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壺猫

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Sep 2013

老人ホーム

老人ホームのダイレクトメールが何通も来た。お墓のCM電話も受けるが、これには関心がない。老人ホームの豪華なパンフは楽しんで眺める。リゾートホテルみたいだなぁ。いや、実際、人生のリゾートホテルと言えるかもしれない。後ろ盾に病院がついており、3度の食事はリクエストするだけで欲しいものが出てくるところもある。仲良しの友達が都内新築のホームに入ったので、始終電話しておしゃべり遊びをしている。私は言う、台風たいへんなの。メダカが流れちゃうの心配。返事は、いいわねえ〜。秋の虫が鳴きだした! と私。いいわねえ、聞こえるのね? あ。聞こえないんだ? 何も聞こえないわ。そうか、エレベーターで上の方に上がった部屋なんだわ。当たり前のことを、何気なく喋っても、いいわねえ、という声が返ってくる。つい、この間までは、ほんとよねえ、と言い合っていたのだ。なにが変わったのかしら。
私は、大きなことを一つ、見つけた。それは、どんな高級ホームにもないものだ。ホームから生まれて巣立ってゆく命、これがひとつもない。当たり前。事実。ホームから静かに立ち去る命は、あの世へ消えてゆくのだ。それは、長かろうと短かろうと、いずれ必ず我が身にやってくる定めであると、入所者は納得してはいる。
泥棒の心配をし、火の用心をし、台風にうろたえ、ヤダヤダと文句たらたらで暮らす俗世には、さようならがお目出度うの場合がたくさんある。卒業。転勤。結婚して引っ越し。ホームに育つ命を作って欲しいと切に願う。メダカ飼ったらタマゴ産んで、子メダカが育ち、目が離せない。小さな命の躍動は素晴らしい。タニシだっていい。タニシは単身でジャンジャン子タニシを産むから景気が良い。
繰り返すことになるが、人は死ぬ一方の世界に閉じ込められたら、その時点で死んだも同然ではないか。いかなる悪行を積んだとしても、死刑囚となった瞬間に、死んだも同然なのではないか? しかし、死刑囚には、まだ道が残されている、脱獄という道が。ホームから脱走者がでるだろうか。生きる者らには、生も死も必要だと思う。

読書感想

最近、読書評のブログを更新していない。読書評を書こうとしては、止めてしまう本が続いている。実際は、平均毎日1冊くらいは目を通しているのだが、元気が出ない。なかには書くほどのこともない、たわいもないものが含まれていて、たとえば「タネのない手品」という子ども向けの本などは楽しい本だった。新刊書の中で、最近読んだのが『検証東日本大震災の流言・デマ』という本。流言・デマに影響されないようにするには、どうしたよいか、見分ける方法は、という内容。ところが常識から一歩も出なくて、それはわかっているけれど、というだけのことだった。否定的な感想を並べるだけでは、ためにならないので止めてしまう。
大震災と福島原発事故以来、もっとも必要なことは、出所の明らかな事実の報道で、これが事故発生直後から現在に至るまで不足している。不信がつのり、事実までも信じられず、嘘と本当が判然としない。流言・デマを見分けたい、という欲求が増えている故に、そうした本が出版され始めているのだが、そこに答えはない。饒舌に書き散らして売りに出している本の中には、ヒットワードが賑やかに踊ってはいるが、見識も知恵もない。踊っているだけである。
私は、ここ2年半の間、加藤周一さんの著書『羊の歌』のなかにある、敗戦前の新聞記事を読む場面を思い出し、これを手本としてきた。若者の加藤周一さんは、特別のニュースソースを持たない一般大衆の一人である。新聞とラジオの報道だけで日本の行方を見つめている。その条件、状況で、日本は負けることが決まった、その日は近い、と新聞記事から掴むのである。どうやって? それは記事のなかに、それまではなかった「国体護持」の4文字を見つけたことだったという。

