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Oct 2019

時計の科学

時計の科学』副題=人と時間の5000年の科学 著者=織田一朗(おだ いちろう)発行=講談社 2017BLUE BACKS 234 索引 参考資料 ¥980 ISBN9784065020418
著者=1947年石川県金沢市生まれ。慶應義塾大学法学部卒 服部時計店(SEIKO)入社。1997年独立。時の研究家。
著書=『
時計の針はなぜ右回りなのか』『時と時計の百科事典』『世界最速の男を捕らえろ! 進化する「スポーツ計時」の驚くべき世界』など多数。
内容=人間が時間の存在に気づいた5000年昔から今日までの時計の歩みが詰まっている本。
文字盤の表面だけでも、問われてみると「あれ?」と思う謎がたくさんある。たとえば、なぜ10進法にしなかったのか? なぜなぜ12から始まり、0からではないのか? なぜ右回りなのか?
そうか、インドでゼロが発見される以前に時を知り、時計を作っていたのか、と読み進むうちに面白さに時を忘れる。

本当の花時計とは? も初めて知った。花の開花時間によって配列したというから、これはすごい。パンジーで数字を描いて植えているのは、まやかしなのだと知った。
私の家の洗面所は、とても狭いのに鏡が壁一面の大判、背後の壁に左回りの壁時計を買ってきて取り付けた。こうすると右回りの普通の時計が鏡に映るから、歯を磨きながら時間がわかる。洗面所は朝の時間帯に混雑し、しかも皆、時間を気にするからとても便利に使っていた。ところが最近のことだが洗面所という場所が災いして湿気のために故障してしまった。代わりを買いに行ったのだが、どう説明しても店員がわかってくれない。左回りの時計? ないです。と言い切ってヘンな目つきで人を見るので諦めた。著者は、この時計には「床屋時計」という名前があり、理容店で客のために背後に掛けていたものだと書いている。そして今はないが、と付け加えているので、湿気のためにダメにしてしまったことを悔やんだ。

しかし、核心の部分は時計の構造と、時々刻々の進歩にある。
法学部を卒業して時計の会社に入社、その後の人生を「時」と一身一体となって時計に愛情を傾けている著者の熱は、ものすごい。

腕時計の構造、進歩の足取りが詳細に語られるが、難しい内容にもかかわらず、素人の頭に素直に入ってくるのが嬉しい。腕時計の細かい部品に「アブミ」「コハゼ」などの名が付けられているのも興味深い。
「あとがき」が愉快だ。あとがきでは謝意を表し、執筆に至るきっかけや足取りなどを述べる著者が多いが、織田一朗さんは、違う。
時計の話が、まだある、もっと伝えたいんだけど、という調子だ。時計は大会社が作るのが全盛だけど、たった一人で全ての部品を作って完成させる「独立時計師」がいるんですよ、どこのメーカーにも属さずにですよ、世界に一つだけのデザイン、技術の高さよりも技能の高さ、独創性が評価されます。有名時計師の作品はびっくりするような価格でも、買い手がつくのですと話が尽きないのである。お礼を言っているのは、最後の2行だけ。

