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壺猫

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Feb 2018

筆の力

俳句の金子兜太さんが亡くなられた。代表作といわれる「水脈の果炎天の墓碑を置きて去る」は、トラック島から最後の船で引きあげる時の、作と呼ぶよりも叫びだろう。
戦地に赴いた人たちが次々に鬼籍に入って行く。第二次大戦当時には10歳に満たぬ子供であった私は、もちろん戦地を知らず、しかし東京都の空襲と敗戦に続く都内の激しい飢餓状況は体に刻みこまれている。
自身の体験の記憶を語り記し続けるとともに、機会あるごとに年上の方々の経験を聞こうと努めてきた。中国の奥地で戦った人、南方から生還できた人。そして学徒動員で旋盤工などになり工場で働いた女学生だったお姉さんたち。
私の年代の人たちが皆、死に絶えて、テレビがある部屋に生まれた人たちだけの世の中になる、それはもう、目と鼻の先のことだろう。そのあと、ドローンが活躍している時代に生まれた人たちの世の中になるだろう。
そしてそのあとも、ずーっと「戦争したことがあったんだ? 東京が空襲にあったことがあったんだ? 歴史の本に出ている広島と長崎、読みました」などと言って、戦争をしない、戦争を知らない人たちだけの世の中に、ぜひともなりますようにと心底願っている。
しかし、今現在の世の中、日本の様相は、そんな感じではない。このままでは日本はダメになる、と本気で憂慮する人たちが大勢いる。私は、安倍政権の一同を腐りきっていると感じていて、気概はなく恥を知らず、強きにおもねり弱気を無視する下劣な輩と断じる。
怒れ、日本人。黙るな日本人。誤魔化されるな日本人。
このことを金子兜太さんは、頼まれて文字にされた。「アベ政治を許さない」。
私の家の近くにも、この太く力強い文字が掲げられている。お亡くなりになられたが、この文字は生き生きと生き続けている。眺めるたびに深呼吸をする。力漲る文字とともに兜太老人は矍鑠としてこの地にいるのだ。
改めて思うことは、毛筆の、自分自身で書いた文字というものは、なんと精神がこもっていることだろう。その人となりが如実に表れていることだろう、感情が込められていることだろう。
どれほどの大きな文字でも、印刷の文字では迫ってこない力を持っているのが毛筆の自書である。

海外

日本では、外国のことを海外と表現する。海外旅行、海外進出、海外版などと使う。自分の国以外は全部海外だ、みたいな感じも受ける。
国の外を「国外」というのが一般的だが、日本は島国だから海を隔てた向こうにある地域や国家のことを海外というのだろう。
じゃあ、イギリスの人は? オーストラリアの人は? やはり海外というのだろうか、聞いてみたい。
歩いて国境を越えることができる国では、海外という表現が国境を意味するとは体感し難いのではないだろうか。
ナイアガラの滝の、一方がアメリカ側で一方がカナダ。ここに国境がある。国をまたいで立ってみた。
ナイアガラの大瀑布を眺めながら、左右の足で国境を感じたことを思い出す。
他になんか言いようはないのかしら。海外というたびに、ウチら島国だよ〜 みたいな気分が来てあまり面白くない。


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