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Jun 2013

冷血

『冷血』(IN COLD BLOOD)著者 トルーマン・カポーティ(TRUMAN CAPOTE)訳 佐々田雅子 新潮社2005年発行 ISBN4-10-501406-4 ¥2600 190mmX132mm P 346
著者=1924~84 ニューオリンズ生まれ ほかに『ティファニーで朝食を』など
訳=カポーティ発表当初の和訳は、瀧口直太郎。これは新訳であるが、当時の差別語はそのままにしている。読みやすい。
内容=1959年にカンザスの農村で起きた一家惨殺事件を5年にわたり綿密に取材。実際に起きた事件であり、この作品からノンフィクションノベルの分野が始まったと言われる。
感想=被害者一家周辺の人々も取材したと言われる。私は、この普通の人々の描写に、強く惹かれた。頭で作っているのではない、写生をしている、という感触が強く伝わってきた。創作の一歩は、やはりここから始まる、と痛感した。だれが冷血か、犯人だけが冷血か? という著者の思いが、かすかに流れるが、高村薫さんの作品の方が、この部分は明確だし、強い。これは力量の問題ではなく、本物の犯人と何年にもわたり接触というか付き合って執筆したカポーティが、百も承知でいながら、相手に取り込まれそうになったり、さまざまな煩悶のるつぼの中で書ききった、この苦労苦悩が忍ばれるというものである。
ひとつ、これはぜひ、知らせたいことですが、内表紙の献辞で、ジャック・ダンフィーとハーパー・リーへ 愛と感謝を込めて とあります。
このハーパー・リーは、『アラバマ物語』の著者であり、カポーティの幼なじみ。アラバマ物語に登場するディルは、ちっちゃな、ひねこびた少年。この少年のモデルがカポーティだと言われていて、リーは、『冷血』の取材にも同行して協力しています。

冷血 高村薫


『冷血』高村薫著 毎日新聞社2012年発行 ISBN978-4-620107899 ¥@1600 上下2巻 187mmx132mm P290x2
著者=1953年大阪生まれ ICU教養学部卒業 小説家 『マークスの山』『照柿』『レディ・ジョーカー』ほか多数。
内容=トルーマン・カポーティの『冷血』へのオマージュと言われる一家4人惨殺事件を扱う創作。従来のサスペンスから深化した心理風景が描かれる。
感想=カポーティの同名の傑作と、世田谷一家殺人事件が折り重なって、この作品の上を覆う。前科者の2人の男が夫婦と子供2人を殺すことから始まり、逮捕されて死刑まで、なぞることが目的であるかのように、そっくりである。上巻で事件と犯人逮捕までが描かれる。倒叙形式ではなく、この後が本番です、という意気込みで著者は犯人の心理を追い、掘り下げようとする。下巻が読みどころ。結局、誰が冷血の体質を持っていたのか、いまも冷血であるのは誰か、という作者の問いかけが聞こえるようだ。『神の火』を一編読んだだけの、けして熱心な読者ではない私だが、高村さんに、私は好感と同感を併せ持っている。弱者への温かい気持ち、『神の火』にあるような原発への怒りは、人としてのありようを、小説家としてより以前の人間として考える姿勢を持っていて、私はここに共鳴している。身辺雑記を起承転結もなく綴り、随筆と銘打つならともかく、小説として発表し、ほかに創作がないような「作家」は、私の興味の外にある。ただ、ここで同業として感じたことを言うと、果敢に立ち向かった取材、スロットマシン、クルマ、医学分野などの成果は、これなくして成立しない見事さだが、取材時の印象が強すぎて、多少知っている側からの眺めは、過剰に過ぎるというか、感じちゃってはまっている、みたいな感じを受けた。実際の地名、施設名などを出す方法は、臨場感抜群、私は町田街道、R16など庭のようなものだから、すっかり楽しんだ。これはよいのだが、姉と弟の2人とも「付属」に通わせたのは、むしろ私立の一貫性の学校などを選んだ方がよかったのではないか、抽選がある学校への姉弟入学は、この設定に必要性がない限り不自然さが目立ってしまう。つまらぬ設定の問題だが読者はつまらぬ部分に引っかかるものではないだろうか。

