交通違反
2011-05-11 23:01 更新 カテゴリ:主張
交通違反は、交通事故の原因になるから違反してはいけない。よって違反者を取り締まる。これは、書物の題名のようなものだ。では本を開いてみよう。あら、立体絵本、飛び出す絵本らしい。現実感に溢れている。
季節ごとの「交通安全週間」には、一斉に取り締まりを行う。些細な注意を受ける50ccバイク。ちょいと停められて、ハッと心臓が止まりそうになると覗き込んで、あんた、サンダルで運転しちゃダメよ、行ってよろしい、と言われたりする。日曜日の朝、ほとんど車のいない直線道路、いきなり車道に現れた人影が、赤い旗で(なぜか巻いていて、両手で横に持っている)制止する。こっち、こっち、という。見れば道路わきに空き地があり、そこに捕まえた車を引き入れて違反キップを切っているのだ。すでにプリントした紙を持っており、速度違反の時速が記されている。自慢にならないが、このあとの状況を話し始めたら長くなる。経験豊かなのである。結果と感想に留めたとしても、言い尽くせないほどある。
観察の結果、彼らは入れ食い狙いの魚釣りをしているのであり、かかり易いところで待ち伏せるのだ。違反したら危険だ、という場所ではない。あくまでも捕まえ易い場所を、彼らのために選ぶ。運転者のため、などみじんも考えていない。
高速道路の超絶スピードの確信犯に対しては、両者とも真剣に、一種の醍醐味を味わっている。醍醐味と言えば、暴走族相手の取り締まりも似たもので、「あっちも、こっちがいたほうが面白いしね、こっちも喜んでやってるわけだから」とおまわりさんが笑っていた。以前は、県境まで逃げ切ったら追跡者(警察)の負けだった。
一般道が問題で、以前は何キロオーバーしていた、いや、していない、と果てしない口論が続いたのだが、いまは自動的に記録されたプリントを見せるだけである。しかし私は、このプリントを、根っから信用していない。40キロはオーバーしていたはずなのに、25キロ違反だったことがある。しかし、20も出していないのに、25でやられたこともある。プリントは、チラと振り回すだけで、決して当方に渡してはくれない。あんなものは、言い訳封じの目くらましだ。前車と車間距離も取り、同じ速度で普通に走行していて停められ、16000円の速度違反となった。尋常に走行していると感じている速度で、想像以上の時間を拘束され、バカにならない金額を支払うことになった。このような「災難」に遭う市民の数は多い。こういう悪質な取り締まり方を繰り返すと、社会が荒れる。確実に荒れて行く。この現象を警察は軽く見ているだろうが、恐ろしいことだと思う。警察が作りだす社会の荒廃。警察は感じていないのだろうか、最近の市民が、なにかあった時に、すぐに110番をしなくなっていることを。
もう一つ言うと、違反して支払ったお金は国庫に入る。警官のボーナスではない。しかし、違反した当日に、所轄警察の知り合いに連絡すれば「消去」されたのだ、つい先頃までは。現在は禁止になったが、表向き禁止になった、と私は勝手に解釈している。たとえ感謝費用が違反金よりも高価になったとしても、点数を気にする向きには、この上ない有難さである。双方が止めるわけがない。これは、私の勝手な想像でしかないが。
警察の末端組織、交通課は、一般市民とじかに接触する、もっとも大切な部分なので、親しまれ、信頼されてこそ、存在の意味がある。
しかし500人とも言われるキャリアの人たちは、三権分立などクソクラエだ、大規模でいいようにやっているのだから、長期にわたり熟成されてきた体質なのだろう、理不尽な交通違反取り締まりに遭っても、気持ちが離れるばかりで驚きはない。
季節ごとの「交通安全週間」には、一斉に取り締まりを行う。些細な注意を受ける50ccバイク。ちょいと停められて、ハッと心臓が止まりそうになると覗き込んで、あんた、サンダルで運転しちゃダメよ、行ってよろしい、と言われたりする。日曜日の朝、ほとんど車のいない直線道路、いきなり車道に現れた人影が、赤い旗で(なぜか巻いていて、両手で横に持っている)制止する。こっち、こっち、という。見れば道路わきに空き地があり、そこに捕まえた車を引き入れて違反キップを切っているのだ。すでにプリントした紙を持っており、速度違反の時速が記されている。自慢にならないが、このあとの状況を話し始めたら長くなる。経験豊かなのである。結果と感想に留めたとしても、言い尽くせないほどある。
観察の結果、彼らは入れ食い狙いの魚釣りをしているのであり、かかり易いところで待ち伏せるのだ。違反したら危険だ、という場所ではない。あくまでも捕まえ易い場所を、彼らのために選ぶ。運転者のため、などみじんも考えていない。
高速道路の超絶スピードの確信犯に対しては、両者とも真剣に、一種の醍醐味を味わっている。醍醐味と言えば、暴走族相手の取り締まりも似たもので、「あっちも、こっちがいたほうが面白いしね、こっちも喜んでやってるわけだから」とおまわりさんが笑っていた。以前は、県境まで逃げ切ったら追跡者(警察)の負けだった。
一般道が問題で、以前は何キロオーバーしていた、いや、していない、と果てしない口論が続いたのだが、いまは自動的に記録されたプリントを見せるだけである。しかし私は、このプリントを、根っから信用していない。40キロはオーバーしていたはずなのに、25キロ違反だったことがある。しかし、20も出していないのに、25でやられたこともある。プリントは、チラと振り回すだけで、決して当方に渡してはくれない。あんなものは、言い訳封じの目くらましだ。前車と車間距離も取り、同じ速度で普通に走行していて停められ、16000円の速度違反となった。尋常に走行していると感じている速度で、想像以上の時間を拘束され、バカにならない金額を支払うことになった。このような「災難」に遭う市民の数は多い。こういう悪質な取り締まり方を繰り返すと、社会が荒れる。確実に荒れて行く。この現象を警察は軽く見ているだろうが、恐ろしいことだと思う。警察が作りだす社会の荒廃。警察は感じていないのだろうか、最近の市民が、なにかあった時に、すぐに110番をしなくなっていることを。
もう一つ言うと、違反して支払ったお金は国庫に入る。警官のボーナスではない。しかし、違反した当日に、所轄警察の知り合いに連絡すれば「消去」されたのだ、つい先頃までは。現在は禁止になったが、表向き禁止になった、と私は勝手に解釈している。たとえ感謝費用が違反金よりも高価になったとしても、点数を気にする向きには、この上ない有難さである。双方が止めるわけがない。これは、私の勝手な想像でしかないが。
警察の末端組織、交通課は、一般市民とじかに接触する、もっとも大切な部分なので、親しまれ、信頼されてこそ、存在の意味がある。
しかし500人とも言われるキャリアの人たちは、三権分立などクソクラエだ、大規模でいいようにやっているのだから、長期にわたり熟成されてきた体質なのだろう、理不尽な交通違反取り締まりに遭っても、気持ちが離れるばかりで驚きはない。
