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Dec 2014

元原発技術者が伝えたいほんとうの怖さ

『元原発技術者が伝えたい ほんとうの怖さ』著者=小倉 志郎(おぐら しろう)発行=彩流社 2014年7月 208頁 187mm¥1700 ISBN9784779119804
著者=1941年東京生まれ慶應義塾大学工学部機械工学科卒、同大学院修士機械工学専攻修了。日本原子力事業(東芝と合併)で35年間原発の現場を含む各部門担当。2012年、国会事故調の協力調査員として、東電福島第一原発の事故調査と報告書作成に携わった。「原子力市民委員会」「柏崎刈羽原発の閉鎖を訴える技術者・科学者の会」のメンバー。「軍隊を棄てた国コスタリカに学び平和をつくる会」世話人などをつとめる。
内容=2部に分かれ、最後に資料がつく。
PART1 「元原発技術者が言える原発の危険性」と題して著者の過去の仕事からはじまり、原発の実像を見つめ、危険性の核心を記す。
PART2 「事故のあとだからこそ言えること」各章、2頁足らずの随想集。
資料1 著者が、以前に山田太郎の名で発表した「原発を並べて自衛戦争はできない」を収録。
資料2 著者自作の紙芝居「ちいさなせかいのおはなし」をモノクロで収録。遺伝子は放射線によって破壊される、という内容。
資料3 内部被曝について基礎知識を得るための参考書の紹介
73歳の著者が遺言のつもりで書いた、という。紙芝居は、文部科学省が2010年4月から「原発がクリーンで安全であること、エネルギー資源の少ない日本に必要なものであること」を教えるようにという通達をだしたという情報に接し、山田太郎の名で大急ぎで作ったものだった。2011年3月5日に初上演、3月11日の午後も、東京中央区の会場で、この紙芝居を上演していた。
小倉さんのお父さんは火力発電の技術者だった。これからは原子力発電の時代だぞ、と言われて、天然資源の乏しい日本のためという思いもあり、原子力の会社で働くことにした。デスクワークだけではなく、現場も担当したことで把握した実態を簡潔にわかりやすく知らせてくれる。この部分は50頁余りで短い。ほとんどが第2部の随想である。これは、思い出すまま、考えつくままに綴ってあり、著者が、心底、言いたいこと、伝えたいことが並ぶ。私は、読み返すために付箋をつけていったが、結局付箋だらけになってしまった。
 いくつかの小見出しを挙げます。「火事はまだ鎮火していない」「自由な議論ができない文化と歴史」「マスメディアの政府・財界の広報機関化」「国の滅亡の可能性」「プルトニウム汚染の広がり」「元に戻せぬ国でどう生きるか」「福島県における話題のタブー」「詭弁の横行」「国破れて山河なし」「それでも何かできることはないか?」きりがない、全部並べたくなる。
 スウェーデンとドイツが原発ゼロを目指している。そこで小倉さんは友人と六本木のスウェーデン社会研究所の所長に会いに行き、スウェーデンの原子力事情を尋ねたという。すると所長さんは、技術的な問題点にかかわる答えではなく、日本との違いは「民主主義の成熟度」だと言ったそうだ。根幹の問題が、セシウムだ、プルトニウムだ、だけではない、その土台の人間の有り様なんだということだ。
 日本には「見ず清し」という諺があり、私は日本列島の太平洋岸で陸揚げされる海産物をもてはやす映像を見る度に、この諺を思い出す。低線量被爆が、数十年後、もっと先に及ぼす影響は、今生きている人たちには関係ないかもしれないが、今生きている人たちが真剣に考えて、我慢すべきところを我慢し、できることを探さなければならないのだ、と思った。
本書は、今年度の最高本、必読書です。一人でも多く読んで頂きたい。
 ここで終わりにしたのだが、もう一つ付け加えます。私は「夢類」誌に書いた通り、日本がオリンピックを開催する事に反対です。私のように、反対と言っているだけではなくて、小倉さんは、こんな表現をしていられます。ご覧下さい。
 「日本という「家」の奥座敷の火災が鎮火もしていないのに、世界中から東京にお客を呼んで、オリンピックというお祭り騒ぎをやろうという安倍首相や猪瀬都知事(当時)の心理はとても私には理解ができない。開催予定の2020年までまだ数年がある。日本の放射能汚染の実状が世界に知れ渡ったとき、事態は思いもよらない結果になるかもしれない。(後略)」
 3.11以後、来日する外国の要人たちが、妻子を同伴して来日しているかどうか、観察してみて欲しい。
 東京の水道水が表層水を使っていること、その水源はどの辺にあるのか、山林の除染をしたのか? とんでもない。手も金も回るはずがない。一般の食物屋がどういう水・食材を使用しているのか。「見ず清し」で済む問題でしょうか。

