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Oct 2014

書籍文化の未来

『書籍文化の未来』副題=電子本か印刷本か 著者=赤木昭夫(あかぎ あきお)発行=岩波書店 岩波ブックレットNo.873 2013年 64頁 19cm 500 ISBN978-4-00-270873-7
著者=1932年生まれ。NHK解説委員、慶應自塾大学教授、放送大学教授の後、著述。著書に『インターネット社会論』など
内容=フランクフルト書籍見本市を見た感想・電子化の現在・生き残る書店と出版社について・印刷本と電子本は対決か共存か、の4つの項目。
感想=フランクフルトの書籍の見本市は、見本市の元祖で、16世紀から定期的に開かれている伝統ある書籍集結場。著者が見た2012年について記している。参加国100国、展示総数7400部。地元ドイツが2491,英国が648,アメリカが3位で616、フランス、イタリア、オランダと続く。アジアでは中国が1位で164、次が韓国で46。日本は、アジアの中でも3位と落ち込み、32部だったという展示状況が示される。この数字をどう考えるか、著者の見解と平行して日頃感じていることと思い合わせた。アメリカのビッグ6と言われる出版社の現況も興味深い。世界の知の生産状況が一望できる各種のグラフがあり、日本がいま、世界のなかで、どの場所にいるかを知る事ができた。それは、あまり明るい未来とは思えないものだった。というより深刻にまずいじゃないか、ということだ。著者は、日本の有様を「知的停滞どころか、知的後退の兆し」と書いている。
肝心の電子本か、印刷本か、という問題では、電子本を購入して読む場合だけを取り上げている。私自身は、購入は二次的問題なので、この議論には参加しないのだが、ほとんどのユーザーは、アマゾンなどから買って読むことになる。その場合、買ったにしても所有しているわけではない、というところが一番の問題だし、案外知られていないのではないかと思った。電子本は、中身を販売するのではない、中身の使用を許可するライセンスだ。故に、違法行為は監視されているわけで、一方的にアマゾンがリーダーの中身を読めなくすることも、消去することもできる。
では、リーダーで読む場合の感触は、印刷本と比較して、どこが違うだろう。まず、読む速度について、電子本のほうが20~30%遅いという。また、存在感が希薄であるなど欠点がある一方、電子本は、フォントサイズを変えることが出来るし検索もできる、居ながらにして瞬時に購入できる、持ち運びが便利、アップデートが可能、など利点は多い。
思うに、さらにリーダーは進化するだろう、たぶんパソコン内のツールの一つとして。ユーザーが増えるのは確実だ。やがて印刷本を読んだことがない世代が生まれるにちがいない。しかし、一方では印刷本は決して消えず、しかし増えず、永遠というのが大げさにしても、長く続くだろう。和紙の和綴じの本や、羊皮紙の本は、いまも作られ続けているが、好事家の世界にいるのではなかろうか。それよりも、もっと大規模に、実用として作られ続けることはまちがいない、と私は思います。

多摩川猫物語

『多摩川猫物語 それでも猫は生きていく』著者=小西修 発行=角川書店2013年 サイズ20cm 95頁 ISBN978-4-404112787¥1900
著者=1956年生まれ、川崎市在住。広告写真業。妻とともに多摩川河川敷のホームレス、虐待されている動物の愛護活動と記録をしている。
内容=
1990年から、著者夫婦は多摩川の猫たちの病気治療、給餌、保護などをしている、そのあいだに撮った写真と文。
感想=捨てる、いじめる。わざと犬のリードを外して、せっかく仲良くしていたタヌキとネコを追いかけさせる犬の飼い主。電化製品に囲まれた室内で寝起きし、食べたいだけ食べて、食べ残しもする、そういう「あなた」が授かったあなたの命と、同じ重さのひとつの命を抱えて生きようとしている生き物を、どういう思いで虐待するのだ? 多摩川の河畔は、美しい快適な河川敷だが、ときに怒濤の大河に急変する。そのときに行方不明になるホームレスの人たちと猫たち。著者は、こうしたホームレスの姿も丹念に見つめて守ろうとしている。ネコたちに名前をつけて、名前のある君だよ、と愛情が注がれている。虐待者への怒りの言葉は、みつからなかった。

