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Apr 2014

移りゆく連休風景

連休が始まったという。ゴールデン・ウィークや、お盆正月には、家のまわり、車が停まる。造成したベッドタウンはマス目のように道が整備されているから、見渡すと一目で分かる。住み始めた40年前は、ガレージの車を道路に引き出して洗車し、赤ん坊とお土産を積んでふるさとへ走る家族が、あっちにもこっちにも、いた。たちまち年月は流れて、老朽化したベッドタウンに、別の場所で暮らす二代目が三代目を連れて帰ってきた。近くの三角公園によちよち歩きの孫と出かける溌溂とした祖父母。静まりかえっている日常が、いっときの賑わいで明るくなる。ついこの間の風景だったのだ、これは。やがて三代目が親の背丈を超すほどに成長してくると、家のまわりに停まる車は、あるやなしやの閑古鳥。昨日と今日は、何一つ変わらない日々だが、十年単位で早回しにしてみると、こんな具合になる。
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仲間を失う

メタセコイヤ。急死したレッドウッド、今日は少し切り落とした。生木か枯れ枝だったら切り落とせるのに、刃に粘り着く小枝は、幹が死ぬと決めても自分らは承伏しかねる、と抵抗しているのだ。難渋し、たいそう疲れた。セコイヤの死の翌日、大切な仲間、文学の同志が亡くなった。10日がお通夜、11日が葬儀と報せて頂いたが、伝える側も受けるほうも、とても事実と受け入れがたい心で、茫然自失、いまも狼狽える心地で日暮から夜に、そして更けてきた。
彼女の作品を読んできた読者たちへ、共に書いてきた同人たちへ、作家塩見佐惠子の追悼文を、かならず書きます。
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愛木の死

私の愛する木、愛木が死んだ。まさか死ぬとは思わなかった。でも、冬の間じゅう、深く艶やかな葉を広げていたのに、芽が動き出す今になって突然枯れた。レッドウッド。カリフォルニアのレッドウッドの森からやってきた。セコイヤの一種、杉。長男が留学していたときに訪れた巨木の森で、お土産にこの木のかけらを買った。ポリ袋に入った小さな木片は、日本に運ばれて芽を出した。背丈を超えたときは、誰もが信じられないと驚いた。見上げる高さに成長したレッドウッドは、やがて巨木の子の気配を見せ始めた。一年に一メートル以上伸びる。太い腕を広げる。私は隣家に遠慮して枝を切る。巨木の子が巨木になるには、我が家の敷地全部を使っても不足だろう。30メートル、40メートルの高さまで伸びたい木だ、二階のベランダを越えて伸び続ける頂点を遂に私は切った、のが去年だった。これ以上、伸びないでと報せたのだ。あなたは大きくなりすぎたら、ここにいられないの。だから、もう大きくなるのを止めてちょうだい。いまのままでいいのよ。いまのあなたを愛してる。私は、あなたを、ほんとうに愛してるわ。
『木の教え』という本を読んだ。読書評に書いた本です。その中に、木の自殺について書いてあったのを思いだした。もう、こんな場所では生きていられないと木が思ったときに、木は自殺する。そう書いてあった。私の、私本意の愛が、殺してしまった。
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横浜赤レンガ倉庫

土曜日に横浜の港にある赤レンガ倉庫に行きました。大きな赤レンガの倉庫が2つあり、その一つでアフリカンフェスティバルが開かれていたので、アフリカ見物です。私は始めてでしたが、今年は7回目で、毎年催されています。アフリカはジグソーパズルのように細かく国があり、各国がブースを出しています。メインステージで音楽、ファッションショウ、ワークショップでなんでも参加。フードコートは食べたい人で大賑わい。私のようにアフリカ、行けないけど行った気分になりたい人間をはじめ、ここ行ったよ、という人たち、そして日本に住んでいるアフリカの家族が、一家揃って大勢集まっていました。なんのことはない、聞いたり見たり触ったりしているうちに、行ってみるか、一度。という気分に変わってしまった。
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