最初、図書館で借りて読んだが、これは手元に置きたい本だ、と直感して買った。

ジャクソン・ポロックとリー・クラズナー

ジャクソン・ポロックとリー・クラズナーJackson Pollock and Lee krasner 著者=イネス・ジャネット エンゲルマン 訳=杉山悦子発行=岩波書店 岩波アート・ライブラリー 2009年 サイズ=187X275mm 98頁 ¥2800 ISBN9784000089944
著者=Ines Janet Engelmann ノンフィクション作家。画家に関する著作、特に印象派の画家に関する著作が多い。
内容=アメリカの抽象画家ジャクソン・ポロックと妻の画家リー・クラズナーの出会いから死までを辿りながら主要作品と折々のふたりの写真を載せる。巻末に二人の年譜・主要日本語文献・写真クレジット。 原書は2007年にミュンヘンで発行。
感想=ポロックが、あの独特の画風に至る前の、若い時の自画像や、その頃の写真から始まる。画家人生をスタートして間もないクラズナーが出会ったのは、やはりまだ絵の行く手が見えず混迷する時代のポロックだった。
1908年生まれのリー・クラズナーと1912年生まれのジャクソンの出会いは、リーが彼の絵が持つ力を彼自身よりも先に確信した時に始まった。
彼を見出し、賞賛し、励まし、支える。しかも自分自身も制作する。ポロックが彼女の揺るぎない彼の才能に対する確信と愛の力で、彼自身の才能を発掘、発見し成長してゆく。
ポロックとクラズナーが等分に描かれることによって、ポロックへの理解が深まり、全く知らなかったリー・クラズナーについて興味を持った。それは画家としての興味と並び、パートナーとしての生き方に対する関心である。
ポロックが44歳で自分が運転する車で即死するまでの人生は束の間の花火のような年月だった、しかも本人は、彼自身が生み出した輝きを目にすることなく目を閉じたのだ。名声も富も、この世で味わうことはなかった。
リーは、76歳で亡くなるまで制作を続け、ポロックの巨額の遺産を引き継ぎ、展覧会を開くなど活躍する。
年譜のページに出ているリーのモノクロのポートレートは、写真家ハーバート・マター撮影。このページのリー・クラズナーの写真のためだけに、本書を開いても惜しくない。
マターは、リーよりも1歳年上で、1984年に亡くなっている。フォトモンタージュを始めたグラフィックデザイナーでもある。
マターや、ポラックの時代から、芸術の中心がニューヨークに移った感がある。大きな転換期を作った人々だ。
もしかするとクラズナーが、彼女の作品にモンタージュ手法を取り入れるようになったのは、マターとの付き合いがあったことが影響しているのかもしれない。
マターと彼の妻のメルセデスは、ポロック夫妻と非常に親密であったから、お互いの進む道の行く手が見えていたのだろう。
追記
以上で終わるつもりだったが、最も心に残る部分を抜かしていた。忘れたのではない、哀れな物語は伝えたくないものだ。
ジャクソン・ポロックは家庭を持つことに憧れを持っていた。なにより子供が欲しかった。子供を囲む父と母、特に優しい母の像を夢見ていたのだろう。彼の母は、そういう女性ではなかった。彼が描いた母と思える像は、恐ろしい悪魔以上に見える。
一方、妻のリー・クラズナーは、子供を拒否した。というか普通の家庭を作ろうという発想がなかった。彼女は、自分の生むものは絵画だと決めており揺るがなかった。夫を愛し、尊敬していたが、家庭云々については耳も貸さなかったのではなかろうか。そして、相変わらずジャクソンの作品が無視され続ける日々のなか、リーの作品が多少のお金をもたらしたとき、彼女はイギリスへの単独旅行を企てる。この時期は、夫のジャクソンが新しい女性と関わり始めた時期と重なる。
どちらが先かはわからないが、破局の場面であることは二人ともわかっていた。そして二人とも、以前にも増す強い愛を、お互いに向け続けていたことが破滅を招いたのではないか、破局ではなく。
リーがイギリスに発ったすぐ後に、ジャクソンは自分の車の助手席に女友達を乗せ、もう一人の女友達を後部座席に乗せて暴走、自宅近くの立木に激突した。ポロックと、一人の女性が即死、もう一人の女性が重傷を負った。

