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Aug 2015

ミスティック・リバー

『ミスティック・リバー』MYSTIC RIVER 著者=デニス・ルへイン Dennis Lehane 訳=加賀山卓朗 発行=早川書房2001年 430頁 サイズ=20cm ¥1900 ISBN4152083662
著者=1965年マサチューセッツ州ボストン生まれ 小説・脚本家 ボストン周辺の数カ所のカレッジで創作の講座を持っている。本作は、クリント・イーストウッド監督で映画化され、2003年度アカデミー主演男優賞を、ジミー役のショーン・ペンが受賞。
内容=長編小説。11才の少年3人が路上で悪さをしていたとき、2人の警官から叱責を受けた。デイヴは集合住宅に住む母子家庭の子であると答え、ショーンは山の手の一戸建てに住むと返事をし、ジミーはデイヴと同じ地域に住んでいたが、山の手に住んでいると嘘をついた。警官二人は偽物であり、デイヴを選んで誘拐した。4日後にデイヴは自力脱出して戻った。誘拐されてなにがあったかは、最後まで語られない。
25年後、36才になった3人の物語は、ショーンが地元警察の殺人課勤務、妻と別居中。デイヴは 妻と息子と暮らすが、転々と職を替えて低賃金のその日暮らしをしている。ジミーは強盗の罪で服役、刑期を終えた今は雑貨屋を営んでいるが、土地で起きた未解決殺人事件の犯人の疑いを、街の人々から暗黙のうちにかけられている。17才になる前妻との娘、ケイティは美しく、ジミーは深く愛している。
ある夜、デイヴが血まみれの姿で帰宅し、人を殺してしまった、と妻に言う。その夜、ジミーの娘、ケイティが車を運転中に襲われて殺された。ショーンが捜査に当たり、事件は解明されてゆくが、デイヴの妻は夫を疑い、ジミーに相談する。手に怪我を負っているデイヴは、その傷の原因を尋ねられる度に、違う答えをして、次第に深みにはまってゆく。ジミーは河畔にデイヴを追い詰めて自白を迫る。強く否定するデイヴ。ジミーはやったと言えば命を助けるが、否定すれば今殺すという。デイヴは、生きていたい、死にたくないと命乞いをしつつ、やった、と答える。ジミーは即座にデイヴを殺して河に沈めた。
ネタバレになってしまったが、既に映画化され、年月も経っているのでご容赦願いたい。
ショーンは、ケイティ殺しの犯人、それは少年たちだったが、突き止め、同じ夜に別の場所で男が殺された事件も解決した。未成年者暴行の現場に出会い、過去が甦ったデイヴが衝動的に殺したのだった。事件は解決した。ジミーは、デイヴが無罪であったことを知り、打ちのめされるが、ジミーの現在の妻は、知らぬ顔で、この街で暮らし続けるようにと、ジミーの背を押した。従うジミー。
唯一の明るいエピソードは、警官のショーンが、別居中の妻の心に思いを寄せ初め、和解へ動き始めたことだ。
感想=ボストンという街を、私は一度訪れたことがあるが、学問の街という印象を受けた。しかし街というものは一面だけではない。山の手の一戸建て、川向こうの集合住宅、収入のちがい、何もかもちがう。しかも生まれたときからボストンを離れず、仕事を得て結婚もし、一生を終えるまで同じ場所にいる。そういう土地である。日本にも、こうした地域は多い。同じ顔がいつも行き来して、だれも外に出て行かないし、入っても来ない閉鎖社会の物語だ。土地と土地を流れる川と、人とがくっついて離れる事がない。これは土地の物語でもある。
著者の作風は、クライム・ミステリに分類されている。どのジャンルに置かれるにせよ、ストーリーの進行とは、直接関わりのない場面は多く、そこに描かれる情景と心理は緻密で深い。かすかな動きとそれに伴う表情と短い言葉は鋭く、いったい、この力量はどのようにして獲得したのかと舌を巻くこと屡々であった。
これは上質で高度に完成された文学作品である。人間だけでなく、ボストンという土地と、読者がそれぞれに住んでいる土地に通ずる普遍性のある土地が持つ呪縛、土地が抱える沈黙を描いている。
ミスティック・リバーは、ボストンに実在する河の名だ。河の持つ流れと、河の持つ側、そう河には両側があるのだ、これも身にしみる。
土地を離れて描く作家、架空の土地を創りあげて、そこにドラマを置く作家、さまざまな方法があるが、著者は我慢強く生まれた土地にしがみつき、掘り下げている。傑作。

