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壺猫

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Aug 2020

GO TO トラベル キャンペーン

Go To トラベル キャンペーンは、国内における観光などの需要を喚起して、新型コロナウイルス感染症の流行と、その流行による緊急事態宣言に伴う外出自粛と休業要請で疲弊した景気・経済を再興させることを目的とした、日本在住者の国内を対象とする日本政府による経済政策である。
これはウィキペディアによるGo To トラベルキャンペーンの定義です。東京が外されたとか、参加させて欲しいとか言われている観光お勧め運動。
年初以来、世界を席巻しているCOVID19の社会的影響で感じたことは、消費生活、特に外食関係と観光関係が受けている痛手の大きさでした。外食関係では、食べるということのほかに、社交の場を提供する要素が大きいので、その影響はものすごい。
観光は、大昔の「世界の七不思議」の時代から人々の生きがいと言ってもよい行為。日本語では七不思議と訳していますが、元々のギリシャ語では「眺めるべきもの」という意味だそうです。つまり観光地ベスト7といったところでしょう。
旅に出れば外食する。だから今回のキャンペーンは、お楽しみ消費を促す大きな政策。それは結構なことですが、実は私は、ほとんど関心がありません。
ここで取り上げたわけは言葉です。
政府の経済政策、政府が日本国民へ発した政策の言葉が、これです。GoもToも、日本語ではありません。英語です。しかも文字もアルファベットです。日本の文字ではありません。
トラベルとキャンペーンは、カタカナを用いています。しかし、トラベルtravelは英語で、日本語では旅行といいます。キャンペーンcampainも英語で、働きかけること、運動の意です。
トラベルとキャンペーンをカタカナにして、Go Toをカタカナにしなかった理由は何でしょうか。カタカナにするとゴートーではないですね、ゴー トゥーでしょうか。今時日本人は、toravel campain を、カタカナ通りの発音で使っていますから、カタカナで通用する。
しかしGoはともかくToは、トーとは発しない、英語読み通りのトゥーと発するのです。じゃあ、いっそのとこ英文字で、となった。このあたりに、このコピーの表記の根があるのではと推測するのですが、いかがなものでしょう。
Toの発音は、英語のままです。国の政府が、日本国民向けに出したとなると私は許せない。
通じやすければ、なんでもするのか。名詞が外来語として各国に入るのは止めようもありません。しかし言葉の本体は、国々がもつ大切なものであり、他国の言葉に置き換えるべきものとは思いません。
今まで、日本語で十分に伝わる言葉を外国語に置き換えて語ったり書いたりする人々を軽蔑してきましたが、今回のGo Toは、国が公に発した言葉ですから許せない。
国の言葉は大切な宝です。こういう、だらしないことをする政府を持つ日本は、必ず滅びる運命にあると、私は思います。
世界遺産だ富士山だと、在るものを大事にするばかりが日本を大切にすることにはならない、今私たちが日常使っている言葉こそ、細心の注意をもって扱い、大切に守らなければならない宝なのです。コロナウイルスどころの話じゃない。

夜の手紙

私が学んだ学校、それは中学と高校のことだが、それは私立女学校だった。この女学校の教育方針は徹底しており、それは「良妻賢母」を育てあげることだった。
この学校は、私の母と叔母が卒業した学校だった。地元の公立小学校から中学へ進学するにあたって、学校の選択権は私にはなかった。父は子供の教育、とりわけ女の子の教育は母に任せており、母は選ぶという道を持たず、自分の母校へ入れると決めていた。
入学した時は日本が戦争に負けて間もない1947年だったと思う。ガラスが手に入らず、校舎の廊下と教室の境にあるガラス戸には紙が貼られていた。校庭に面した側の窓ガラスは、あちこちにヒビが入っていて、色とりどりの小さな花形の色紙を貼っていたから賑やかだった。
校長先生は週に一回、一学年全員を集めて自ら講義をした。修身という言葉が使えなくなっていたので校長先生の時間、と呼んでいた。校長の説諭で記憶していることは幾つもある。その一つ、入浴の際、女子は湯船から静かに立ち上がり洗い場に出るように。男子がやるようにザバッと立ち上がってはいけない、見良いものではないから。生理の日は買い物に出るべきではない。万引きをするのは、この時期が多い。6年目に校長が話したことも覚えている。「私は死にません、もっと生きます」。80を超えていただろう校長の説諭は、自分自身のことに集約されたものとなっていた。
教室でのことも覚えている。ほとんど全員が女性の先生だった。国語の先生の、ふとした雑談、教室中がくつろぐ時間。
学校から帰って夕食後に手紙を書くことがあるでしょう、そのときは決して封をしてはいけません。朝、読み直してから封をしましょう。夜に書いた手紙は、朝になってみると書き直したくなる場合がありますから。
今、私は入ってきたメールに、即返信することが普通だ。打てば響くように返す、しかし。これは、と思う事柄に関して書く場合は、必ず一泊させる。
だから、「あの時は言いすぎたの」というセリフを使ったことがない。何か言われた途端に頭にきて、後で後悔するような手紙を送ってしまうという、浅はかなことをしたことがない。特に、紙の通信が極度に減り、キーボードによる高速通信が、私の年代でさえも主流となっている今日、無神経に放り出したような文章、後から言い訳する文章が氾濫している。大昔の先生の雑談が、今の私に生きている。
学校の授業というものは、しみじみ思うのだが、教科書を教えるのではない、教科書を使って教えるのだ、というこの貴重な言葉を反芻するのである。
ちなみにこの金言は、元国語教師で、その後、東京神保町の主と言われた柴田 信氏の言葉であります。
校長の説諭は中学1年から高校3年まで毎週接したおかげで耳にタコができた。これは非常に遅効性のある内容だった、今頃になって校長の言葉が腑に落ちる。老いてゆくにつれて周辺の現象に興味、関心を示す余裕が失せて、自身の肉体に関心が集まってゆくありさまが見えた。校長は、裸の人間の姿を手渡してくれたのだ。無駄な出会いはない、というか用いなければもったいない。どう用いるかは、受ける側の受信能力と容量にかかっている。