世界遺産にされて富士山は泣いている

『世界遺産にされて富士山は泣いている』著者=野口 健(のぐち けん)発行=PHP研究所 2014 760 サイズ 新書版 232 ISBN9784569820040
著者紹介 〈野口健〉1973年アメリカ生まれ。亜細亜大学卒業。亜細亜大学客員教授などをつとめる。99年エベレスト登頂に成功、7大陸最高峰世界最年少登頂記録を樹立。著書に「落ちこぼれてエベレスト」など
内容=富士山が「条件付き」で世界文化遺産に登録されたことを、多くの日本人は知らない。富士山の清掃活動に尽力してきた著者が、富士山のゴミ問題、小笠原諸島などの成功例、入山規制のあり方、質の良い観光等について語る。
感想=野口健氏が富士山のゴミについて書いた本を「新刊旧刊」で取り上げたことがある。これもゴミが主役の、富士山を愛する本。
私は、山中湖畔に2年間住んでいた間に、ゴミ拾い大好きな私が見たこと、経験したことが、彼の行動のミニ版だったと気がついた。たとえば、ほんのちょっと、浜に青色の切れ端が見える。ゴミ袋を引きずりながら私は、その10センチくらいの切れ端を引っ張る。山中湖畔の砂地は崩れて、1メートル以上もあるブルーシートが現れる。しかし、私に出来るのは、ここ止まりだったのだ。この先は引いても動かない。砂の下に、なにか大きな重い物が包まれて埋まっていて、よいこらしょ、と引いたくらいでは、びくとも動かない。ゴミ。故意に捨てられたゴミ。野口さんは、富士山麓の樹海でゴミ拾いではない、「ゴミ堀り」をされている。2013年秋の清掃で、静岡県側の林から1800本の古タイヤが出てきたという。
富士山の五合目から上はきれいになった、と野口さんは、今までの努力を振り返る。その通りだろう、しかし。足もとを見れば煙草の吸い殻が、幾つも目に入るのが現実だ。きれいな空気の富士山に登ってきて、どうして煙を吸いたいのか? 愛煙家は、こんな疑問をぶつけられたら、分かっていないな、と笑うだろう。しかし私は、煙草を吸ったことがあるのだ。その上で言うのだが、きれいな空気ほど美味しいものはない。彼らの肺胞はタールで汚れ、汚れた心で富士山腹に吸い殻を捨て去る。
五合目には、上から集めてきた膨大な量の空き缶が、大きなネットの袋に集められて、山と積んである。ここまでは手作業で集めてくる。あとは車で下ろすのだが、五合目で佇んだ人ならわかるだろう、ときに強風が襲う標高2400メートルの山腹である。その風は、空き缶の大袋を、まるで1個の空き缶のように軽々と転がして飛ばしてしまうのだ。
なんで、富士山の上に自販機が必要なんだ! 日常以上 に飲み食いを楽しみながら富士山銀座通りを、物見遊山気分でほっつき歩く必要があるのか! トイレの問題。ゴミの問題。夜間の弾丸登山の問題。
富士山には、それこそ富士山ほどに山積みされた難題がある。この富士山の根っこには、御師(おし)の歴史がある一方、親分子分の習わしが厳然としてあり、いまの社会に生きて機能している。これは本書にはないことだが、目をそらさずに見つめなければならないと思う。
本書の輝く目玉は、富士山を守るアイディアで、それは富士山登山鉄道の開設である。スバルラインとスカイラインを鉄道にして、自動車は一切止める。五合目までの長い距離の樹木が救われるし、ここに捨てられるゴミも、減るに違いない。良い点は、年間を通して五合目まで行かれること。この案を、ぜひ実現させて富士山を守りたい。
 