「人間国家への改革」

『「人間国家」への改革』副題=参加保障型の福祉社会をつくる 著者=神野直彦(じんの なおひこ)発行=NHK出版2105年NHKBOOKS1231 226頁¥1300 ISBN9784140912317
著者=1946年埼玉県生まれ 東京大学名誉教授 専門=財政学
内容=歴史の「峠」に立ちて・「人間国家」へ舵を切る・財政を有効に機能させる・民主主義を活性化させる・人間国家が導くなつかしい未来。この5章のもと、財政と社会保障の専門家の立場から、これからの日本社会がどうあるべきかを考え、提案している。
感想=東日本大震災と時を同じくして脳梗塞に倒れた宇沢弘文氏が、亡くなる寸前に著者に、あるミッションを託した。そのミッションとは、宇沢弘文・神野直彦編『日本の課題ーAgenda for the Nation』全3巻の編集作業だった。宇沢弘文は原稿を完成させて、プロローグを添えて著者の許へ送り、著者は、担当部分とエピローグを完成させることになっていたのだった。これは宇沢先生の思想の集大成、と著者は、本書の中で書いている。こうした思いを背負っての本書であると感じた。
いま日本は、日本社会が「峠」にいることを知る必要がある、と説く。量産時代は過去のものだ。右肩上がりの経済成長を追う時代は大過去だ。ここで大転換をして「人間国家」へ爪先を向けよう。いままでの土木事業国家は終わった。人間の「生」「命」を最上位に置く社会を目指すためには現実を直視して危機を理解しよう。この見方は、先に読んだ『東京劣化』と共通する。立ち止まり、登ってきた峠道を振り返り、これから下る峠道の勾配や降り立つ場を見通すことが必要だ。最終章の「懐かしい未来」という言葉は、スウェーデンの映画監督ヘレナ・ノーバーク=ホッジの表現であり、かつて存在した緑と人間の絆が復活した未来だという。
産業革命以来の大転換をすべき、歴史的な時代に生き合わせたことを自覚して、従来の常識に囚われずに、新鮮な視点で未来を見つめ、新しい社会作りに取りかかる必要があると感じた。著者は民主主義の活性化を説いているが、これはなかなか難しい。私は、敗戦直後、天から舞い降りてきたかのように与えられた民主主義というものが、元来日本に定着していなかった、と感じている。故に、活性化以前の問題で、改めて民主主義を身につけるところから始める必要があると思う。
著者は、学びのサークルを薦める。また、ボランティアというものは、元来、リタイアした市民が行うものだと説く。この二つは、ほんとうに大切なことで大賛成だ。

まことに残念ですが・・・

『まことに残念ですが・・・』副題=不朽の名作への「不採用通知」160選 編著=アンドレ・バーナードAndre Bernard 監修=木原武一 発行=徳間書店 1994年 206頁 120X187mm ¥1600 ISBN9784198601126
「お笑い」の本ではないのに、大笑いした。並み居る大作家が、いとも簡単に切り捨てられているのだ。切り捨てる大剣豪は出版社の編集者だ。出版社というものが誕生した後の出来事である。
不採用を告げる理由が「お笑い」の素なのだが、これが笑えると同時に、笑えるほど似通っていることに笑わずにはいられない。
真面目な顔に戻って改めて読むと、不採用の理由はすべて、いま現在売れない。読者の共感を呼ばない、理解できない。あるいは嫌悪感を呼ぶ。なかには、小説にしては知的すぎるというのもある。これらはすべて、いま現在、日本の編集者も口にしている科白だ、この手のって、いま売れないんですよ……。
科学技術の世界は日進月歩、一方、小説世界は出版社誕生以来、足踏み状態なんだという事実が160本の不採用通知で身にしみるのである。