オリンピック その2

オリンピックという世界を一つにするスポーツの大祭典は素晴らしい。前の東京の時は入場式を従妹と見に行った。従妹の父、私の叔父が入場券をくれたのだった。初めて見る見知らぬ国々の人たち。一堂に会した世界の国々の人々を見た、はじめてのことだった。世界には、こんなに多種多様な人たちがいる。その姿を目の前に見たことが、印象につよく残った。駆けっこをしようが、走ろうが、球を追いかけようが、それは精一杯やったらよい。今回の東京オリンピック開催決定で思ったことは、東京は辞退すべきだったのに、という思いである。一度、経験させて貰ったのだ。まだ開催していない国があるならば、そして未経験の国が希望しているならば、まず譲るべきだと思った。やりかたが下手だってかまわないじゃないか。それより、経済発展の呼び水にしようとか、自国の利益ばかりに目を向けて喜ぶのは、私にはできません。
大喜びをしている人たちに水を差すようなことは言いたくないし、私だって、7年後に生きていたら、喜んでテレビを見ると思う。でも、やっぱり辞退した方がよかった。

オリンピック

昨日の日記で私は、東京にオリンピックを招致することに反対したが、いまも変わらない。安倍晋三首相は、国際オリンピック委員会総会で、東京が放射能汚染に関して大丈夫だと主張する科学的根拠はなにか、という質問に答えて、状況はコントロールされている。海洋に流出した汚染水もブロックされている。東京は安全だ、と明言した。この答えを聞いて黙る方もいい加減だが、言い放った日本の首相には、呆れてモノが言えない。疑問視されている当事者が、自分の事を如何に弁護しても言い訳にしかならない。この場合ドイツなど現場を検証している第三者の出したデータを提示して客観的な判断材料を見せることしか、納得する答えはないはずだ。しかも、いったいどれほどの人々が、福島第一原発事故が完全にコントロールされていると判断しているだろう。タンクの継ぎ目から漏れた云々の事故についても、あれこそ偽装であり、事実は地下水脈に流下しているのだ、という噂もある。もしコントロールされているならば、たしかな根拠を出して、風評であると否定して見せて欲しい。東京の水道水、神奈川の水道水、これらは表層水である。山々からダムに集められた水が都会の飲料水だ。どこまで安全か。ダムと山の場所を地図で確かめて欲しい。私は飲んではいけない水と思っている。高齢者は影響が出る前に寿命が来るかもしれないが、今日、生まれた赤ちゃんたちの何十年後が案じられる。病院通いの人口が爆発的に増えたとき、それが30,40,50年後であったとしたら、国は因果関係を認めるだろうか。
現在の状況は、絶望的なモグラ叩き行為をしているに過ぎない。そうして。肝心なことは福島を中心とする被害を被っている人たちに対して、どれほどのことをしているのか。いまだに仮設にいる人たちが大勢いるのだ。猪瀬都知事の、東京、カネ持ってるもんね、みたいな宣伝文句を並べ立てた演説は厚顔無恥、聞いているこちらが恥ずかしくなった。
大丈夫と宣伝されて日本に来る外国の人たちに、申し訳が立たないと思い、こうして生活している2013年の日々、一日も休まず、汚染水が海に放出され続けていることを世界に申し訳が立たないことと思う。

