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壺猫

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Jul 2016

ポパイと二宮金次郎

「歩きスマホ」が危険である、止めるように、とさかんに言われている。スマート・フォンやタブレットを見たり操作しながら歩くと危ない、と注意している。薪を背負い歩きながら、寸暇を惜しんで本を読んでいたのが二宮金次郎だった。歩きながら何かをすることは昔からいろいろあったので、環境が激変したということだろう。二宮金次郎は天明時代の相模に生きた人だが、もしも今の相模原市にタイムスリップしたら、おお、歩くだけでも危ない、命が縮む思いだ、と驚くことだろう。
「ドーピング」問題もオリンピックを控えて世界的な問題になっている。スポーツは万人にとって清涼剤でもあるから、すべての国の優れた選手たちが気持ちよく競技できる環境を用意してあげたいものだ。ついでに言うと、勝つ、勝つ、金メダルだとあまりにもこだわりすぎるのではないか。勝者に対する「ご褒美」も、常識を越えたものになっているのではないか。
話を戻すと、ドーピングも今に始まったことではない。ポパイはほうれん草を食べると元気百倍、大活躍をする。ポパイはドーピング元祖ではないかしら。ポパイとオリーブには素朴で無邪気な夢がある。紛争とテロの日々、大きな戦争の暗雲を背後に感じつつ不安の心で生きる我々なのだ、せめてスポーツだけは素朴で、無邪気な世界に置いてあげたい、これこそ夢の夢だろうが、いつまでも手放したくない夢だ。

猫の意思表示

富士のために、いつでも飲めるように水を置いている。並々と水を満たしたカットグラスの花瓶を食卓に置いている。切り花があるときは本来の役目に立ち返る花瓶だから、富士に我慢をして貰うことになる。お客さんが見えると、花の活けてない花瓶に並々と水が張ってあるので不思議な顔をされる。お客さんが見えているときは、富士は遠慮しているから誰も気づかない。普段はテーブルに飛び乗ってきて飲んでいる。20センチくらいの高さは、猫が伏せずに、自然な姿勢で水を飲むためには、ちょうど良い。始終、床に置いておくのは簡単だけれど、やはり足許の埃やゴミが入りやすいので避けている次第。
朝、富士は水の容器の前に正座して水面に鼻先を近づける。私の顔を見る。身じろぎして座り直し、顔を背ける。私は花瓶を洗い、水を入れて戻す。そのあいだ富士は、顔色も変えずに見守っている。
やがて富士は、目の前に戻された水を、いかにも美味しそうに飲むのである。まあ、飲むといっても時間をかけて舐めているようなものだけれど、それが猫の水飲みスタイルだ。
猫の表情は、顔には出ないということが分かってきた。猫の顔面筋肉には表情筋がないのではないかしら。かわりに身体表現が豊かで、微妙な感情も不自由なく表現するのだ。これ、夕べの水でしょ? 新しく汲み直してちょうだい。あ、うれしい。待ってました! 気持ちいいなあ。こんな声が聞こえてくるような身体の動きです。

猫の聴力

二階のベランダに洗濯物を干すとき、富士もベランダに出る。洗濯機に洗濯物を入れて洗剤を入れているときは、どこにいるのやら姿を見せないが、洗濯機から取りだしているときは、階段の下で待ち構えている。私が二階へ上がることを知っているのだ。狭い急な階段を一段ずつあがる私。濡れている洗濯物は重いから、時間をかけて上がる。よっこらしょ、なんて言う。
ベランダへ出るのは富士のほうが早い。あとから駆け上がってきて跳びだしてゆく。ヒヨドリ。ムクドリ。季節によって現れる鳥たち。スズメ、カラス、メジロ、オナガ、ヤマバト。コゲラを見たこともある。富士は動く鳥を目で追う。追う目つきは真剣で、頬のヒゲを手前に向けて張り詰め、下顎を小刻みに噛む。我知らず狩猟の姿を見せているが、これはしたくてしているのではない、本能で身体が反応しているのだ。
干し終えて階段を下りるとき、富士は来ない。鳥を追い、風に毛並みをそよがせていたいのだ。わかるよ、それは。私は仕事場に降りてMacとにらめっこを始める。呼んだって来ないことが分かっている。
しかし、万一のことが起きて、富士が空に舞い上がり、隣家の屋根、庭などに飛んだら。富士が我を忘れてなにかをしでかす可能性はあるのだ。出来るだけの体力、能力を備えている。
私は机を離れて台所の床に膝を突く。食器棚の足許に置いてあるトレイのボウルにキャットフードを入れる。ここが大切なところで、数センチ上から陶器の容器に注ぐのである。サラサラ。サラ。10秒もしないうちに富士が目の前に来ている。耳の後ろを私の腕にすり寄せて身もだえしている。おいしいでしょ、ゆっくりおあがり。声をかけて立ち上がり、ベランダのガラス戸を閉めにゆく。

猫が扉を開けるとき

富士は室内より戸外を好む。一日のうちで活発に動きたくなる時間帯があり、散歩しようよ、と誘ってくる。ハルターを持つとドアのそばに走りより、背中でフックを留めて貰う。私はドアを細めに開ける。富士は隙間から表を観察する。ドアが開いたとたんに飛び出すことはしない。様子を窺って大丈夫安全だ、と見極めてから一歩踏み出す。犬は、こんなことはしない。跳んで跳ねてニコニコ笑いながら一気に走り出す。ネコの方が用心深い。半開きのドアから蚊が入ってきても、我慢をして富士が気が済むまで観察して貰う。富士だって私と暮らしていて譲ってくれる場面があるのだから、これでよいのだと思う。こういう本能的な動作を無理に止めさせることは、私は富士の幸せを奪うことだと思っている。
野生のリスは猫の比ではない用心深さだから、身を守るためには欠かせないことだ。トカゲだって富士に狙われていると察したとたん、10分20分は序の口、長い間身を潜めて動かない。自分の命を守るのだ、何時間でも耐える小動物だ。
バングラディシュの首都、ダッカでの襲撃事件に衝撃を受けた。JICA関連の仕事で現地にいた日本人7人を含む22人が殺された。殺されて一生が断ち切られた。日本政府はドアの隙間から表の気配を伺っていたのだろうか、海外で働く自国民のために。
バングラディシュでは、ダッカから300キロ北のランブルで日本人男性が射殺された。これは昨年10月のことで、犯行声明が出されていたのだ。これはマークすべき事件で、継続して警戒すべきではなかったか。今回襲われた日は、断食月(ラマダン)の最終日だった。これは注視すべき危険な日ではないのか? このほかにも、現地ではもっと気配があったのではないか。丸腰で活動している日本人を守るのは日本政府の責務。今回、無念にも命を絶たれた人たちは、政府の力によって助かったかもしれないと私は思う。
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