夜と霧

『夜と霧『 EIN PSYCHOLOGE ERLEBT DAS KONZENTRATIONSLAGER in.....trotzdem Ja zum Leben (心理学者、強制収容所を体験する) 新版   ヴィクトール・E・フランクル著 池田香代子訳 発行=みすず書房 2002年 20cm 169頁 ¥1500 4-622-03970-2 初版=1947年 新版=1977
著者=VIKTOR E. FRANKL 1905~97 ウィーン生まれ。フロイト、アドラーに師事、ウィーン市立病院神経科部長。彼の一家はユダヤ人であったが故に収容所に送られ、両親、妻、子どもたちは殺され、あるいは餓死した。著書『死と愛』『フランクル回想録』など
内容=半世紀読み継がれてきた本書は、世界中で600万人が読んだと言われるロングセラー。ナチスの収容所生活記録。
感想=愛と死と祈りが木霊する、この記録は、人間が存在する限り、読み継がれるにちがいない。フランクルの精神は、深く内面に進み、広がり、アウシュヴィッツから始まっているものの、世界じゅうに行き渡る普遍性を持っている。それ故に、万人の心にしみ通る。実は、ここだけの特別のことじゃない、どこにでも起きることなのだ、と読む人は感じるだろう。また、フランクルの観察の通り、親衛隊にも尊い人がいて、被収容者のなかにもサディストがいた。立場がどうあれ、人には、それぞれの本性があり、究極、本音が現れることを見せつける。
 「『夜と霧』と私ー旧版訳者のことば」として巻末に霜山徳爾氏の短文が添えられ、続いて池田香代子氏のあとがきがある。池田香代子氏が新訳を世に送り出すにあたり、訳文の一端を霜山徳爾氏に見て貰い、その場で出版社を紹介して貰ったことが記されていて、それは傍目にも好感の持てる清々しい姿だ。両者の訳それぞれに良いところがあるので、新旧ともに読み継がれることだろう。さて、この霜山徳爾氏の巻末の文章の一部を、ここに紹介する。
 「このような超国家主義の悲劇は、周知のように本邦にも存在し、多くの死と不幸を人々にもたらした。軍閥は相克しつつ堕落し、良識ある国民、特に知識階級に対しては、国家神道の強制、および治安維持法による(ナチスに負けない)残忍な逮捕、無期限な留置、拷問、懲役、で「転向」を強制するのであった。戦争の末期に至るや、「特攻」作戦と称して強制的な命令によって、あらゆる中古機、古い水上機などを主として、これを爆装して、陸海軍合わせてなんと七千名の少年兵出身で、やっと操縦できる程度の練度の低いパイロットをのせて、いわゆる「神風」の体当たり作戦に投じ、ほとんど全滅であった。この無法な作戦の上奏に対して、天皇が許可しなければそれまでであった。しかし彼は黙認してしまった。私には未だに血の逆流する想いが断ち切れない。フランクルの書はこの時、「大いなる慰め」である。」 以上、引用終わり。 
 収容所で被収容者を痛めつける「監督」らは、人でなしのサディストだ、しかし、こうした設定を思いついた「上の方の誰か」がいたのだ。どうして、こんな恐ろしい事を思いつくことが出来たのか? 書類が回って、次々に承認して、決定したのではなかったか。私は、この人達こそ、極悪人だと思うのだ。もしかして、こうした「上澄み」は、罪にもならずに、目立たぬように群衆に溶け込んでしまったのではなかろうか?

 日本の場合も同じなのだ。「夢類」の「同人誌の原っぱ」にも、ベニヤ板で作ったボートで、敵艦に「特攻」させられたことを書いた作品がある。上の方の誰が思いついたのだ? 誰が賛成したのだ? 霜山氏が書いているとおり、日本の場合、誰が、何を思いついたとしても、天皇が「あ、そう」と首を縦に振らなければ、事態は進まなかったはずだ。「特攻」は阻止できたのだ。私の血も逆流している。卑怯者だと思いませんか? 黙認とは。その息子夫婦にしたって、あっちこっち訪問しては、「たいへんでしたねえ」「からだに気をつけて」などと言っているが、止めてくれ、と言いたい。彼ら夫婦が欲しているのは、国民からの賞賛のまなざしなのだ。食うには困らぬ、知名度はある、あとは、際限なく欲しいのは、拍手なのだろう。ほんとうに、しなければならないことは何だろう。発言すべき言葉がありはしないか。安住のなかで、口当たりの良いことを言っているだけに見えるのだ。
 特定秘密保護法。そして集団的自衛権。これを目の前にして、逆流したり煮えくりかえっていても始まらない。どうしてくれよう。

人生100年時代への船出

『人生100年時代への船出』著者=樋口恵子 発行=ミネルヴァ書房2013.12 187cm 184頁 ISBN 978-4-623-06963-7 1400
内容=百歳を超えた日本人が5万4千人いる時代。人生百年時代をいかに生きてゆくか、社会制度、経済、家族構成、家族関係などの移り変わりと現実を押さえながら、明るい百歳を見通す。
感想=私が40代のとき、樋口恵子さんの講演を聴いた。そのとき、ここにいる皆さんは、確実に80歳まで生きます、とおっしゃった。聞いていた私は、まさか、ほんとかしら? そんな長生きするかなあ、と思った。
しかしいま、私は80寸前だし、樋口さんは80歳を越えたのだ。いま、樋口さんは百歳、とおっしゃる。またまた私は、まさか。そんな。ほんとかなあ? と苦笑いしているのだ。でも樋口さんの言うように、百歳の人が、わんさと増えるかもしれない。さあ、その長い時間をどうする。まさかの自分の問題を考えながら読むことで、この本は生き生きとアイディアを提供してくれる。なにより、意識を変えることだ、百歳の親の子は何歳だと思うか。3世代家族ではない、いま4世代に入っている家族だ。

