Site logo
Site logo
myExtraContent1
myExtraContent5

プルシェンコ

昨夜、真夜中まで起きていて、男子フィギュアSPを見た。世代が新しくなるんだ、と見えた。フィギュアに限らず、相撲の人たちでも、あらゆる競技の優れた選手たちの精神年齢は、非常に高いと感じる、実年齢ではなく、競技寿命と連動して成長してゆくのだろうか。
競技人生という短い一生を駆け抜けてゆく、精神年齢がそれに連動してゆく姿が見える。
ロシアのプルシェンコが棄権した。私は長らく注目し、いつも素晴らしい、美しい、と思ってきていて、今回も同じように期待していた。昨夜、明け方まで起きていて見ようとしていたのは、プルシェンコの演技だった。
あの、誰に見せるためでもない、ひそやかに神に祈る姿。終わったときに感謝を込めて十字架にキスする姿。
今回、身体の故障を見極めて棄権を決意したとき、神さまが、ここまでと言ったから、という彼の言葉をきき、深く感じ入った。たった31歳だ。30歳を越えても、人生はこれからはじまるんだ、とスタート以前の生き方をしている若者たちは多い。若者かどうかはさておいて、だが。しかし彼は、並の人たちの倍も三倍も生きてきたような感覚だと思った。60、70を過ぎても、なかなか神さまの声を聞くだけの力は出ないものだ。ここでいう神さまとは、イエス・キリストに限らない、仏様でも、お天道様でも同じことだ。私が車を降りようと決心するについて、神様がくださったサインに従おう、とはっきり感じたのは、大分後になってからだった。はじめのうちは、理屈や欲望が先行していて、神様の声なんぞ聞こえなかったのだ。
プルシェンコが、あの瞬間に棄権を決めただけでなく、言葉にして言えたということに私は驚いた。誰にも出来ないような大きな競技の一生を生ききったのだと感じた。彼は圧倒的な精神の集中力を持っていた。彼のフィギュアスケートは美しい。実に美しい。技術も技巧も分からない私が深く感動し、大きな喜びを受けた。私は、身体を動かすことが不得手で何も出来ないけれど、アスリートから学ぶことは無限大だ。
0 Comments
myExtraContent7
myExtraContent8