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壺猫

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Nov 2012

花盗人

筋向かいに住む、仲良しの奥さんが、あるとき教えてくれた。「泥棒は悪人よ。でも花盗人だけは、よい泥棒なの」だいぶ年上の人で、何事につけ教えて貰っているので、私は「そういうものなの?」と言った。「そうよ、あれは罪ではないのよ」と、彼女は胸を張った。しかし、以前にも、別の年上の友人から「嘘つきは悪いけど、嘘には赤い嘘と白い嘘があって、白い嘘はついていいのよ」と教えて貰ったことがあり、これは実はとんでもないことだった、ということがある。年上の女性に弱いのが私の性癖で、つい信じ、つい従ってしまうのだが、花盗人は、やはり、とんでもないことであります。
盗まれた人の嘆きの声を、立て続けに聞いて現場を見た。季節柄、冬の花壇のためにパンジーの苗を買ってきてプランターに植えた。近所の家のことだ。新種の珍しいパンジーを一鉢、高かったけれどひとつまぜて買い、プランターの目玉にした。ら、らら、それだけが、そっくり抜かれて消えた。何日と経たない朝、なくなっていた。もうひとりは、タネから育てる人。毎日、葉の数を数えて蕾を発見して、水やりが楽しみな人、今朝は咲くかな? とみたら根こそぎ抜かれて消えていたという。一度、二度ではないの、と嘆いている。盗んだ花を自分のプランターに入れて眺めて、楽しいかしら、と私が言ったら、そんな神経持ってる人は盗りませんよ、と苦々しい表情でため息をついた。

天国

天国という。キリスト教文化圏の人たちが天国というときは、キリスト教を基本土台として天国を認識しているから、まったく問題がない。彼らには、ほんとうに天国は存在する。天国と、煉獄と、地獄が存在する。しかし、家に仏壇や神棚のある日本の人たちが天国というとき、なにを思っているのだろう、と私は不思議なのだ。人が亡くなったときに、天国で云々、と追悼の言葉を言う。二言目には天国だ。仏壇、神棚から、どんな天国を連想しているのだろう? それともクリスマスやハロウィーンの感覚で、人が亡くなったときだけ、キリスト教風になっているのだろうか? まさか。それはないだろう。
 私には、天国はない。「死」から見えるのは、冥府である。黄泉の国である。そして三途の川、賽の河原である。日本の神話に根ざした、幼いときからなじんでいる世界が、この冥府である。この世界はほとんどフィクションから遊離しているので、確かな姿をしている。
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