高齢初犯

『高齢初犯』副題=あなたが突然、犯罪者になる日 著者=NNNドキュメント取材班 発行=ポプラ社 2014年9月新書版184頁¥780 ISBN9784591141632
内容=2013年12月に日本テレビ系ドキュメンタリー番組で放映され、反響を呼んだとして出版した新刊。高齢者が殺人・万引きなどをする世相についてとりあげ、10名の高齢犯罪者へのインタビュー内容を紹介、さいごにこんなことにならないための7箇条を作っている。
感想=年末に世情をあらわす新刊を取り上げようとしたが失敗した。このブログで取り上げるのは、読んだ本のうち5%にも満たない。本書は取り上げる範疇に入らない部類だが、ためになるところもあるので、敢えて書きます。
本書を読む人が得るものはあります。それは、テレビの視線と視力を、映像抜きの文字で知ることができる点。帯には「いつか、あなたもやってしまうかもしれない」そして「10人へのインタビューとともに日本を浸食する闇とそこからの脱出法を探る」とあるが、副題といい、この惹句といい下品極まりない、見世物小屋の呼び込み科白と感じた。なぜかというと、被取材者への敬意、愛情がなく、読者へ、これこそ伝えたいのだ、という熱意も感じられないから。他人事だよ〜、怖いよ〜、といった感じだ。
取材班と言うからには、何人かが束になってやったのだろうが基本的な数字が何もない。年齢、年間の犯罪者数、推移、その中で高齢者が占める割合、累犯との比較、さらに日本では、と繰り返す以上、外国諸国のデータも必要とされる。なにもない。行き当たりばったり10人に会ってきました。会ってみたら頑なでした。これでは開いた口がふさがらない。頑なでしたと白状しているとおり、心を開いて貰えなかったのだ。もしも、たった一人、一瞬でも良い、ハッと心打たれることを手渡して貰えていたら、最後の「高齢初犯に陥らないための7つの習慣」のなかに「発見」が書き込まれたことだろう。誰でも知っていることをかき集めただけの7つである。

海流のなかの島々

『海流のなかの島々』ISLANDS IN THE STREAM 著者=アーネスト・ヘミングウェイ ERNEST HEMINGWAY 訳=沼沢治 発行=新潮社 新潮文庫 上下巻¥@480ISBN4-10-210008-3
内容=この本は、アーネスト・ヘミングウェイが1961年に猟銃自殺後、彼の妻、メアリー・ヘミングウェイが版元のチャールズ・スクリブナー・ジュニアと協力して編集し、1970年に出版した長編小説である。未完のまま保存してあったものをみつけた。
はしがきに、メアリーが、こう書いている。「綴り字や句読点の訂正という当り前の作業に加え、若干原稿のカットを行いましたが、これは故人が生きていれば当然自分でいたしたはずと私に思えたカットです。この本はすべてアーネストのもの。私たちはいっさい加筆しておりません。」
カリブ海に浮かぶ小島、ビミニで一人暮らしをする画家、トマス・ハドソンが主人公。夏休みに、別れた妻たちの息子たち3人がやってくる。これが第一部。第二部は、下の息子二人が母親と共に自動車事故で死に、長男を戦地で失ったハドソンが、キューバに逼塞する重苦しい心模様が描かれる。第三部「洋上」は、ドイツのUボートと思える敵船を追跡して殲滅させるが、ハドソンは致命傷を負う。
感想=トマス・ハドソンは作られた人物像であり、そっくりヘミングウェイと重なるものではない。実生活の息子さんたちは死なない。事実とは違うのだが、実際にビミニ島、キューバを愛していたヘミングウェイの姿が重なって見える。登場するネコたちはヘミングウェイが飼っていたネコたちで、これは実名だそうだ。
いつもは母親と暮らす息子たちが父のいる島へやってくる。待ちかねる父。子を見る父親の目の確かさ、深さに目を見張る思いがした。海釣りに出て大物がかかる。このときのすべてが、のちに『老人と海』に姿を変えて発表される。両方を読んでみると、こちらが先に書かれたと見ざるを得ない。長編であり、未完であり、しかも推敲途上におかれたままの作品である。それにもかかわらず、私は突っ走るように読み進み、読み返した。「ビミニ」のなかの#8では作家論が、#9では「老人と海」の原型が見られ、#10に自殺論とも言える内容が籠められる。「キューバ」の章は重く暗く海はない。ここにむき出しのヘミングウェイが置かれ、苦悶苦悩がのたうち回り、読むに堪えない無惨な魂を目前に見る。ここまでの大きなうねりが、終章の見えない敵を追跡する海上の激闘を必然的なものにしている。ハドソンは致命傷を負い、ここで未完なのだ。
海の情景、空、雲の姿、船。酒。そして吐き気がするほどの緊張のなかの追跡と戦闘。ネコたちへの心遣いは、人に対するのと変わりがない。出かけるときに、挨拶を忘れて出てきてしまったが、と気にしている。一緒に眠っていて、猫が胸に乗っている、寝返りを打つときに、猫に断っている。細かいことの感想は山のようにあり書ききれないが、読後、微風のように目の前をよぎったのは、三島由紀夫の最期の大作『豊穣の海』全四巻であった。寒気がする。