生存者の回想

『生存者の回想』(THE MEMOIRS OF A SURVIVOR) 著者=DORIS LESSING ドリス・レッシング 発行=水声社 2007¥2200 237頁 サイズ 20cm ISBN978-4-891766559
著者=1919201394歳)イギリスの作家 小説・詩・ノンフィクション 2007年ノーベル文学賞受賞 受賞理由=女性の経験を描く叙事詩人であり、懐疑と激情、予見力を持って、対立する文明を吟味した。
内容= 近未来のイギリス北部の都市を想定した場所が舞台。現代社会が完全に崩壊して道路と建物は残っているが、交通、電気、水道、通信網などのライフラインがすべて破壊され尽くしたアパートの1Fに居残る、一人の老女が主人公である。小説の中心にいる老女、私は、ただ一人、待つ。なにを、何故、いつまで?  時が過ぎるのを待つのだ。荒れ果てた道路には、田舎へ落ち延びてゆく人々の姿、たむろする若者の群れが見える。若者等は無人の建物に侵入して略奪、破壊し去って行くが、同じような集団が次々に現れる。老女は、高価な水を買い、蓄えの食物で暮らすが、不自由さに負けて逃げることはしない。あるとき、部屋の壁の向こうに、なにかが存在することに気づく。現実の壁の向こう側は通路だが、老女は、そこに部屋があるとみて踏み入る。部屋はひとつではなく、様々な多数の部屋があり、人の姿も見えた。
読者は、この時点で、この小説が近未来小説であるだけでなく、ファンタジックな要素をも、併せ持つことに気付かされる。
こうした状況にあるとき、見知らぬ男が、エミリという少女を連れて訪れ、置き去りにする。老女は、13歳のエミリの面倒を見ながら生活するようになる。エミリは1匹の獣を連れてきて、この獣も同居する。それは茶色の毛皮で犬の形だが緑色の猫の目をしている醜い獣だった。エミリが道路のギャングたちの仲間に入り、ボスの女となり、ライバルの少女が現れるなどの動静を、老女は獣と共に見守り、待つ。当初はエミリの保護者の立場であった老女は、やがて荒廃した現実の中で、古布で服を作り、食物を手に入れてくる技のある、早熟で逞しくもあるエミリによって生活を支えてもらう関係に変化してゆく。ギャングのボスの下には大勢の子4,5歳のこどもたちが集まり、エミリは彼らを取り仕切るが、少女と子どもたちの関係は権威と服従であり、ここに、意図して作られたのではない従来社会の病巣が現れる。作者の主張する一端、社会構造は特定の人物たちが意図して作り上げたものではなく、状況次第で少女と4歳児との間にも生まれるのだ、と言っているかのようだ。やがてこの子どもたちは人を殺す。冬が来て老女とエミリとボス、獣は老女の部屋に籠もったとき、壁の向こう側の部屋が現れて、皆が踏み入る。そこに老女が探し求め続けてきた女人がいた。女人に従い、エミリとボス、獣がついて行く。獣は美しく、威厳と支配力に溢れた素晴らしい動物に変身してエミリのそばを歩いていた。ギャングのボスは、最後までためらっているが、子どもたちにしがみつかれて、皆と一緒に女人のあとを追った、そのとき最後の壁が砕け散る。
感想=生存者、と訳している SURVIVOR には、たしかに生存者という訳もあるが、「生き残った人」のほうが、この作の場合、より適切に思える。「回想」ではない、これは「記憶」のほうがぴったりする。読みにくい、分かり難い、長々とした説明文が、最後まで続く作品。
壁の向こうにある部屋と、そこにいる人々は、原初の風景ともいえる普遍的な世界で、いままでに世界各地で生まれて読まれてきた物語の典型である。『トムは真夜中の庭で』(フィリパ・ピアス)などのファンタジーを思い出させる。
生涯をかけて探し求める「何か」が、そこにあるのだ。「待つ」私は、求めるものを手に入れる迄、待っていたと言える。求め続け、待ち望んでいたものは、一人の女人。その姿も声も言葉も、なにひとつ描かれていない、女人に従い、どこかへ去って行くゆくエミリとジェラルド(ギャングのボス)、獣、子どもたち。私は、見送る人であり、追うことはない。一同が去り、壁が砕け散る。
私を過去、エミリを現在、獣を未来とみることもできる。あるいは、殺人者である4歳の子どもを未来に置くことも可能だ。レッシングがしつらえた世界は、細部は目の前に見えるように仔細に描かれているが、いったん超常世界に入ると、一挙に不可解世界に読者を落とし込む。読み取るという読み方ではなく、著者に対抗し、作品と戦いながら読み進む方がより楽しめるし、収穫も大きいと感じた。
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