爆は長崎。長崎にはプルトニウム原爆が落とされた。広島に落とされたのはウランだった。
あの日、B29がお日様に衝突したのかな? これは長崎の爆心地から少し離れたところの人たちの推測だった。
マンハッタン計画のもと、戦争終結間際に完成した原爆を実験だけで終わらせるのはもったいない、本番をやりたい、だったらウランだけでなく、もう一つのプルトニウム原爆の方も見てみたい。早くしないと戦争が終わっちゃう! 
こんな風なあわて方をしていた人たちがいたそうだ。
75年の間に1日、1日と歩みを進めてきた検証が、こんなところに来ている。さあ、どっちがほんとうかしら? それとも他の何か? 検証はさらに進んで行く。

私には二つ、手をつなぐ手がある。長崎とつなぐ手だ。
ひとつの手は林京子さん。この方は同人誌「文芸首都」同人だった。私は「文芸首都」の後裔同人誌にいたので先輩たちから林さんのエピソードを聞いて育ってきた。
林さんは原爆のことばっかり、と揶揄されることもあったと聞いているが、原爆一筋に定まる以前はいろいろなものも書いていらした。ごく初期の短編を読んで驚いた。磨けば光る小石だった。原爆のこと以外に、なんだって書けた方だ。
そういう方が一本に絞って力を込めたのが原爆だった。この方の作にたくさん触れたことを、ありがたいと思う。お目にかかったことがない先輩が手渡してくださったもの、ないはずがない。
もう一つは何年か前に長崎の平和公園を訪れた時に出会った人の手だ。爆心地、平和公園の階段下の坂道で出会った同じ年頃の女性。
指をさして、そこの、その辺、そこで主人の母と二人の妹が。そして私の、と続く「あの日」のこと。彼女の案内で丘を登り、マリアさまに祈りを捧げたこと。言い交わしたことは、今までほんとうに黙ってきたということだった。
今夜を一緒に過ごしましょう、話し合いましょうと約束して手を握り合った、今もこの手を離さないでいます。
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