西行

『西行』著者=井上靖 発行=学研 1982年初版 サイズ187mm ISBN4-05-100091-5 ¥980
著者=井上靖
内容=『山家集』の句を、十代から二十代、二十代から三十歳になったころまで、3章目が五十歳頃まで。あとは、五十歳、六十歳、七十歳と、おおよその年齢順に数十首を選び、西行を思う随想を記している。最後に四季の歌をあつめてある。
感想= 井上靖は書いている、二十台の歌には二十台の心が入っているものとして読むし、六十台の歌は六十台の心が入っているものとして、それを鑑賞することになる。残念乍ら小説家の私には、その程度の読み方しかできない。
 では、どのような読み方を私はしているのか。富士山の吉田口に立ち、見えぬ頂きを振り仰ぎ、手をかざす程度の読み方であろう。井上靖の読み方を辿ることは、窮屈さがなく、こちら側にゆとりを持たせてくれている、と分かる道のりだ。よそ見をしても良いですよ。脇道に入ってみたい? 遅れないように戻っていらっしゃい。そうやって気ままに読み進むうちに、ほとんど実像の知られていない、分かっている部分がきわめて少ない西行という一人の男が、立ち上がってくるのを見ることができる。これは鑑賞ではない、まさに、小説家が、小説家として働いてみせたのだ。西行を想い、西行を恋し、西行を師とした芭蕉もまた、西行に息を吹き込みつつ陸奥を旅したにちがいない。
 つけ加える私の感想……文字を追い読む。声に出して読む。西行のことばは、滞りなく流れ、自然で快い。なだらかで美しい日本の言葉である。柔らかく品よく、あたたかい。和の言葉を愛おしみ、たいせつに用いている。「夢類」の師。

しあわせ節電

『しあわせ節電』著者=鈴木孝夫(すずきたかお) 発行=文藝春秋2011年 サイズ=194mm 128頁 ISBN9784163743202 ¥1143
著者=1926年 東京生まれ 現在慶應義塾大学名誉教授 専門=言語社会学 日本野鳥の会顧問
内容=節電・節約を呼びかける理由とどのようにすると良いか、その方法を著者の日常節約生活を語ることで伝えている。
感想=著者の節電・節約は、いまに始まったことではない。親の代から、当然の態度として家庭に在り、孫に受け継がれている。無駄にしない、充分使うが余分な浪費はしない。まだ使える物を、古くさくなったから、と買い換えることをしない。鳥が大好きな著者は、自然を、この地球を、非常に大切にしている。地球規模で、いまの暮らしぶりをみたとき、いかに暗い将来であるか、ということを、さまざまな言い方で訴えている。地球のために、日本のために、すべての生きるもののために。夜空から見下ろす日本列島は、輪郭を浮き立たせて輝いている。これは犯罪的な電力消費ではないか。現実生活の、ちょっと贅沢すぎる部分を考え直してみよう、そんな気持ちに、本気でなると思うのだ、この本を読むと。
終章で、日本人こそ、この時期だからこそ、節約をし、節電を心がけて、世界文明の変革の旗手になれる、と語っているのだが、ここに、面白い一節があるので紹介します。
「人間の面白いというか恐ろしいところは、肉食と草食の中間にいることです。……本当に肉食ならもっと牙がなくてはいけないし、完全に草食ならば牛のように反芻をしないといけない。中途半端な肉食動物であるために、“殺しの本能”は持っているが、本当の肉食動物ならば同時に持っていなければいけない”殺さない本能”が未発達なため、歴史的には互いに殺し合い、他の生物に対してはいま人間は止めどのない生態学的破壊者の道をつき進んでいるわけです」