大いなる遺産

Great Expectations)ディケンズ(Charles John Huffam Dickens) 山本政喜訳 角川文庫上中下巻 初版昭和27年 
ISBN-13: 978-404211009このほか、新潮文庫上下巻 山西英一訳 と、河出文庫上下巻 佐々木徹訳もある。
ディケンズは、改めて書くには及ばぬ文豪。
本書は、ディケンズの晩年の作で、彼の作品中、最高という評もある長編小説で、映画化もされている。
内容は孤児のピップが鍛冶屋の親父に育てられて、将来は鍛冶屋にして貰うつもりでいるところを、思わぬ遺産が降って湧いたようにピップにもたらされる、そして……、というストーリー。
感想=昭和27年の訳文は、新潮文庫版の山西訳と比べてみたが、どっこいどっこいであった。ただ正直に原文を訳しているなあ、とその忠実さに好感を持った。いまは原文が無料でネットから読めるので、楽に比べることができる。ほんの少し、お楽しみに訳してみたが、ディケンズの文章は丁寧で多弁で、やっぱりディケンズ、そしてお手本にされるだけのよさがあるのだった。なんといっても人物造形の巧みさ、その人物に付与された性質気質が、まるで実在の人物であるかのように躍動し、読む人の心に焼き付けられてしまう。いいやつも、いやーな奴も。しかも人物群がとんでもなく異様で、常識外れで想像を絶するものであるにもかかわらず、彼らの心情は、実に身近に感じられる。ストーリーも意外な展開を見せる。このあたりが大衆向けのエンターテインだが、それだけではない、この時代に生まれたといえる家庭の温かさ、家族愛、そして友情が描かれる。ピップに表れる人間性のよさには、作者の願いが込められているように感じた。
特に印象に残ったのは、数多の登場人物中、寿命が尽きる高齢者が多くいることだった。この人々が、どのようにして命を終えるか、その有様に感銘を受けた。医療が未発達で、福祉もない時代、もちろん老人ホームもない時代に、だれが、どこで、どのように病人の介護をし、看取っていったかという姿が描かれている。物語のストーリーを楽しむとかいった目的ではなしに、今現在の高齢者への介護、病人に対する看護などと引き比べながら、この点に注目して読むと、ピップの周辺の高齢者たちが、ほんとうに人間らしく、のびのびと、むしろ我が儘なほどに、して欲しいことを要求し、言いたいことを言い、聞いて貰い、しかもいままでの世界から引き離されることもなしに旅立っている、と感じた。
『大いなる遺産』(

食の終焉

『食の終焉』副題=グローバル経済がもたらしたもうひとつの危機 (THE END OF FOOD) 著者=ポール・ロバーツ (Paul Roberts)訳=神保哲生(じんぼ てつお)ダイヤモンド社 2012年発行 ¥2800 541頁 128mmX187mm ISBN 978-4-478-00747-1
著者=年齢不詳。個人情報はワシントン在住とのみ。ジャーナリスト。主著に「THE END OF OIL 2004」
訳者=1961年東京生まれ。ジャーナリスト。
内容=現在の「食」供給の姿を描く。地球規模で需要と供給が錯綜しつつ破綻に向かって押し流されつつある現状と、その問題点を考察する。先に読んだ『戦争と飢餓』は、食の問題を戦争という局面から見た著作だったが、本書は、食の問題を産業化した生産現場と流通の面から見ている。
感想=たとえば、あらゆる匂いを合成できること、添加物のこと、あるいはフォアグラなどのように、動物虐待による食の楽しみなど、数多くの知識を蓄えていたつもりだったが、本書内で、私はなんども腰を抜かし、のけぞった。牛、豚、鶏。主にこの3種が自然を冒涜するにもほどがある、という言語に絶する行いによって生産されている現状、いまや個人の力では動かしがたいサプライチェーンの網の目にはまっていて、価格競争と市場競争とあいまって、先へ先へと動いてゆくしかない有様が記述されている。
著者は、地球全体をまわり、生産者や経営者に直接会い、取材をしている。この精力的で、根気の要る取材が強い説得力を持って迫る。最後に彼は考える、結局は消費者が1円、1セントでも安い食を望むところから始まっているのだ、まわりまわって悪いのは消費者だ。これからの食糧危機は、海からの供給を視野に入れるべきだ、魚だ、と結論づけている。
PSEという初耳の略語を例にとってみよう、Pはpaleで、肉色が淡い、Sはsoftで、組織が柔らかい、Eはexudativeで、水っぽい。産業用ブロイラーは、遺伝子学の進歩で、内蔵、肉などを全面的に改良されて鶏肉マシンと化しており、40日で屠殺できる。しかし如何様に改良されても生き物なのだ、殺されるショックで身を震わせるのだそうだ、そのときに細胞の老廃物である乳酸を大量に筋肉組織に排出する。この乳酸が肉のタンパク質を変質させて、結果、肉質がPSEとなる。食品会社は、この欠点を安価に解決、すなわち、塩とリン酸塩を肉に注入して保水性を高めて出荷している。この操作によって、店頭の鶏肉は美味しそうな色の、しっかりした肉質の鶏肉に見えるのだが、実は肉の販売重量は、この注入によって10%から30%増えているという。
今日はスーパーのセールよ、と喜んで買っている鶏肉が、まさしくこれなのだった。いったい、これからの地球はどうなるのだろう? 水の惑星、青い地球は干涸らびた屍となって太陽のまわりを巡るのではなかろうか。人口爆発と飽食と飢餓の同居する社会、早晩枯渇する資源、水。
著者と訳者(あとがきで)は、声を揃えて1円でも安い価格を望む消費者に罪を着せているが、これでは解決にならない。私が思うには、この瞬間からできることから始めるべきで、それは食べられるものを絶対に捨てない、ということだ。食べ残しをしないことだ。これができるかどうか。
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