原発について

北海道の友人からメール、そのなかで「泊原発が止まるなら、電気料金が倍になっても我慢できます」とあった。泊という場所を、どのくらいの日本人が知っているだろうか? 訪れたことがあるだろうか? ここは日本列島の中でも、きわめて美しい海岸線。その最も美しい場所を無残にも破壊、誰も近寄ることのできないプラントに変貌させているのだ。日本の国を引っ張ってゆく政治家たちは、どうして、我と我が身(国)を汚し、破壊したがるのだろう? 国が、如何に甘言を弄したとしても、どうして地元は許してしまったのだろう? この海辺を守ろうとしなかったのだろう? 怒りが沸々と湧く。美しい日本、と言ったのは誰だ? 私は、安倍政権のすべてを否定する。
9月2日の朝日新聞、ベルリン特派員松井健からのレポートが報道されている。概要は以下のごとし。
「ドイツのメルケル首相は1日、22日の総選挙に向けたテレビ討論で、東京電力福島第一原発の放射能汚染水漏れを念頭に、『最近の福島についての議論を見て、ドイツの脱原発の決定は正しかったと改めて確信している』と述べた。ドイツメデイアは汚染水漏れについて批判的に報じている。メルケル氏はまた、ドイツが米国主導のシリア攻撃に参加しないとの方針を表明。以下略」メルケル首相の事態の把握と理解、そして的確な判断は迅速、適切だ。フクイチについては、日本の国民は報道よりも先に事実を掴んでいる。今回の安倍総理の決定、東電に任せないで国がやる、などは、何を今更、の感がある。
太平洋は既に汚染された、とはドイツの分析、検証による。太平洋の海産物はおしまいなのだ。残念なことだが、事実を見なければいけない。また、今回のシリア問題についても、イギリスが拒否、ドイツもシリア攻撃に参加しないと表明した。日本はどうだろう? 例によってうじうじと事態を見守り、米国の顔色を読み取り、イヤな顔をされないような決定をする、というよりも追い込まれる。自分の頭で考えて判断し、表明することを「愚」と考えているにちがいない。

関東大震災

今年は、例年になく関東大震災についての報道が多かったので、私も吊られて当時の思い出話を記すことにした。子どもたちにも伝えていなかった、と改めて気づいたので、聞き伝えだけれども、記すことにします。
私の母は、大正元年生まれだから、関東大震災当時は12歳だった。住んでいたのは東京、高田馬場の木造平屋の一戸建てだった。その日は両親が出かけていて、母は弟と二人で留守番をしていたという。二人だけといっても、ねえやが居り、お昼ご飯ができました、冬瓜ですよと、言ったという。そのとき、揺れた。母の言い方は、「ねえやが冬瓜、と言ったときに揺れて、弟が壁の下敷きになってしまった」というものだった。私は、直立している壁の、どこにどのようにして下敷きになったのか、想像がつかないまま聞いていたが、今思えば、土壁が崩れ落ちて、木舞から外れた土塊に弟が埋まったということだったのだ。母は、弟を泥の中から引き出したが、大揺れの家の出口が見つからず、目の前の窓から表へ逃げ、小学校の校庭へ走った。母の母が飛んで帰ってきたとき、ねえやは潰れた家のそばで震えており、倒壊した家の隙間に母の赤い三尺が引っかかっていた。母の母は、その三尺を見るなり、子どもたちが死んでしまったと思い泣き崩れたそうだ。のちに母は、弟を助けて小学校まで避難してきた「業績」を褒められて表彰されたという。
いったん小学校へ集まったのちに、一家は本家へ避難した。本家は同じ高田馬場にあり、こちらの家屋は揺れただけで助かっていた。広い庭の奥の方に総勢がかたまっていたという。皆、喉が渇き、お腹も空き、スイカを手に入れたという。近くに畑がいくらでもあったという。さて、スイカを食べよう、包丁を台所から持ってきて切り分けよう、となったときに、誰一人として台所へ行こうとする者がいなかった。家は揺れ続けており、怖くて近づけなかったそうだ。母から聞いた話は、ここで終わっている。
その後、小学校でも、親から聞いた震災の話を、度々話し合った。地面が裂けて、大きな亀裂に落ちた話を覚えている。今回の東日本大震災のときも、水泳教室で集まったときに、関東大震災の話をし合った。横浜で震災に遭った話を始めて聞き、90年経った今も、この大きな震災は関東の人たちの間に生き続けていることを体感した。
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