老人と海THE OLD MAN and THE SEA

『老人と海』THE OLD MAN and THE SEA 著者=アーネスト・ヘミングウェイ ERNEST HEMINGWAY 訳=福田恒存 発行=新潮文庫 1966年 /Bantam Book published by arrangement with Charles Scribner’s Sons 1947
著者=1899~1961アメリカの小説家・詩人 1954年にノーベル文学賞受賞
訳者=1912~1994 評論家・翻訳家・劇作家
内容=キューバの老漁夫が小舟で漁に出て、巨大なマグロを取ったが、帰途獲物を鮫に食われてしまう。
感想=手持ちの文庫本は、1966年初版、84刷の1995年に買ったもの。英文のペーパーバックは1952年初版の1965年版。
スペンサー・トレイシー主演で映画化されたのを観たのが最初だった。映画に感動したので読んで、原作はこのようだったかと思った。たくさん読みたい本がある。次の本へ行こう、と急く気持ちで伏せられた『老人と海』は、その後ずっと棚に立っていた。今夏、小舟の船端から手を海に入れて、何メートルも下までも透明な海水、その底の白砂、このカリブ海に触れたとき、私はキューバの老漁夫を思い出していた。
改めて読んだのだから感想を書くべきなのだ。が、私は文庫本のページを繰りながら、ん? と立ち止まってはカリブ海に目を放った。二階の書棚を巡り歩き、きっとあるよ、と私は英文の本を探した。息子が置いて行った英文のペーパーバックを見つけて、やったね、と満足。焼けが激しく、ほとんど茶渋色だ。もちろん私は訳本を読む方が手っ取り早いので開いたこともなかったのだが、心から読みたいと感じた。
 キューバの漁村、少年と老人がいる。老人は一人で小舟で漁に出る。4日後にもどり、力尽きて眠る老人を少年が介抱する。舟には巨大な魚の骨が括り付けられていた。ほかに、なにを伝えることができるだろう、これから読んでみようかという読者に、私の言葉にとりかえて伝えることができる内容は、ほかにはない。
 何を感じたか、だったら多少話せるだろう、カリブ海の1マイル下の海の色。貿易風。白い砂。微風。真の闇の中から次第に現れる長い島、キューバの輪郭。しかし、これらはカリブ海に接した故に、思い出される感触であって、太平洋しか知らない人、日本海に馴染んでいる人にとっては、文字でしかないだろう。
 ヘミングウェイの遺作『海流の中の島々』(ISLANDS IN THE STREAM)は、彼の没後、メアリー・ヘミングウェイが残された原稿のなかからみつけて刊行した作品である。『老人と海』という短編は、実はこの『海流の中の島々』の副産物ともいえる作品なのだ、と言われるほど隣接した作品である。一緒に連れてって、とせがむ少年と同じ年頃の時に読むのと、老人の年齢に達して読むのと、どちらにも訴えてくる力がある。巨大な魚は、老人にとって何者なのか。死について、祈りについて思いを馳せる老人とのつきあいは、読む側をも疲労困憊させる。私は、最後にマストを担いで小屋へ上がってゆく時にいたり、老人を基督のように感じた。仏教のお坊さんに通ずる行住坐臥の心境で祈る人のようにも見えて、キリスト教徒ではない身からは、解ったようなことを口にできないと、つくづく感じた。つまり私は、老年になり再読したが、この作品について、まだ解らない部分がいくらでもあるのだ、ということがよく分かった。
 翻訳というものは、安易に行うべきではない、とあらためて感じた。ひとこと多い、とは思うけれど、言わずにいられないのが、翻訳する人のことで、せめて現地を知っている人に手がけて頂きたいと思う。できることなら通年生活した人。一家言を持っていて、理屈もこねるという人には手がけて欲しくない。誤訳は論外。曲訳は自己満足以外の何物でもない、弊害あって一利なしである。
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