東京劣化

『東京劣化』副題=地方以上に劇的な首都の人口問題
著者=松谷明彦(まつたに あきひこ)発行=PHP研究所2015年 新書 192頁 ¥780 ISBN9784569824819
著者=1945年鳥取生まれ 大蔵省主計局・大臣官房審議官を経て国際都市研究学院を創設。専門はマクロ経済学・社会基盤学・財政学。
内容=高齢化と人口の減少が東京にもたらす影響を直視して、30年50年先を予測。同時に増税と年金が都民に与える影響を分析する。では、してはいけないことは何か。それは増税と少子化対策として多産を奨励すること、経済成長の促進。この3点だと説き、具体的な対策を提案する
感想=序章で伝わってきたことは、著者の日本への、東京への愛情だった。専門分野と確実なデータを土台として、これから先の東京について述べている。感じたことを書いているのではない、著者は、自分の頭を使って考えている。読む側も、この問題について私はこう考える、と考えながら読むことで、新しい未来への道を探すことができると思った。現在の少子化現象の原因が、戦時中の産めよ増やせよ、の国策、ついで強烈な人工妊娠中絶の推進にあるという指摘は、まさにその通りだと思った。国のために、人のもっとも大切な命を左右しようとしたのが軍国主義だった。いまもおなじことだ、産め、産め、と騒いでいるではないか。
具体的に提示される東京元気の提案に、諸手を挙げて賛成だ。経済も右肩上がりの時代は終わっているのだ。いつまでも昨夜の夢にすがっていては未来はない。著者は70才だが、考え方は新鮮だ。年齢が若くても、保守的な考えの人もいる。読み終わって、東京には、新鮮な感覚が似合うし、必要だと思った。

HIROHITO

HIROHITO AND THE MAKING OF MODERN JAPAN 発行=HarperCollins Publishers Inc.2000年 本文=P688 註・索引=126頁 写真=16頁 サイズ=135 X 210 ISBN 0-06-09314-X
PULITZER PRIZE
 2001 THE NATIONAL BOOK CRITICS CIRCLE AWARD
『昭和天皇』上下 発行=講談社2002年 監修=吉田 裕 訳= 岡部牧夫・川島高峰・永井均 ISBN9784062105910
著者=HERBERT P. BIX1938年米国マサチューセッツ生まれ ハーバード大学・専門は歴史学・東洋言語学 30年にわたり日米の大学で日本史を教える。現在ニューヨーク州立大学ビンガムトン教授
内容=1901年(明治34)皇太子誕生から始まり、1945年敗戦、死去。その後20世紀末までを含めて「裕仁」を描写している。
   あらましを伝えるために、目次を転記する。
   序章
   第一部 皇太子の教育  (生育時代)
   第二部 仁愛の政治   (摂政時代・政治的君主の誕生)
   第三部 陛下の戦争   (満州事変・昭和維新と統制・聖戦)
   第四部 内省なきその人生(東京裁判・晩年)
感想= 読み終えるのに、たいそう時間をかけた。時間がかかったのは無理もないことだった。私にとって第三部以降は、いまも現在なのだ。
日本国が起こした戦争と敗戦という大事件が、自分の人生の始まりから並んで時を刻んできた。明治天皇という人、その息子の大正天皇、私の感覚では天皇陛下と言えば昭和天皇その人であるから、本書に寄せる関心は深く、始終、記憶と付き合わせて読む必要があった。書物から目を上げて、しばしば私は「そのころ」を彷徨った。