写真屋カフカ

写真屋カフカ』(1)(2) 著者=山川直人(やまかわ なおと)発行=小学館 2015年 2017年 kindle版 各174頁¥660 紙本=¥763 ISBN-10:4091872905
著者=1962年大阪生まれ、東京育ち。高校時代から同人誌活動を始め、同人誌即売会コミティア創立時にスタッフとして関わる。現在も同人誌、自主制作本の活動を続けている。
著書=『
コーヒーもう一杯』『道草日和』など。
内容=第1巻に14作、第2巻に13作。ほとんどが独立した作品で、共通する主人公はカフカという名の黒マントの写真屋カフカ。都内で小学校などの集合写真撮影などで生計を立てており、時たまカラスとネコが遊びに訪れて彼らと話し合える。カフカは銀塩カメラで世の中から消え去りゆくものを撮り歩く。そのエピソード集とも言える短編集。本書はビッグコミックススペシャルとして発行、同時にkindle版でも出ている。独特の画風、往年のカメラの数々がカットに入り、念入りに描かれる。
感想=公衆電話ボックス、風呂屋の煙突、紙芝居などを撮り歩く。居合わせた老人や女の子など撮らせてもらい、記念に渡す。銀塩、現像する写真だ。後日受け取った老人の、写っている姿は懐かしい恋人との中学生時代のツーショットだ。息を飲んで再び見つめると、そこには一人でベンチに腰掛けている今の自分が写っていた。「線路を訪ねて」では彼の父が語られる。父の生まれ故郷の電車は廃線となり、線路も消えた野だった。野を撮影するカフカに、土地の老人が語りかけてきた。それは昔ながらの土地の言葉だった。
多少、お伝えできるだろうか、単なる懐古に終わっていない、動きつつ進む社会と連結感がある一方、ファンタジックな楽しみもある。第2巻には未来を見る一編がある。転がってきた幼児の靴、片方。拾いに来たお母さんに抱かれた坊やの写真を撮る。現像して手渡してもらったお母さんが見た写真には、母より背の高い青年が。変な写真家だ、と言われてカフカは、そんなことない、みんな、自分が見たいものを見るんだ、と伏目でつぶやく。
山川直人は、私の一代あとの世代の人だ。が、見ている「昔の姿」が親世代と言える私の視線と重なる世界をつかまえている。例えば映画「自転車泥棒」を観る場面があるが、実際に観て、心を動かされていなかったとしたら描けない空気に満ちている。取材だけで書いたものと、自分自身の欲求から掴み取ったもの、感じたものとの間に広がる溝は埋めようがないし、わかるものだ。だいたい、主人公の名前が谷遠カフカである。これはジャン・コクトーとフランツ・カフカではないだろうか。
コクトーは1963年に亡くなっている人だし、カフカはコクトーと同時代の作家だが41歳で亡くなっている。著者が生まれた頃に、この世を去っている作家たちだ。以前、東京で国際ペンクラブ大会が開催された時に、会場でフランスの作家と話したことがあった。フランスの作家で誰が好き? と問われたので、すかさずジャン・コクトーと答えてしまった。その時の彼のガッカリぶりはなかった。うなだれた姿を、今も思い出す。自分の好みはさておいて、若い、今時代の作家を挙げるべきだった。それはさておき、文学も映画も、フランスは長いこと低迷期にあるような感じがしてならないのは、私の見方がおかしいのでしょうか。
ジャン・コクトーを日本の読者が容易に受け入れることができている理由は、映画がヒットしたこともあるが、詩の訳文が優れていたことが大きな要素だと思っている。翻訳文だけで他国の文学を受け入れる読者の場合、翻訳の力が大きな影響を持つのは避けようがない。
川端康成がノーベル賞受賞後の取材に答えて、(私の受賞は)翻訳の力もあります、と述べていたことを思いだす。翻訳されていなければ読まれなかったわけだし、さらに翻訳の文章が優れていなかったとしたら、伝わるだろうかということだし、翻訳の腕によって、相手の国の感覚に入り込めるような仕上がりになることもあり、その逆もありうる。翻訳のことを考えると、聖書や仏教の経典などはどうなのだろうと思う。
話題が逸れてしまったが、著者は同人誌から出発した作家であるだけでなく、現在も同人誌活動を続けているそうだ。同人誌を作るということは、まさに「活動」であり、文化の、その分野の礎である。商業誌で活躍するかたわら、この場所にも体重をかけている作家を、私は心底から敬愛し、応援する。
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