私なら謝らない

前回の話題で「業病」と表現したことについて非難が多々あったという。この表現が適切でなかったとして、石原慎太郎さんは謝罪したというが、私だったら謝罪しません。
彼が、どのような意味合いで業病と表現したのか、私の感覚と異なっているのかもしれないから、それは置いておき、私だったら業病と書いただろうという、その意味合いを書きます。
業病とは難病と同じ意味合いの、非常に治りにくい病気という意味と合わせて、この病は前世の報いだ、前世に悪いことをした報いだという意味が含まれます。
難病の方は現在、難病法という法律があり、厚生労働省によって指定難病が決められており、医療費の助成もあり、人々の理解もあります。業病となると、これはもう古語の部類でしょう、今は使いません。今回のように使用現場を取り押さえると、非難轟々、ありとあらゆる罵詈雑言が浴びせかけられる。最近の人たちは、直接会って相手と向き合って異論を唱えるのではない、文字だけを飛ばしてぶつけるのです。「やさしさ」とか「思いやり」とかいう名前の付いた棍棒を振りかざして、相手を自殺に追い込むところまで、やってのける残酷さを無自覚に発揮しています。
つい数十年前までは、業病という言葉は、何の抵抗感もなく使われていました。ハンセン氏病も、この呼称は一部の人にしか伝わらず、一般にはライ病と呼んでいました。
1959年製作のアメリカ映画『ベン・ハー』の中で、ジュダ・ベン・ハーの母と妹が囚われて、街から追われて谷底に住むハンセン氏病人の谷に落とされるくだりが描かれています。日本版の字幕では「ライ病」と書いていましたが、のちのテレビの放映では「業病」と書き改められていたのを、よく覚えています。これは、ハンセン氏病に関する知識と理解が深まってきたために書き換えたものでしょうが、書き換えた当時は「難病」という表現がまだ広まってはいませんでした。次回には「難病」と書き換えるかもしれませんね。著作物でも、再版時に断り書きをする例が多々あります。
現在は使用禁止、何か絶対命令以上の感覚を持って、封じられている禁句となっています。特定の人物に対して用いるのではない場合でも、です。禁句は、病気だけではない、部落・集落の使い方にも見られる問題で、禁句を作り出して、自縛、他縛を厳しく行っている昨今と感じます。
今回の「業病」への非難も、この感覚から人々の怒りを買ったものと思われます。
さて、私の意見ですが、どのような病であれ、罹患した本人が業病と表現したい場合を許してあげたい。どうして、この自分が選ばれて、この病に侵されたのか。何故、この自分が? と苦しむ病人の苦しみは、難病という言葉では表現しきれない深い悲しみと苦悩が充満していると想像できませんか? 病気の種類は千差万別、どのような病であっても、いっそのこと死んでしまいたい、と追い詰められる絶望感の言葉として業病は生きています。指定難病でなくても本人にとって業病であることは多々あるでしょう。業病とは、いっその事死んでしまいたいと打ちのめされている本人にとって必要な言葉なのです。この言葉は、病む本人に成り代わって感じるところのもので、ベッドサイドに立つ人が、病人を見おろして発する言葉ではありません。
昔、日本の国民病と呼ばれた結核。国民病であり、家族病でもありました。一家の主人が罹患する、看病する妻が倒れる、嫁がかかる、その子がまた、というふうに感染していきました。何一つ薬はありませんでした。治療法は、良い空気を吸って安静にしていること、それだけでした。こうした時に、業病だもの、と吐息をつく人々が日本中にいっぱいいたことを知っていますか? 何か不摂生をしたわけではない、悪い生活態度をしたことはない、それなのに今、死にかけている。こうした時に病人が吐息とともに漏らす業病という表現は、難病には置き換えることのできない宗教的とも言える意味合いが含まれているのです。自分が悪いのではない、という救いの意味も込められている言葉です。
歴史を持つ言葉を殺し葬ってゆく今時代の感覚、浅はかな言語感覚を軽蔑しています。
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