本書を執筆するにあたっての、著者の姿勢がよい。背筋を伸ばし、まっすぐに両足を踏みしめ、揺るぎがない。視力聴力をはじめ、五感すべてが清涼に研ぎ澄まされている。ずば抜けた体力の持ち主である。周辺に、奥さんをはじめとして、よい助力者が集まっているように見受ける。日本語訳のほうが感覚に沿っていた点は地名人名が漢字で記されていることで、これは無条件によかった。
いままでにもこの時代の記録は読んできたが、筆者の立ち位置がハッキリ決まっており、相対する側に向かっている姿勢があるので、感情を伴う記録になっていると感じていた。それらの書物により、あるいは口伝えによって得た知識は、誰かを悪者として、花形人物を賛美するという色合いを持っていた。勿論私はその色合いに染まっており、軍神を賛美しA級戦犯の誰彼を憎んだ。もっとも大きな特徴は、天皇陛下については、どこからも、だれからも、なにもなかったことだ、表向きは。そう、表向きは、であり、でも、と続けられる声を潜めた部分には、天皇への非難が込められていた。もっとも多い天皇への非難は、なぜヒロシマ以前に降伏の放送をしなかったか、というものだ。
この書には、そこが記されている。そして裕仁本人へ常に照準を合わせ、横道に逸れることはない。
安心と信頼を持って読むことができた原因は、裕仁の言動の記述の基礎に、たしかな調査、検証が行われており、確証のもとに現れた結果を、率直、平易に記している点にある。
さて、裕仁本人に対する感想は、彼が、非常に自己保存欲の強い人間であったこと、天皇の位に対する執着もきわめて強かったことが、国民が受けた影響と思い合わせて合点がいったことだ。この性質と並ぶ彼の特徴、国を我が所有物と認識し、とことん政治に関与してきたこと、関与しながらも陸海両軍を采配できぬ無能ぶりを発揮し、敗戦後も政治に指示を出せなくなったことを不満として報告を要求し、現実の認識に欠けていたことについて唖然とした。大きな岐路に立たされたときに彼は、決断をしていたのではなかった、常に「ここに至りては、致し方なし」という決断とは言えない追い詰められ的言辞であったことには、彼の性格、人格、能力面からみて深く納得がいった。ビックスは最後に、彼が謝った相手はただひとり、先祖の霊であったと書いている。
付け加えたいことがある。それは、本書の最終ページにある以下の文章だ。
 1990年12月、皇太子明仁が即位を終わり、記者団のインタビューを受けた。このとき記者から(即位式の天皇陛下万歳の三唱から)戦争を連想しなかったかと尋ねられた天皇は、「私の世代は[戦争とは]かかわりのない時代に長く生きているので[戦争を思い出したということは]ありません」と答えた。その後毎年誕生日を前にした記者会見が恒例となったが、戦争をめぐる深刻な質問はそれ以来なくなった。 引用終

 今に生きる日本人に言いたい。「あいまいさ」のぬるま湯から出て、フィルターを外した自分自身の目で見る努力をしませんか。私がいままで信じていたこと、天皇陛下は戦争について報告を受けるだけで何も知らなかった。あるいは東京裁判は勝者の一方的な裁判だった。もっとあるが、これらは大嘘だった。
御前会議は儀式ではなかった。天皇を頂点とする作戦立案の場であり、裕仁の裁可なしには何も動かなかった。東京裁判のための重要な下ごしらえは、マッカーサー側と日本側の協同作業で行われ、裕仁を裁判の場に出さない、無罪どころか関係のない人物として隠しおおすために最大の努力が払われた。表だった罪は東条英機に集められ、彼の答弁は指示された言葉だった。
 私が口伝えに聞いていたことは、当時の皇太子明仁、現天皇は戦時中、日光の光徳小屋という山小屋、これは学習院の校外施設だ、ここにご学友と疎開していた、ご苦労をなさった、ということだったが、実はホテルにいたのだ。全身の血液が逆流するほどの憤激を覚えたのが、先に紹介した記者会見における彼の感想だ。「私の世代は(戦争とは)関わりのない時代に長く生きているので、(戦争を思い出したということは)ありません」。東京で生き延びてきた私は、彼より2才年下だ。「私の世代」などと軽々しく一緒にして欲しくない。



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